バリ島に家を建てた。20年ほど前の話である。
集落のはずれのカヤ畑を買って、12本の椰子の木の柱を立て、茅葺きの大屋根を乗せて、ふたつの部屋をつくり、その前に広いテラスを設けた。
村の若者に頼んで、維持管理をまかせている。
あの頃は、インドネシアもスハルト大統領が全盛の頃だった。その後ハビビ、ワヒド、メガワティ、ユドヨノと変わり、その間に直接選挙制に移行した。さらにそれから9年が経ち、来年は3回目の大統領直接選挙が行われる。バリ島はテロに2回見舞われ、世界で30万人の死者を出したスマトラ島沖地震からも、かれこれ10年近くになる。
管理人の若者も結婚し、3人の子供をつくり、立派な中年となって、いまは彼の両親とあわせて7人の家族がわが家に住んでいる。
インドネシアだけではない。当時の日本の首相は細川さんだった。あれから数えてみると今の安倍さんで14人目である。その間に、サリン事件や金正日の相続や阪神淡路大震災がおこったと思ったら、さらに東日本大震災がおこり、金王朝は次の代に移った。リストラが日本語化し、本州と四国が橋でつながり、各地にドーム球場ができ、駅の改札はすっかり自動改札となり、電話は携帯の時代となった。・・・などとあげ始めるとキリがないほど、いろいろなことが変わった。
バリの家の話しに戻す。
バブルの余韻の残る浮いた気分の時代だったので、あんな能天気なことができたと思うのだが、家を建ててよかった。ああ、おもしろかった。
家の名は「API-API(アピ・アピ)」。インドネシア語で「蛍」の意味。
アピアピの前は一面の田んぼである。そこで朝ご飯を食べていると、前のあぜ道を鴨が隊列を組んでひょこひょこ歩いていく。集落の中のどこかで寝ていたのが、田んぼのお仕事に通勤していくのである。一日そこで過ごし、夕方になると、これも人間に追われているわけでもないのに、自分たちで帰っていく。
日が沈むとたちまち真っ暗になる。釣瓶落としである。満天の星空の下で、カエルやコウモリやヤモリの鳴き声にまじって、はるかどこかからワヤン・クリッ(影絵芝居)のかすかな、しかし朗々とした語りの聞こえてくることがある。
「バリでは時間がゆっくる流れる」というのは嘘ではないと思うが、どうもそれだけではない。バリでは濃密な空気の中で、比重の重い時間が、悠々と流れるのである。
バリの空気と時間を思い出しながら、アピアピをめぐる人たちや事件のことなどを、以下に記録しておくことにする。