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土地を買う

内覧会

是非一緒にやろうという人が何人も集まったので、1992年の暮れも押し迫ってバリの内覧会を開催した。「参加したいが、行ったことがないから一度連れていって欲しい」という人が多かったためだ。バリは、行ったこともないのに手を出したくなるほど夢を呼ぶ島である。
内覧会の目的は、現地の体験にあわせて、具体的な候補地をできるだけたくさん見て回ることにあった。12月24日に出て大晦日に帰国するという馬鹿げたスケジュールにもかかわらず参加したのは、次の9人のメンバーである。高知の都市計画家夫妻、東京の建築家夫妻とその娘さん、広島の医師とそのアシスタントのお嬢さん、私と私のアシスタント。

土地探し

土地は、予め件の観光ガイドに探してくれるよう電話で頼んでおいたのだが、どうも、彼は半信半疑であったような節がある。行ってみたら、何の準備もしていなかった。それでも、大挙して押し掛けたものだから、行き当たりばったりに10カ所ほどの土地を案内してくれた。その結果、収穫としてわかったことは、次のようなことである。

(1)土地の取り引きは1アール単位で行う。
(2)バリの土地はとても高い。

案内してもらった土地は、別荘が建つような、それほど不便ではないがやっぱり田舎、といった土地で、いずれも現況山林または農地であったが、それが1アール当たり800万~2,000万ルピア(当時のレートで1円が約17ルピア。この地価は坪当たりに換算すると1.5~3.8万円)もする。中には電気の来ていない土地もあった。電話線に至っては、どこも来ていない。
バリの物価感覚や所得水準を考えると、これはとてつもなく高い。バリの人達には、どう逆立ちしても買えない値段だ。800万ルピアというのは、私の聞いた限りでは、例えばお屋敷のガードマンの年収の13年分に当る。100坪買おうとしたら、40年分だ。皆どうしているんだろう。
それはともかく、立地や面積や値段などを考えると、どれも帯に短し襷に長しといった感じで、もうひとつぱっとしない。どうしたものかな、どうせ急ぐ話しでもないから気長に探して楽しむかな、という空気が一行を支配し始めようとした時、突然耳寄りな話しが飛び込んできた。たいてい、よい話しは最後に回ってくるものである。

塞翁が馬

ところで、別に何人かの現地の知り合いにも土地の斡旋を頼んでみた。皆一様に半信半疑ながら、親切につきあってくれた。
ウブドゥの日本料理店のオーナーであるI氏の言葉が、このあたりの気分をうまく言い当てている。
I氏「あんたも、物好きだねえ。」
私「こんなことをしたいという人はいませんか?」
I氏「たくさんいますよ。でも大抵は日本に帰ると忘れてしまう。これは本気かなと思って土地を探してあげたら、いくら待っても催促してもお金を送ってこない。まあ、気持ちはわかりますがね。計算してしまうんですね。年に何回こられるかな、なんて。皆そうだから、バリの人もそういう話は信用してませんよ。また言ってるから、夢にだけつきあってあげよう、てなもんです。」

内覧会の一行が帰国する直前に、斡旋を頼んだうちのひとり、マデがペネスタナン村のマンクさん所有の茅畑を紹介してくれた。ウブドゥの街に近いこともさることながら、4アール3,600万ルピアという経済的手頃さが大きな魅力だった。

マデに「この土地を売ってもらえるかどうか聞いておいてほしい」と頼んで帰国したら、折り返し返事が来た。売ってもよいが、他の引き合いもあるので速やかに100万ルピアの内金を入れる必要がある、1カ月は待てないだろう、とのこと。つまり彼らは確証を求めているのである。
内覧会のメンバーに相談の上で、思い切って内金を打つことにした。思い付きで始めたプロジェクトである。この調子で、「人生すべて塞翁が馬」でいこう。
運命の悪戯か、その時ちょうど私の友人で埼玉県在住の彫刻家O氏がバリ島のクタに滞在していた。ホテルにファックスを送る。彼からは後日、うまく処理した、内金の立て替え分は出資金に充当したい、との丁寧な連絡をいただいた。
かくして、このプロジェクトが第1歩を踏み出すとともに、O氏は幸か不幸かアピアピの最初の出資者となったわけである。
O氏はその後、埼玉の音楽仲間を大勢連れてコンサートツアーを挙行したり、首都圏でバリの絵の展覧会を開催したり、アピアピを拠点にした文化交流功労者として活躍している。

ついに土地を購入

このプロジェクトは、音楽紀行「熱帯の旅人」の著者コリン・マックフィーに敬意を表してその原題をそのままとり、"A・HOUSE・IN・BALI"と命名した。ペネスタナンは、60年前に彼が滞在したサヤン慣習村の中にある。

内金を払った後、そのままにもしておけないので、1993年2月21日から25日にかけて、単身でバリに赴いた。土地の残りの代金を払って、とりあえず今後自由に使える状態にするためである。

マンクさんの言葉。
「2階建てにするとよい。眺望がよいから」
「これでお前はペネスタナンの人間となった。なにか助けが必要であれば、いつでも言うように」

何人かのバリ人や、バリで事業をしている日系人に聞いたところでは、外国人はバリの土地を所有することができない。従って、土地を買うためには、インドネシア人の名義を借りて、実際に買ったと同じ権利状態を作り出す必要がある。その際、名義人との間で、今後トラブルの起きないような、しかも名義を貸す側に貸すことで何らかの得があるような契約を結ばねばならない。
ちなみに、当時はまだ1万ルピアが最高額紙幣だったので、土地の代金を銀行でルピアに両替したら、買物袋2つ分になった。

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