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手で食べる

パダン料理

バリ島で、パダン料理というのが結構はやっている。パダンはスマトラの地方の名前。だいたいは、この料理の専門店で注文して食べる
食卓につくとだまっていても、お皿がたくさん積み重ねられて出てくる。どれもこれも黄色くて同じように見えるのだが、よく見ると、それぞれの皿に盛られているのは、鶏の足、ゲソを詰め込んだイカ、ゆで卵、小エビの炒めたもの、キャベツなど、結構いろいろだということがわかる。いずれもクニルという香辛料のはいったスープで煮立てられて、まっ黄々になってしまい、見分けがつかなくなっているのだ。
とてつもなく辛いものもあるが、たいていは口に合って旨い。好きな皿だけとって食べて、後で精算する。ご飯と飲み物は、別に注文する。
食卓には、念のためにスプーンとフォークとが用意されているが、この野性的な料理をそんな道具で食べる人はいない。手で食べる。

ナシ・チャンプル

いっぽう、ナシ・チャンプルという料理は島の定番というべきもので、どこでも食べられる。家庭料理のほとんどはこれと思ってよい。食材は、ゆで卵を揚げたもの、鶏肉の空揚げ、豚肉の空揚げ、野菜を香辛料と一緒に煮込んだもの、その他。こっちもやはり、どれもこれも黒くてぐちゃぐちゃで、見分けがつかない。これらを白いご飯とまぜて食べる。
日本で言うとチャンポンご飯である。おそらく、チャンプルとチャンポンの語源には共通するところがあるのだろう。チャンプルは、"まぜまぜ"というほどの意味、ナシはご飯のことである。
まちなかの屋台やよろず屋さんでも売っていて、こっちはテイク・アウトできるのでナシ・ブンクスという。ブンクスは"包む"の意。ナシ・ブンクスは、片面に油を引いた包み紙を上手に折って包んであり、それを開いて左手に載せて、歩きながらでも食べられるようになっている。
ナシ・チャンプルやナシ・ブンクスも、手で食べるのが普通だ。

優雅に手で食べるコツ

パダン料理もナシ・チャンプルもわたしはよく食べるが、最初は手で食べることに抵抗がなかったわけではない。しかし、少し慣れると「ハマ」る。食事作法の本質に目覚めていくような気がする。やったことはないが、うどんやすき焼きも手で食べてみたくなる。はしたない? だって、お寿司は手で食べるでしょ? 味覚は、確実に指先にもある。

手で食べるのに、当然ながら上手下手がある。闇雲につかんで食べればよい、というものではない。うまくやらないと、単にはしたないだけになってしまう。
上手な食べかたをざっと描写すると、こんな感じだ。

まず右手の人差し指、中指、薬指の三本をそろえて、親指を内側からそっと添える。そろえた指先の腹で皿の中を弧を描くように何度もなでて、食べ物を集める。
集めたかたまりを、しかるべきタイミングでひょいと手前にすくい、そのまま口に持ってくる。口の手前で、添えていた親指の背ではじくと、かたまりがポンと口に入る。その間、指先の描くラインは滑らかで、よどみがあってはならない。ネイティブたちの手さばきは、流れるように美しい。

玉村豊男氏は、ナイフ・フォーク、箸、手づかみのそれぞれの食べかたについて、詳細な描写と分析を行い、この順番で野蛮度が下がっていくと結論づけているが(「文明人の生活作法」新潮文庫)、これは実際にやってみればすぐにわかることだ。手さばきの優雅さや色っぽさを体得するには多少年季を要するものの、手で食べる利点は初心者にも容易に納得できる。
まず、ナイフ・フォーク、箸のように、カチャカチャという音がしない。それから、舌よりもやや鈍感な指先でもって、これから口に入れようとする食物の固さや温度をあらかじめチェックし、舌触りについての予備知識を持てる。パダン料理などは、そうしないと何がなんだかわからないまま口に運ぶことになる。
細かい骨なども事前に指で取り除いておくことができるので、口に入れてからシーハーしなくてすむ。熟練してくると、指先である種の味、たとえば辛みがチェックできたりするのだろう。まさに、指先にも味覚があるのである。安心して食べられるから表情もゆるみ、なごやかさがでてくる。

ヨーロッパで食事にフォークが広く使われるようになったのは産業革命以降で、ここ三百年ほどのことらしい。これに比べ、日本の庶民が箸で食事をしはじめたのは平安時代になってからというから、千年近い歴史がある。
だから、箸には独自の洗練があり、それはそれで捨てがたいのだが、手づかみにはまた格別の風雅がある。なにせ、こっちには何百万年もの間培ってきた美意識がぎっしり詰まっている。

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