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星の村

ある日、思いついてバリ島一周の旅に出た。私とアピアピ仲間のS氏、マデ、それに運転手のイダ・バグースという組み合わせである。最西端のフェリー港であるギリマヌックからジャワ島を望んだり、国立公園内の路上でキジャン(鹿)に出会ったり、東部のスラヤ山山麓では整然とクブ(農作業小屋)が立ち並ぶ美しい田園風景に溜息をついたり、なかなか変化に富んだ楽しい旅であった。
この小旅行で初めて、島全体のスケールと暮らしのアウトラインを概観できたような気がする。途中で、ロビナ・ビーチに宿をとった。ロビナ・ビーチは北側の沿岸、シンガラジャの西方にあって、島の中ではウブドゥのちょうど反対側に位置する。全島一周の行程の中で、ほぼ中間点にあたる場所だ。以下は、ロビナでの小さな発見のお話しである。

街の西のはずれに近い辺りに、アディタヤという大きなホテルが見つかった。シーズン・オフでもあるし、どこのホテルでも空き室があったはずだが、ロビナのアディタヤというホテルの前になかなか上質のアンティーク・ショップがあると、以前聞いたことを思いだしたので、好き好んでここにチェックインすることにした。
大きなホテルだ。メイン・レストランも100席はあるだろうか。さらに隣に新しいレストラン棟を増築中であった。ビーチ沿いに、2室一棟のコテージが延々と並んでいる。レストランの裏側には、屋上にプールを乗せた不思議なショッピング・アーケードがあったが、もう夕刻に近かったためか、あいかわらず変わりばえのしないバティックや銀細工の土産物を並べたまま電気が消え、店員もどこかへ失せてひっそりしていた。

手持ち無沙汰なままビーチに続く門を出ると、黒っぽい砂浜の向こうにジャワ海が広がっていた。この海はさらにはるか向こうに横たわる、広大な熱帯の島カリマンタンにつながっているはずだ。ジャワ海の空気でも吸っておこうと、深呼吸をする。ひとっ子一人いないと思っていたら、砂浜の陰に座ってやっぱり海を眺めていた物売りのおばちゃんが、目敏く私を見つけて近寄ってきた。

「ああ、何とこの貝殻はきれいだこと。これを買って帰れば奥さんは喜ぶね。それと、このTシャツも何と美しいことか。しかも安いねえ」

もう少し静かにこの黒い砂の来歴についてヘタな思いを巡らせたかったところだが、丁重にお断りして、S氏とマデと3人で連れだって、目的のアンティーク・ショップを訪ねることにした。

ホテルの前にアンティーク・ショップがあると聞いたのだが、とガードマンに尋ねたら簡単にその所在が知れた。
バリ人には珍しく大柄でかなり出たおなかを幅広のベルトで締めあげて、さらに口髭を蓄えた「軍曹」タイプのガードマンである。その彼がわざわざ国道を横断して案内してくれた場所には、石を積み上げて道から少し小高くしつらえた空地に、草がぼうぼうと生い茂っていた。草の間に壊したばかりの煉瓦のかけらがたくさん転がっていて、その薄暗い陰に今まさに一匹の蜥蜴が逃げ込もうとしている。
その様子を見て、この間までここでこだわり亭主が骨董品の店を張っていたのだが、何かの事情で潰れてしまったのだろうということが、すぐに推測できた。

「バンクラプシでね、デストロイされてね。残念だね」

と軍曹がいかにも哀しそうに解説してくれた。細かい事情はわからないし、その亭主に面識があるわけでもないが、こちらも何となくしんみりしていたら、いきなり軍曹が大きな体を弓なりにさせて破顔爆笑

「そういうわけだ。ガハハハハハ」

と大声で笑い飛ばした。こちらも、なんだか申し訳ないけれどもまたそれにつられて、思わず上を向いて

「ワハハハハハ」

と笑ってしまった。

バリの夕暮れは、いつも釣瓶落しである。笑って見上げた空は、もうすっかり暗くなっていた。
目の覚めるような満天の星空だ。とたんに俗世の話しをすっかり忘れてしまった。

視線をおろしていくと、真っ黒な山影を背景にして、空からこぼれたような星々がまたたいている。
星と見まがうのは、遠くの山の端に点々と張り付いた人家の明かりであった。それぞれの家に小さな裸電球がひとつ。それらのつつましい灯火は、光量といい、まばらな密度といい、存在の不確かさといい、上空の星とほとんど見分けがつかなかった。昼間は樹々に隠れてわからないけれども、あんな所まで、結構人が住んでいるのだということが、よくわかる。

あの星のひとつひとつの中に、やっぱりワヤンがいてマデがいてニョマンがいて、目を輝かせながらおじいさんの語る話しに耳を傾けているはずだ。

サン・テグジュペリの「人間の大地」の冒頭は、アルゼンチンでの最初の夜間飛行のことを思い出しつつ、こうはじまる。
「あのともし灯の一つ一つは、見渡すかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇跡が存在することを示していた。あの一軒では、読書したり、思索したり、打ち明け話をしたり、この一軒では、空間の計画を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているのかも知れないのだった。また彼處の家で、人は愛しているかも知れないのだった。それぞれの糧を求めて、それらのともし灯は、山野の間に、ぽつりぽつりと光っていた。・・・。
努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野の間にぽつりぽつりと光っているともし灯たちと、心を通じ合うことだ」

ロビナ・ビーチでの体験は、サン・テグジュペリの感慨をわたしに思い出させてくれた。
これは、軍曹と気の毒な骨董品店のおかげである。

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