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館が姿を現した

資材の提供

1993年9月30日~10月4日に、工事中の現場を訪ねた。雨期にはいったばかりで、雨が多い。1日に数回、どさっと降る。おかげで観光客は少ない。地元はお祭りの季節で、着飾った人が多い。闘鶏も多い。いたるところでやっている。こういう季節だ。

ラーマたちは、私を待ち焦がれていた。工事に必要なものを持参する約束だったからである。AC100V用のコンセントボックス10組、220V5Aのブレーカー5箇、CRCスプレー2缶、金色の水性塗料2缶、引き違い戸の螺錠数組、電気サンダー1台などが主なもの。今では、とても飛行機に積んでもらえないものが含まれている。
コンセントボックスとブレーカーと螺錠とは、日本製の”高級品”をラーマが使いたがったため、それからCRCと水性塗料は現地で買うとべらぼうに高価であるため、電気サンダーは手に入らないためである。
次はAC220Vから100Vへのコンバーター(変換器)を持ってこなくてはならない。15~20A程度の容量があって、しかもスタビライザー(電圧安定装置)が付いていないと使い物にならないだろう。なにしろ、現地の友人の話しでは、入力側が170Vまで下がるしいから。秋葉原で探さなくてはならない。

このコンバーターは、後日ちょうどよいのが入手できたので、「これはいったい何だ」といった類の空港でのすったもんだはあったものの、首尾よくアピアピの給水塔の下に据え付けて、今日に至っている。ただ、全然必要なかったのが残念である。アピアピで、100Vでなくてはいけないような電気製品を使うことは、なかった。

おっとあのかわいい家は何だ

朝、現場に出かけた。前回に遣方の糸を張った後、どうなっているだろう。
ペネスタナンから回る道が、寺の前の集会所のところで、新設したバレーコートに切りとられて車の通行ができなくなったままだ。集会所の反対側を迂回する、以前よりも広い道路を作る予定らしいが、草を刈っておおよその形が出たところで、あいかわらずそのままになっている。仕方がないから、南のカティランタン村の方から、大きく遠回りをして現場に行った。

この方向からアプローチすると、はるか遠くからずっと敷地を眺めながら近付くことになる。最後の角を曲がって、広々としたライステラス越しに目をやると、そこに我が館が姿を見せていた。
大きな茅葺き屋根、さらにそこから突き出して、前面に広がる田園を睥睨するかのような三角屋根。遠目に見ると、森のシルエットの中にはまりこんで、おっとあのかわいい家は何だ、と思わせるものがある。
近寄ってみると、安心感のある大きな屋根の下の空間に、清潔そうな(になるはずの)小部屋がこじんまりと納まっていて、いかにも心地よさそうだ。

地元のある青年は、あれはバリスタイルではないよ、どちらかといえばジャワ風だ、といった。屋根の形がシンプルでないというのが、その理由である。
両脇に破風をとって、そこから光と風とをいれる構造になっている点を指しているらしい。しかしあの形は、私のスケッチを、生粋のバリ人であるラーマとライとがさらに発展させてできたもので、彼等2人がとても気にいっている形である。だから、何といおうとも、私にとってあの形は断固バリスタイルである。

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