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エントロピー増大の法則

熱力学の第二法則(ひとつの表現は有名な「エントロピー増大の法則」である)を乱暴に翻訳すると、すべての物は朽ち果てて土に戻る、ということになろうか。

熱帯のバリでは、確かにエントロピーは増大するものだということが、勢いとして実感できる。新しい物も手垢がつき苔がむし草が生えて、すぐにアンティークになってしまう。アピアピの庭は、できた頃には低い潅木がパラパラ生えているだけで、時にはそこに20人もの楽団が陣取ってガムランの演奏を聴かせてくれたのだが、今ではもうジャングルで、建物はすっかり森に同化した。

村の入口に大型車の進入を止めるための円筒のボラード(車止め)があった。オイル缶を型枠にしてコンクリートを流し込んだだけの、実に素気ないボラードである。これが、普通車の幅ぎりぎりだったものだから、年月と共にすり減ってだんだん細く低くなる。とうとう消失するという寸前に、突然新しいボラードが出現する。長年の間、何度も何度もこれを繰り返していた。ある時、村にバリ州の知事が来るというので、とうとう撤去してしまったが、あの不断の努力は何だったのか。
近くのホテルの屋上にしゃれたカフェテラスがオープンした。雨期を一度過ごした頃には、パラソルのテント地には水垢がへばりつき、それが裏側まで滲みて斑模様になり、白木が匂い立つようであったテーブルやデッキチェアからは、すっかり木の香が抜け落ちていた。

ものの所有関係も、この摂理から例外ではない。私の物もあなたの物も、やがてあまり時のたたぬうちに皆の物になってしまう。サモア語の「私の物」は同時に「あなたの物」を意味するということだが、なるほどと思わせる。

たいていのものは、虫が食べたり、元気なバクテリアが分解してくれたりして、そう長くはかからずに土に戻っていく。大きな石でさえ、やがてガジュマロの根に抱え込まれてゆっくりと時の流れの中に倒れ込んでいく。結局のところ、安定した物は何もない。すべてのものが、より安定した状態に向けて崩壊していく。

万物は、その大きな流れの中でそれぞれの歌を歌う。人も、その流れに身を浸し一時立ち踏ん張って、楽しくマンディ(水浴び)しながら歌を歌う。歌い終わると、ふわりと水に体を落として再び流れの一部となる。生とは、死とは、こういうものだ。
だから、こういうところで生きていると、人の死に対する感じ方もわれわれとは大いに違ってくるのだと思う。お葬式では、あまり人は泣かない。もちろん別れは哀しいものだが、それよりも「ご苦労さん、終わったね、よかったね」というような気持ちがもっと中心にある。歌い終わった人に明るくバイバイするようなところがある。

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