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建築工事の契約

最初の誤算

7月30日3時の待合せ時刻に、マデを伴ってラーマの家に赴いた。ラーマの家には、いつものように、踊りを習う観光客や、何となくなついて出入りしている半不良旅行者や、ガムランの練習をする地元の子供達が、出たり入ったりしていた。
彼等のことをぼんやり眺めているうち、3時半にライが積算結果をもってやってきた。皮肉ではなく、意外と時間に正確だ。

ライは、27日の打ち合せで指示した内容と、28日に選んだ材料をもとにして、忠実に積算を行い、A4のメモ用紙2枚に手書きでびっしりと計算書きをつくってきた。ただし、指示した内容の一点だけを完璧に忘れている。
工事費の上限をどう理解したのか、彼は8,400万ルピアという数字を出してきた。しかも、積算の中に、設備工事分を完全に入れ忘れていて、その場で再計算を求めると、1億100万ルピアという金額になった。先日の合意の実に2倍である。

「私の言った金額で精一杯がんばればどういう仕様の家ができるかをコンサルティングするのが、君達の仕事である」
「しかし、5千万ルピアでは、学校の教室のような、とても恥ずかしい家しかできない。そんな家なら、私は参加しない」

ライは譲る気配がない。それなら27日にそう言いなさい、といってみても始まらない。間に入ってラーマが困っている。マデは、全く興味なさそうにソファーの上で犬と戯れている。

ライの作った積算表(バリ語とインドネシア語の混在した専門用語で構成されていて、とても難しい)と、バリの7月版の「積算資料」をもとにして、押したり引いたりしてみたものの、どうもふっかけているのではなさそうだ、ということがわかっただけで、なかなか前進できない。
「これでは、家を小さくするか、作ること自体をやめるか、どちらかしか選択できない」と脅しをかけてみたものの、動じる風がない。最終的に、別棟の屋根を茅葺でなく瓦葺とし(この茅葺きは後に、いつのまにか復活した)、ベッドルームの内壁を煉瓦でなく塗壁とすることで、7千万ルピアでやっと手打ができることになった。

先日の基本的な指示内容を、ひとつひとつ言いあげ、翻訳して再確認し、
「これ以上の細かい文句はつけない。細部はデザイナに任せるから、この金額の中でできるだけよい家をつくってくれるように」
と申し渡した(結局のところ、この約束は何度も何度も反故にされ、結果的に建築費はわたしにとって天文学的数字となった)。

契約書の交換

どうも、彼らはこちらのお金を利用して、営業用の「作品」を作ろうという魂胆らしい。ま、それもいいか。
ラーマはとても正直な男で、お坊っちゃんらしく、駆け引きをしないまっすぐな性格だ。少しくらいの損は自分がかぶるから、といったけれども、そうさせるわけにもいかない。一抹の不安が残る。
ライは知識人らしく、これまた駆け引きをしない潔さがある。建築家としての誇りを隠そうとしないが、その分だけクールだ。
いずれにしても、普通のバリ人とは大変異なる人達だ。それでいて、キラキラ(大雑把)加減は全くバリ風なので、つき合うのに少し骨が折れる。

翌日、凝り性のラーマがわざわざ製本のためにデンパサールまで出向いて、契約書を用意してくれた。
契約書には、設計図や積算書に加えて、前日の最後の確認内容が、覚書として添付されていた。チャハヤデワタ・ホテルのレストランで、3冊の契約書に私がサインし、保証人としてマデがサインし、請負人としてラーマが印鑑(!)を押して、めでたく契約が成立した。ラーマは、こういうところでも、日本かぶれしている。
着工時支払い分をラーマに手渡した。いよいよ、明日から工事が始まる。

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