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ジャワ人アサ

アサのこと

ペネスタナンの村人アサは、大工さんである。皆はバッパ・アサ(アサおじさん)を訛って「パッソー」と呼んでいる。日中はどこかの現場で働いている。
私の家を着工する前に、せっかくだから工事をやらせてほしいと建築主任のラーマに頼んだらしいが、これは断られたのだそうだ。この話しは相当後で聞いた。
家の完成後の補修仕事は、アサによく頼んでいる。処理が悪くて白蟻に食われた柱の付け替えや、これまた雨仕舞が悪くて腐りつつあった建具の取り替えなどの大工事も、管理人のマデが彼に相談して進めたらしい。

アサはマッサージがすこぶる上手い。これにかけてもプロだ。夜は村の人に頼まれてあちこちでマッサージをしている。大工とマッサージで貯めたお金で、最近プラ(お寺)の前のワルン(村の中にあるよろずや兼飲食店)を買い取って、その営業も始めた。以前から村人の溜まり場になっていたワルンである。私もときどきここで昼食を食べる。

マッサージ中の会話

マッサージを頼むと、夜9時だろうが10時だろうが快くやってきて、テラスに寝そべった私の足の先から頭のてっぺんまで入念に揉んでくれる。オイルを少し使って、およそ1時間半程度のコースである。
揉んでいる周りに、マデや父親のバッパや義弟のニョマンやお手伝いのヌンガが集まってきて、みんなで世間話をする。揉まれている私をカモにして、インドネシア語を中途半端に教えては、皆で笑い転げたりする。
傍らで、バッパとアサとがこんなやり取りをしていた。

「○○はバリ語では何というか?」
「××はジャワ語では何というか?」
「マドラ語では?」
「ふむふむ、なるほど」

といった調子。この会話をインドネシア語でやっている。
よく聞くと、アサはここのネイティブではない。ジャワ島の東端の町の出身で12年前にバリ島のサヌールに来て、6年前にペネスタナンに移り住んだ。だからジャワ語は自分の言葉である。
バリ語とジャワ語とは、それでも似ている所があるらしいが、インドネシア語はそれらから見ると全くの外国語である。マドラ語もそうらしい。同じ村人同士が、世間話をしながら、お互いのふるさとの言葉を、またそれとは違う言葉を使って教えあっている。大いに奇妙な風景だ。
こういう環境だから、例えばバリ娘のヌンガが日本語や英語の腕をメキメキ上げているのも、なるほどと思う。

バンジャールのバリア

アサが帰ってから、彼はいったい何歳かとバッパに聞くと、彼はジャワ人だからそういうことは尋ねたことがない、という冷たい返事が返ってきた。

ジャワ人は、日常的にも一線が画されているようだ。イスラム教徒だから、当然バンジャールのメンバーではない。しかし、バンジャールには宗教以外の役割もあるので、毎月5千ルピアを負担している。そのかわりにバンジャールの使役などの義務は免除されているのだそうだ。
ただし、敢えてメンバーになろうと思えばなれる。現にマデの奥さんのお姉さんの旦那さんのスギオノは、やはりジャワ出身のイスラム教徒だが、バンジャールのメンバーである。なかなかややこしい。

こういう話しを、バッパは極めて物静かに語ってくれる。その語り口の中に、バンジャールの誇りが燦然ときらめいている。そのきらめきは、アサのような部外者に対しては冷徹なバリアでもある。バリは、決して脳天気に朗らかなだけではないのだ。
日本の農村社会も、かつてはこのように輝いていたはずだ。今はバリアだけが残ってしまったように見える。

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