アルディ先生に会うために、日帰りの予定でジョグジャカルタへ行ったのは4月29日のことだった。蛇足ながら,そのときの見聞をもう少し付け加える。
朝からいろいろ教わって、昼食をご一緒して、大学に帰ったのが3時頃。そろそろお暇して、ボロブドゥールでもついでに見てからそのまま空港へ行こうと思ったら、ボロブドゥールへ行くのなら私の車を使いなさい、ということになって、先生の「変ですね」の車に大学の運転手をつけてくれた。
ところが、案の定この車が20km走らないうちにエンストを繰り返すようになってしまった。運転手さんは、車の不調とインドネシア語を解さないエイリアンと、二重の困惑でさぞかし大変だったろう。車をだましだまし動かし、先生の居所を探して自宅まで送ってくれた。3人で協議の上、私はタクシーでボロブドゥールへ行き、そのまま空港へ直行することになった。ボロブドゥールは5時に閉門するので、急がなければならない。
先生が値段交渉をしてくれたタクシーは、矢のように走った。この疾走するタクシーの体験には、まことに凄まじいものがあった。
これまでにも、いろんなところで凄まじいタクシーに出会ったことがある。
プサンやバンコクでは、タクシーが文字通り車の洪水の中を、クラクションを鳴らしっぱなしで走る。まるで水の一分子になったかのように、洪水をかきわけかきわけ走るのに感激した。
グラナダではアルバイシンの丘の狭くてしかも迷路のような石畳の路地を、狂ったようなスピードで走り回るのに閉口した。クッションの悪いベコベコの車が、デコボコの石の上を飛び跳ねていくのだからたまらない。
しかしそれらは、騒音や居住性の悪さに閉口したのであって、耳を塞ぐとか舌を噛まないようにという緊張感はあっても、もっとトータルな生命そのものに肉薄する緊張感という点では、到底ジョグジャのタクシーに及ぶものではない。
インドネシアも日本と同様に車は左側通行だが、2車線の道でも、ジョグジャのタクシーは、まず左車線を走らない。常に前の車にぴったりつけて、センターラインをまたいで走る。これは、いつでも追越しができるようにというためである。少しでも前の車にすきができようものなら、にわかに抜きにかかる。対向車がこようとこまいと関係ない。対向車がひるめば勝ち。ひるまなければ、すんでのところで引っ込む。次の機会を待つ。その間にも、脇をすり抜けるバイクあり、前を走って横切る横断者あり、こちらと一緒に抜こう抜こうと、後ろにぴったりつけるトラックあり。よく伺うと、一緒にではなくて、抜かねば抜くという殺気がみなぎっている。
こういうカーチェイスが、見通しのきかないカーブであろうと、坂の頂上であろうと、延々続くのだ。いったい何キロでているのか、メーターに目を向けたら、針がなかった。
こちらは、運ちゃんに運を任せた身だから、興奮していても始まらない。深呼吸をして、力を抜いて、静かに宇宙の存在に想いを馳せてみる。しかし、力を抜いたはずの掌の中には、じわっと汗が湧いてくる。ああ、恐い。
このタクシーで、往復80kmの道のりを、あっという間に走り抜けた。ボロブドゥールの印象は、ほとんどどこかにかすんでしまった。
マナーというのは、信頼関係を維持するために、一種のバランス感覚を共有するシステムだと思うから、これもまたマナーなのだろう。ただそれが、我々の目には異常と映るだけなのだろう。しかし、この異常さはどこからくるのか? もって生まれた風土や生活のリズムに対して、あまりにも不調和な内燃機関のパワーとスピードが、新しい調和を求めて格闘しているところから生じる捻れなのか? あまり、考えたくない。