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バリ人の親和性について

道端に、難しい顔をしたおじいさんが座って、こちらをいぶかしそうに睨んでいる。
前を通りざまに目があったので、(こんにちは)と目配せすると、とたんに相好を崩して(やあ、やあ)と破れるような笑顔を返してくれる。
おじいさんだけではない。女性も子供も青年たちも、おおかた皆そうである。

タバナンの花畑で

山奥の踏み分け道のような急な坂道をバイクで恐る恐る降りていたら、ちょっと開けたところの棚田に見事な花畑が出現して、一面に黄色い花が咲いていた。おおっと思ってバイクを停めると、人の声が聞こえる。

背伸びして手前の茅越しに畑を覗き込むと、男性がこちらに向けて手を振りながら「おいでおいで」と言っている。「はいってもいいか」と大きな声をあげたら、眼下にあった作業小屋から小さな女の子が走り出て、あぜ道を伝ってお父さんのところへ逃げ込んだ。

この女の子が、後でしげしげと観察すると、年の頃は5、6歳かと思われたが、すらっと面長で目鼻立ちがくっきりして、ガンダーラかヘレニズムかというような、大げさに言うと目もくらむような美少女であった。
そういえばこのあたりには、こういう容貌の少女が多い。アピアピのウタリもそうであった(19歳になった今もそうだが)。
この話題に切り込んでいくのは、きわめて興味深いことだが、ここでのテーマとは関係ないので、あらためて別の機会にじっくり考えることとしたい。

さて、彼女にならってあぜ道を行くと、6~7人のおばさんたちが、篭を抱えて花摘みの作業をしている。
闖入者が現れたのがわかると、手をとめて寄ってきた。
花は、頭につけたりチャナンに入れたりする飾りで、牛乳瓶の蓋をちょっと大きくしたくらいではあるものの、山吹色の細長い花びらがびっしりと盛り上がったボリューム感のある花である。よく見る花だが、名前を知らない。
そういえば、しょっちゅう見るのについぞ栽培されているのを見かけたことがなかった。こういうところで育てられていたのか。

おばさんたちは、頬かむりをしているのでそう見えたのだが、近寄ってみるとみなさん、うら若いとは言えないまでも、20~30代の働き盛りのもと美少女であった。

この花の名前を聞くと「GUMITER」だという。わたしの発音を何度も修正してからかいながら、うちのひとりがこちらの耳にそれを挿してくれた。

ここで、とりとめのない会話を2~30分交わして作業の邪魔をしてしまったのだが、暇乞いをしてバイクに戻り、わたしは気分よく口笛を吹きながら意気揚々と、再び山を下った。

タバナンのバイク娘

ちょっと広めの見晴らしのいい山道を、風景を眺めながらバイクでとろとろと走っていたら、後から来たバイクが追い越すふりをして右に並び、こちらを見て「どこに行くの?」と声をかけてきた。
ヘルメットの中を見ると、ガンダーラ風ではないが、年の頃17~8歳のバリ風美少女がニコニコしている。なんだ、なんだ、と心が思わずときめいてしまった。

ときめきをなんとか隠して「うろうろしてるだけ」と答えると、「気をつけて」と言い残してバアンと前に出た。ちょっと惜しい。

そこで、まったく実際上の必要から後を追って、「お~い」と捕まえ、「ガソリンがないんだけど、この近くにどっかワルンはないだろうか」と尋ねると、「あっちの村にあるから、ついて来て」と数kmの道を先導してくれた。
案内されたワルンの店先に、ガソリンをいれた1リットルビンが並べてある。彼女は片足をついてバイクを停め、エンジンを切らないままそれを指差してニコっと微笑むと、再びブラウスをはためかしながら颯爽と去っていった。

振り返ると、ワルンのおばさんが両手に黄色いガソリンのはいったビンとロートをもって立っている。「何リットル?」注ぎながら「どこに帰るの?」ウブドゥと聞いて「ヒョエェ」という顔をしながら、聞きもしないのにあっち行ってお寺を右に曲がって、とメインストリートに出る道を教えてくれた。

ウマ・マンディの夕食

夜、ネットの調子が悪いので、PCを抱えてウマ・マンディのカフェに行く。

ウマ・マンディはアピアピから田んぼを2、3枚隔てた先に最近できたホテルである。フリーのWiFiがある。
聞くところによると、チャハヤ・デワタ・ホテルのオーナーであったムヌット氏が、おそらく高齢のため同ホテルを手放し、第1婦人の子供であったマデ・ダナのために建てた。室数6でプールもあるちょっとおしゃれなホテル。4室の増築が終わって、来春には10室ホテルとして再オープンするという話である。
まわりは一面の田んぼで、年中ホタルが飛んでいる。

懐中電灯をもってカフェにはいったら、そこでダナとうちのマデとホテルのスタッフのグブロックの3人がテーブルを囲んでナシ・ブンクスを頬張っていた。グブロックの奥さんが作ったナシ・ブンクスらしい。

おいしいよ、わたしは3人前食べた、食べない? とダナがしきりに薦めてくれたのだが、あいにくとさっき食事をすませたばかりだったので辞退し、ビンタン・ビールを注文。しばらく、彼らの会話に耳をそばだてた。

とはいえ、会話はバリ語で、まったく何を言っているのかわからない。ときどきこちらに英語か簡単なインドネシア語かもっと簡単な日本語で話を振ってくれるときだけ、ついていけるような有様であった。
しかし、悪い気はしない。40前後の男どもが、薄暗い東屋の下に夜な夜な集まって、ごそごそとナシ・ブンクスを指でまさぐりながら、きゃっきゃと談笑を楽しんでいるのである。
その様子を、ビンタンを飲みながら観察するのは、こちらにとっても至福の時間である。

この人たちは、生まれも境遇も立場も違うのに、なぜこんなに仲がよいのか。とくに決まった仲良しグループとも見えない。
実際にマデの家の庭にいると、入れ替わり立ち替わりいろんな人がやってきて、日替わりのグループができている。たまにはそこにマデの奥さんのつくった料理がでてきて、急ごしらえの晩餐会が始まるのである。
しかし、マデがとくに社交的で近隣から親しまれる存在かというと、そうも見えない。
まあ、とにかく、世間一般にこの人たちは仲がよいのである。それを見ながら時間をつぶして、とうとうPCは動かず仕舞いであった。

タバナンの美少女と、もと美少女たち、バイク娘とワルンのおかみさん、ウマ・マンディの中年男たち、つい先ほどのことではあるが、いずれもよき思い出である。

バリの楽園性は「息子はお父さんのように、娘はお母さんのようになりたいと思える」ところにあると言った人がある。わたしの思い出からさらに追加して言うと、誰をも羨まず、誰をも敵とせず、誰とも張り合わなくても、ちゃんと生き抜いていけるのだ、と信じていられるような点でも、バリは楽園といえるのではないか。

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