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ラーマとの出会い

土地を買うためにノタリス事務所(公証人役場)に通っている間に、そこでラーマと出会う。
ノタリスのところでは、いつも何人もの客が待っている。順番がくると、タイプライター越しに、少し偉そうな女性事務員にまず相談を持ちかける。入口の部屋にはその順番待ちのためのベンチが置いてあった。
そのベンチに座っていたら、大柄でまじめそうな長髪青年が突然日本語で話しかけてきた。「あなた、何でこんなところにいるんですか?」これがラーマの第1声である。ついでにいうと「あなた、随分日本語がうまいね」と、これが私の第1声であった。
その晩、彼は奥さんとふたりで私のホテルまでやってきて、一緒にスキヤキを食べながら夜遅くまで話し込んで行った。ヒンドゥーは牛を食べないのだが、無理につきあってくれたのかも知れない。
彼は、ウブドゥのプリアタン村の名家の子息で当時35歳。かつてガムランの名手として世界的に聞こえ、今や伝説の人となった故マンダラ翁(「踊る島バリ」パルコ出版、に詳しい)の孫、という血筋らしい。
バリにある国立ウダヤナ大学で建築を修め、筑波万博にガムラン上演のため来日したのを契機に、その後7年間日本で建築修行をして帰ってきたばかりとのこと。ウブドゥで設計事務所をつくろうと、その手続にノタリス事務所を訪れた、ということだった。
奥さんは神田生まれの日本人で打楽器奏者。とても社交的な人だ。後日、わが家アピアピの調度備品はすべて彼女が見立ててくれた。

ラーマは、非常に好奇心の強い技術者で、ローカルエナジーとか中間技術といった話題で随分沸いた。ちょうどよいから、私のプロジェクトの面倒を見ないかと持ちかけたところ、すぐにその場で話しがまとまってしまった。つまり、性格的には多分に「ティダ・アパアパ(気にしない気にしない)」なところがある。私もこの間ティダ・アパアパに染まる体験をしていたので、うまく波長が合った。これが縁というものである。
結局彼が、ウダヤナ大学で教鞭をとる建築デザイナーのライとチームを組んでアピアピの設計施工を担当することになった。出来上がった後の家の管理は、すでに友人のマデがやると決まっている。
マデとラーマとライ、それにペネスタナンの土地、これで役者が揃った。偶然に偶然を重ねてのことだが、これにはひょっとするとヒンドゥーの神々の差配があったかもしれない。

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