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使えないお札

MACにて

2015年10月16日深夜、ングラライ空港の外で待っていると迎えが来てくれた。
マデと、隣村のカフェ「ウマ・マンディ」のスタッフであるグブロクのふたり。夜中の12時をまわって小腹も空いていたので、途中のMACで車を停めて腹ごしらえをすることにした。

10数年前には信じられなかったことだが、最近はKFCなど24時間営業の外資の大きな店が幹線道路沿線にちらほら見えて、いずれもけっこう賑わっている。

支払いは6万ルピアほど。日本を出るときに、机の中から大量のルピア紙幣を発見したので、それを持ってきた。空港で両替はしていないが、とりあえず今はお金持ちである。
ポケットからお札を出して1枚2枚と数えて渡すと、レジの娘さんが、「これダメ、これいい」と仕分けをして、ダメなのを返してきた。えっ? どういうこと?

旧紙幣廃止

とにかく、使えないものは使えない。

翌朝、マデと息子のトリスタンと、たまたま家に来た大工さんのイットノウと3名で、持参したお札の点検をしてくれた。

その結果、どうも1999年以前の発行紙幣が軒並み使用不可らしいということがわかった。それで、わたしの財産はおよそ2/3ほどに目減りしてしまったことになる。

なぜ、こんなことが許されるのか。たかだか16年前の発行紙幣が紙切れになっているなんて。

マデの説明によると、古い紙幣は簡単な印刷なので偽札が作りやすいため廃止された、ということだったが、どうも眉唾だ。では、国民にタンス預金をさせないための措置だったのか、あるいは観光客による現金の持ち出しを抑制するためだったのか、いずれにしても釈然としない。

スハルト大統領が辞任したのが1998年、その後を襲したハビビがメガワティの闘争民主党に総選挙で負けて辞任したのが1999年で、長年のゴルカル支配が崩壊して、インドネシアはこの頃に国が変わったのである。
刷新された新体制のもとで、旧体制のお金を情け容赦なく使えなくした、というのがおそらく本当のところではないだろうか。どさくさのお祭り騒ぎのなかで、国民もそれを許したのでしょうね。

実際に旧紙幣が廃止されたのは、2008年12月で、その後も5年間は経過措置として銀行で新紙幣に交換されたらしいが、その間旧紙幣は敬遠されてババ抜きのような現象が見られたという。わたしはそれすらも知らないで、ずっとババを抱えているうちにゲームが終わってしまった、というわけである。

旧紙幣大浮上

ちなみに、Wikipediaで見てみると、現行の7種類の紙幣はすべて1998年以降に発行されたものだという。

などと暢気に調べていたら、わたしの持っていた1000ルピア紙幣と同じものがAmazonでコレクター向けに545円(実に表示額の60倍!)で売られていた。
持っていたのはすべて1000ルピアというわけではなかったが、ほかも似たようなものとすれば、わたしの全財産は1/3が60倍だから、全体で20倍にもなる計算である。
すぐにマデに連絡。「おい、昨日の使えないお金はどうした?」「イットノウが持って帰った」「すぐに返してもらいなさい」

まあ、実は取り返してみたところで、処分の手間隙を考えると面倒ではある。本当に20倍になるのであれば、これからの何度かの旅費がビジネスクラスでも賄える計算ではあるが、そんなにうまくいくわけがないだろう。
全部が全部レア紙幣とは思われない。なかにはよれよれのものもあってそれらはタダ同然に値踏みされるだろう。
そう考えると、ここで目の色を変えるのもはしたないし、実際にその先もわずらわしい。とりあえず返してもらって、日本に持ち帰り、あと10年くらい経ってから机の中で再発見することにしよう。その頃には、100倍くらいになっているかもしれない。

夢の跡

「イットノウには連絡ついた?」「ついた」
「返してもらった?」「もうなくなった」

マデの説明によると、かの大工さんは非流通旧紙幣を持ち帰って友人に配ってしまったのだそうだ。なんの目的で配ったのかというと、友人たちはいずれも旧紙幣のコレクタであったのだそうだ。
これはもう、完全に確信犯といわねばならない。この野郎!とは思うが、しのごの言ってみても返ってはこないのがバリの常識だ。まあ、ちょっとした夢でした。

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