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タバコ屋さんを探す

2017年6月、タバコが切れた。
村のワルンには、どこでもタバコを扱っているが、いずれも紙巻タバコでそれも数銘柄しか置いていない。
わたしのタバコは、パイプ・タバコである。これまでは切れないだけの量を持参していたのだが、今回は切れた。欧米からの観光客がわんさか訪れているから、パイプ・タバコも簡単に手に入るだろうと思って油断していた。

ところが、ウブドゥを探しても全然見つからない。
いくらなんでも、クタまで行けばあるだろうと、往復76kmの道をバイクででかけた。

クタビーチは、1960年代にヒッピーやサーファーが開いた街で、いまもサブカルチャーやマジック・マシュルームやタトゥーやジゴロが渦巻く混沌の地。言ってみれば、何でもありの街である。
だから、クタにパイプ・タバコのないわけがない。
個人的には日ごろ敬遠しているのだが、この際しかたがない。

クタの街なかにたむろしている若者のひとりをつかまえて、こちらのタバコの袋を見せ、「これと似たのを売っているところはないか」と聞いてみる。
彼らは、日がな一日道端に座り込んで、観光客相手になにか小遣い稼ぎはないかと待ち受けているのである。だから、わたしの質問に答えるのも仕事なのだ。
残念なことにすぐに思い当たらなくて、一緒に探そうということになった。バイクを彼が運転し、わたしが後ろに乗って裏道の店を梯子する。

最初に行ったのはシーシャ・バー。シーシャとは水タバコのことである。
扉をあけると何人かの客が座ってシーシャを吸っており、部屋中に煙が充満して、カウンターの向こうの店員の顔も霞んでいた。いかにも妖しい空気だ。「ここには、シーシャ・タバコしかありません」すぐにそこを出る。

さらに何軒かタバコの専門店に立ち寄ったが、どこにもパイプ・タバコは置いてなかった。うちは嗅ぎタバコだけとか、うちは手巻きタバコだけとか、それぞれマニアックな内容なのに、パイプ・タバコだけがない。

最後にはいったショッピング・センター内のタバコ店で、手巻きタバコの葉が似たようなもんですと言われ、いささか疲れた表情の案内の若者も同調するので、あきらめてその葉を一袋購入し、彼と別れた。

ウブドゥに戻って、田んぼの縁に腰掛けて手巻きタバコの葉をパイプに詰めて一服する。

田んぼには、最近活躍しはじめた耕運機がはいって土をかき混ぜている。たくさんの白い鳥が遠くでえさをついばんでいたが、耕運機が動き始めると、一斉に集まってきた。耕運機で耕したあとにえさがたくさんあることを知っていて、怖がることもなくまとわりついているのである。
あの鳥の名前は何かと尋ねると、ココカンだという。チョンマゲのないサギのような鳥。あるいは帽子をぬいだサギ。
耕運機は、ココカンの群れをかき分けるような調子でゆっくりと行ったり来たりしていた。

クタとは違って、こののんびりとした空気の中で手巻きタバコを吸っていると、少しは慣れて手巻きを代用品として味わえるようになるかも・・・・・と期待していたのであるが、案の定苦いというか焦げ臭いというか、わたしの口にはまったくあわなかった。
田んぼからの帰りがけに村のワルンで紙巻きタバコのガラムとマルボロを一箱ずつ手に入れ、クタで買った手巻きは帰ってからマデのお父さんにプレゼントした。

教訓 ----- バリにパイプ・タバコはない。切れたら近くのワルンで紙巻タバコを買うこと。そんなことはないとは思うが、シーシャには手を出さないこと。

追記 ----- その後、広島で懇意にしているタバコの専門店の方に問い合わせたところ、わざわざインドネシアからタバコを輸入している商社に聞いて丁寧な返事をいただいた。
「結論から申しますと、どうやらパイプタバコは売っていないようです。
インドネシアにはパイプタバコの文化が根付いておらず、好きな方は独自で個人輸入をしながら楽しんでいるとのこと。
また、タバコ店や観光地の高級ホテルには高級葉巻は置いてあるものの、パイプタバコは確認したことがないそうです。ただし、全てを訪ねたわけではないから、もしかしたらあるかもしれないとは仰ってました」

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