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病院探し

病気になった

バリに着いてすぐ、体調というか顔調がどうも思わしくない。

最初は、ひさしぶりに会った犬のクリオに呼びかけようと口笛を吹こうとしたのだが、あれ? 音が出ない。
気がつくと、唇の感覚が少しなくなりかけている。困ったものだ・・・というのであった。

これが日を追うごとに、あれ? ではなくて、あれあれ? という具合になってきて、とうとう顔の右半分が固まってしまった。右目だけ閉じようとしても左目も閉じてしまうし、右目に涙が止まらない。物を言うにもやけに呂律がもつれる。飲んだコーヒーがぼろぼろと口からこぼれる。
これは、実はずいぶん前に経験があるのだが、顔面神経麻痺に違いないのである。
笑えないけれども、顔がゆがんで、実際に笑う表情をつくることができなくなってしまった。

前回は、朝起きたら顔の左半分がぶら下がっていて、当然ながらパニクってしまった。何科に駆け込めばよいのかもわからず、耳鼻咽喉科であることを知るまでに何軒かはしごした。10日ほど入院してステロイドを打ち続け、その後も喉仏に麻酔を注射するために定期的に通院し、完治するのに半年ほどかかった記憶がある。
それに比べると今回はそれほどでもない。とはいうものの、このまま固定してしまうのも困るし、もしかして、もっとやっかいな病気であったらもっと困る。とりあえず医者に行かなくてはならない。

病院さがし

こういうときにまず頭をよぎるのは、呂律はともかく、もともと語学のそれほど堪能でない自分が、この複雑な状況をインドネシア語や英語でうまく伝えられるだろうか、という心配である。
ネットで日本語の通じる病院というのを探すと、幸いなことにデンパサール市内にいくつもあった。
過度な期待を抑制しつつ、片っ端から電話をかけてみる。案の定、日本語の通じるところは見事にひとつもなかった。
1箇所だけ、予約してもらえればその時刻に日本語のわかるスタッフを呼び寄せておく、その費用と治療費、薬剤費を除く問診のみで105万ルピアである、というところがあった。すげぇ! おそらく総額では日本との往復航空運賃を超えることになるだろう。

外務省のページを見ると、なんでも2016年に「外国人医療従事者に関する規制」という外国籍の医療従事者を排除する政策転換があって、日本人の医療関係者が引き上げてしまったため、日本語の通じる病院が少なくなってしまった、ということらしい。
しかし、どの病院も当の外務省の息のかかったと思われる団体が「バリ島で困ったらこの病院へ」と今現在紹介しているのである。そのうえ、リンクが貼られたどの病院のホームページも、しっかりと日本語で案内してあって、保険の手続きも安心などとPRしている。1年以上も前のホームページが更新されないままで残っているのである。それもすべての病院で。

日本語が通じないのであれば、わざわざ遠くの病院に行くこともない。

Toya病院へ

アピアピの隣に住んでいるアメリカ人のエルニー氏がしきりにリコメンドしてくれるので、とりあえずウブドゥのToyaMedikClinicに行ってみることにした。専門医はいないらしいが、ここから近い。車で5分ほどである。まずはそこへ行ってみて、思わしくなければ105万ルピアに行くか、ということにした。

幹線道路に面した雑然とした町並みの中にまぎれて立つ、思ったほど立派ではない平屋建てのこじんまりしたオフィスである。
玄関先に車を止めて、ガラスのドアを恐る恐る開けると、そこがすぐに待合室で、数人のお客さんがソファに腰を下ろして順番を待っていた。その奥の受付カウンターの向こうに、男女二人のスタッフが立っていて、こちらに視線を向ける。
女性の方に、試しにインドネシア語で「だれか日本語話す人いますか」と尋ねたら、横のTシャツにジーンズをはいた男性スタッフがたどたどしい日本語で「わたし、少しわかります」
わおぉ、助かった!
彼の名前はニョマン。
恰幅の良いお腹を前に突き出して、どたどたと歩く青年である。前掛けをつけると、どこかの八百屋さんの律儀で頼りになるお兄さんといったところ。このニョマン氏が、この後最後までつきっきりで面倒をみてくれた。

待合室はそこにいる全員の息遣いが聞こえるほどの狭い部屋で、隅っこに血圧計が置いてある。右隣に続く診察室のドアは開け放されていて、中に複数のベッドがあり、患者が横たわっているのが見える。ベッドの間を何人かのスタッフが歩き回っている。

ここはバリなので、椅子に座って2時間待とうと3時間待とうと驚かないぞと覚悟を決め、とりあえずスマホを出していじり始めると、5分とたたないうちにニョマン氏が呼びにきたのに逆に驚いた。

連れていかれたのは、待合室の左手奥にある小部屋である。ドアを開けると、ドクターがニコニコしながら机から立ち上がって迎えてくれた。
年の頃30前後のニ・マデ・スリ氏。ふくよかな、いまオーブンから出したばかりというような頬をしたメガネの美女である。
わおぉ、105万にしなくてよかった!

スリ氏は、丁寧に問診触診を行ったあと、処方箋を書いてニョマン氏に渡した。これは顔面神経麻痺のうちのベル麻痺である、原因はわからないが、逆にわかると怖いことが多いので安心するように、とりあえず薬を飲んで、日本に帰ったらすぐにお医者さんに行くように、と噛んで含めるように説明してくれた。

帰国してから、いろいろと事情があって4人の医師の診断を仰ぐことに。前回かかった大病院の耳鼻咽喉科、街の脳神経外科、友人の耳鼻咽喉科開業医、友人で近所の内科開業医。
全員から、大したことではない、まあ、2~3週間で治るでしょう、という意見をもらって一応安心し、おとなしくしていたら発病後ほぼ3週間でもとに戻った。

結果的にみると、スリ医師の診立てと処方がきわめて的を射たものであることがわかった。これで自分のふくよかな主治医ができたようで、ちょっと嬉しい。バリで病気になったら、なにはともあれToyaMedikClinicに行こう。

ベル麻痺は、休眠していたヘルペス・ウィルスがストレスや疲労をきっかけに再活性化しておこるのだと聞いた。
スリ医師が驚く様子もなく的確な診立てを行ったということは、バリにも普通に症例があるのだろう。とすると、バリ人にもストレスを持つ人がけっこういる、ということになる。
当たり前だけれども、単純にティダ・アパアパだけですませているわけではないのだな、ということに気がついた。

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