category name  »  page title date

カフェ・アピアピにて

カフェ・アピアピ

アピアピの隣にカフェが完成した。これは,アピアピ本体が完成した数年後の話しである。

カフェは、ウブドゥの「クブク」を見習って、ライス・フィールド・ビューが売り物である。

ウブドゥの「クブク」

客席に腰掛けて田圃を眺めると、その中を遥か向こうから蛇行して近づいてくる一本道がよく見える。これは、網を張るには好都合だ。一本道を汗びっしょりになって歩いてくる観光客がいると、見張りが「タムー、タムー(客だ客だ)」と叫ぶ。それを聞いて、お手伝いのヌンガが道に飛び出して客が来るのを待ち、ニコニコしながら声をかける。

「ウェアーユー ゴーイン ? 」

これで、3組のうち1組くらいはカフェに引っぱり込むことができる。こうやって蜘蛛助みたいな客引きをするのは、なかなか楽しくて、皆が交代で見張りや連れ込み役を引き受けては、成功する度に万歳を三唱した。カティランタンに巣を張って客を騙してはつまらない絵を法外な値段で売りつけているニョマンの気持ちが、少しわかる。

最初のお客

こういうカフェに寄る客は、まずは地獄に仏を見る思いでコールド・ドリンクをむさぼり飲む。
安堵感のためか、そもそも好き者でないとこんな店には立ち寄らないということなのか、来る客はひとり残らず話し好きで、社交性に富んだ連中である。

カフェ・アピアピの栄えある客第一号は、日本から来たYODAさんという男性だった。昭和23年生まれの当時49歳。ひとりで、たまには中央線に乗って高尾あたりでも散策してみるか、といった軽い出で立ちでひょこひょこやってきた。
ところが実は、あてもなく日本を出てもう1か月になるのだという。

まずバンコクに行って、チェンマイ経由で中国の雲南省に入り、また再びタイに戻って、そこから直接バリにたどり着いたばかりとのこと。
空港に降りたってすぐタクシーに乗り、まっすぐウブドゥに来たというのは、なかなかの通かと思ったら、バリははじめてだという。1か月の間に、随分鼻が利くようになったに違いない。
バリの後は、ネパールに行ってみたいとのことだった。

一体どういう仕事かと伺うと、会社を辞めて失業中の傷心旅行なんですよ、と心なしか憂いを湛えつつ笑って答えた。この人も実に社交的な感じの人だった。そうですか、私が最初ですかと感激してくれた。マデの話しによると、YODAさんはその後も何度か寄ってくれたそうだ。

オランダのカップル

二組目にやってきたのは、オランダから来たカップル。ソウル生まれで、コンピュータシステムのコンサルタント会社の技術者という好青年と、その彼女と思しきオランダ美女。

ココナッツ・ジュースが飲みたいという。メニューには用意してなかったのだが、さっそくヌンガが台所に走っていったと思ったら、程なく椰子の実にストローを突き刺したジュースがふたつ、お盆に乗って出てきた。

よくあったな、と聞いたら、ちょうど仕事を終えて休憩していた左官職人をつかまえて、実をとってもらったのだという。
値段のつけようがないので、オープン記念のプレゼントだというと、逆にオープン記念にといって1万ルピア置いていってくれた。マデはそれを見て、「いつも『ジャスト・オープンだ』と言いましょう」と喜んだ。

メニューもティダ・アパ・アパ

うちの客はあまりメニューを気にしない。メニューにあろうとなかろうと欲しい物を注文する。

この後でやってきたイギリス人は、マンゴーを所望したそうだ。これは、やはりヌンガが機転をきかせて、村のワルンに買いに走ったらしい。

3日目にやってきたトロントのインテリア・デザイナと、その後に来たドイツの若いお医者さんは、それぞれトーストとジャッフルを食べていった。これは客にも作る側にも好評だったようなので、後でメニューに追加した。

開業当時の話しをしたのは、実はこれが最盛期だったからである。

メニューにないものは無料にしてしまうし、マデがオーストラリア人の観光ブローカーに丸め込まれてほとんどただ働きさせられるし、といったようなことがあって、全然ビジネスにならなかったようだ。ひょっとしたら、旅行会社をはじめたP氏のような振る舞いもあった可能性がある。

P氏のような振る舞い

何年かは営業していたものの、そのうち、飽きてしまったのか、いつのまにかうやむやになって、いまはとうとうトイレつき無料休憩所となってしまっている。
でも、眺めがよいし、道からちょっとはいっているせいで落ち着くので、朝ご飯を食べるときに使ったりしている。

inserted by FC2 system