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護岸工事

護岸工事

アピアピの近くの沢で護岸工事をやっている。
どうやら、石積み護岸を築いてその上に柱を立て、何かテラスのようなものをつくるらしい。

急勾配の谷を降りたところに小さな平地をつくって、そこまで砂と砂利とセメントをせっせと運んでいる。その平地で表土の上に直接砂山をつくり、それにセメントをふりかけて、川からバケツで汲んだ水といっしょに鋤を使ってふたりがかりで練っている。

生コンの現場工場である。
表土の上で直接コンクリートを練っていると、当然ながら土が生コンに混じってしまうし、逆に土の表面がコンクリートで汚れてしまうではないか、と心配してしまうが、どういうコツがあるのか、そこらへんは上手で、なんだかうまくいっているし、一日の作業が終わったあとは地面に練った跡は残っていない。

練りあがった生コンは、スコップで4杯ずつすくってバケツに入れる。それを待ち構えていた人が肩に乗せて、数メートルの距離を流れの岸の崖上まで運ぶ。
そこには、竹とトタンでこしらえた樋が斜めにしつらえてあって、バケツをひっくり返すと、ざざあっと流れ下って対岸まで生コンが届く、という寸法である。

樋の下にもそれを待っている人が何人もいて、流れ落ちるのをバケツですくって両手に下げ、水の中を歩いて石積みをしているところまで運ぶ。
そこでは、ひとりが川底に転がっている人頭大の石を適当に拾っては積みあげ、その間に受け取ったバケツの中身をひっくり返し、トントンと叩いて残りがないようにしてから、そこらへんに空になったバケツを放り投げる。
投げ捨てられたバケツを拾って、また樋の下から生コンが届けられる。

道路上に置かれた資材の山から、練っているところ、積んでいるところまで、まさに人間ベルトコンベアのような整然とした流れが粛々と稼動している。

いよいよ背丈ほど積みあがったところで、何メートルか間隔で仮につきさしてあった梯子状に組んだ鉄筋を固定するために、そのまわりにドボドボとコンクリートを流しこみはじめた。1ヶ所の鉄筋まわりだけで、数えていると実に56杯のバケツが投入された。

こういう作業が早朝から夕方まで、ときどき全員で休憩しながらつづく。

総員9名。
これに、同じく一日中座ったり立ったりしながら飽きもせずに眺めているギャラリーが3名いた。
実はそのうちのひとりは、聞くと観客ではなく、監督だという。それなら納得するが、しかし他のふたりは近くの村人で、暇だとしか言いようがない。暇な人はもっといるようで、このほかにも通りすがりに立ち寄ってしばらく見ていく人たちが何人もいた。

監督の名はKENTRY、下で働いている9人の子分を引き連れて、はるばるジャワからやってきたということだ。
いま、この辺では老舗の高級リゾートであるクプクプ・バロンに滞在しているというから、そりゃすごい、と言ったら、いやいやクプクプ・バロンの「近く」なんだと、にやにやしながら言い直した。

中間技術

こういう現場を見るたびに、いつも思うことがある。

日本だと、おそらく2、3人が重機を使いまくって1日であげてしまう仕事である。
設計図書は、どこかでだれかが用意したもので、それに忠実につくりあげるのがよい仕事師である。
生コンはきちんと性能が保証された工場からミキサー車で運んできて、場合によるとそれをコンクリート・ポンプで型枠に注入する。
型枠もこれまた、そこらへんから拾ってきたような板切れではなく、ちゃんと寸法通りに切ったコンパネを枠木で補強して、錆びた針金や釘ではなく、専用のセパレータでもって、精密に間隔を維持しながら手際よくとめる。
そうやらないと、完了検査が通らないのである。

こういう几帳面でかつ標準化されたやりかたというのが、日本の高度成長とそれに見合うインフラ整備を支えてきたというのも事実であろう。
しかし、それが地元の工務店ならではの現場の裁量や創意

工夫を拒否して、地域の景観に対する住民の愛着を奪ってきたというのも事実だ。

かつてE.F.シューマッハーがその必要を力説した「中間技術」は、開発途上国だけに求められるのではなく、日本の各地とりわけ農山漁村において、もっとその本質的な意義を再検討すべきではないだろうか。

余計なお世話

ある私的な会合の席上で、地方分権の流れに危機感をもった中央建設官僚のひとりが、中央政府にも大きな役割がある、たとえば道路の安全基準などを専門的に研究してその成果を地方に伝達するといったことを中央がやらないと、効率が悪いし、日本の道路の品質を維持できないではないか、というようなことを真顔で主張しているのを聞いたことがある。
そこにいた当時の建設省の次官や技監あるいは局長クラスの人たちが「ふんふん、なるほど、こいつはなかなか優秀なやつだな」というような顔つきで聞いていた。

お節介な話である。

国は高速道路や直轄国道に責任感を持ってくれれば充分で、地方道はそれぞれの地方がいろいろに工夫して整備し維持していけばよいのではないか。
地方によって道路のありかたが微妙に異なるのが当然だと、みんなが許容するような状況をつくれば、なんの不都合もないのである。

それでは、リスクを地方に押し付けるのではないか、と思うとしたら、それは余計なお世話というものだ。リスクを地方が負わないからこそ、地方の知的生産力が疲弊していくのである。

・・・と思ったのだが、その場では分が悪すぎて、わたしは反論を口にすることができなかった。
しかし、あの席上の人々の顔を思い出すたびに、わたしたちの地域における自前の中間技術の必要性を、ひしひしと感じるのである。

標準化とか、制度化とか、基準化とかに向かいたがる気持ち、あるいはブランドとか、専門家とかをありがたがる気持ちは、一種の権力志向でもある。権力を求める気持ちは、平準化を美化し、中間技術を蔑んでしまうから怖い。

と、KENTRYの現場をわたしも時々ながらギャラリーになって眺めつつ、暇にあかせてつらつらと思いを巡らせたのであった。

この護岸工事に限っていえば、わたしたちの社会のありようは、確実にバリに負けている。

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