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オダラン

雨季のある日、大きなオダランに遭遇した。
「オダラン」とは、お祭りのことである。「ウパチャラ」もお祭りで、どういう使い分けなのかはよくわからないが、オダランの路上に「ウパチャラがあります。通行注意」という立て看がでているので、たぶんウパチャラのほうが広い概念なのだろう。

ペネスタナンからチャンプアンに抜ける通りに面したワルンでコーヒーを飲んでいたら、遠くからガムランの音が近づいてくるのがわかった。
なんだろうと思っていると、やがて車の喧騒が姿を消して、目の前を正装した男女がぞろぞろと歩くようになった。中には知った顔もいて、こっちを見て「おおっ」というように手を振っている。
「オダラン、オダラン、これからウブドゥのお寺に行く」

桟敷席よろしく行進を見物した。まず、先導する黒服の男数人の後に、供物を頭に載せた女性たちの一群がつづく。そのしばらく後に賑やかなガムランがいて、またそのしばらく後に背の高いランダがふたつ、それにつづいてバロンが3体、さらにガムラン、人、人、ガムラン、人、人とつづく。ガムランの楽団は、都合4隊がいた。それら一切を、村人や観光客の大群衆が包み込んで、全体がウブドゥに向かって進む。おそらく2千人は下らないだろう。
これだけの行列だから、当然道をふさぎっぱなしである。行列の後には、おびただしい数の車やバイクが本体以上の長さに連なって、のろのろと後を追っていた。

あとで聞いたところによると、ペネスタナンのバロンをウブドゥのお寺に連れて行く式典で、これは11日間つづくオダランのなかの一大イベント(おそらくクライマックスか)なのだそうだ。ふつうのオダランは3日間なのにたいし、こんな大きなオダランは10年に一度だというが、それはどうかわからない。お葬式にしろ、ほかのウパチャラにしろ、10年に一度、20年に一度というイベントに、しょっちゅう遭遇しているような気がするからだ。

一服してから、小雨模様のなかをウブドゥまで追いかけることにした。

もうすでに行列の姿は見えず、ガムランの音もクラクションに消されて聞こえなかったが、途中で道端の人に「バロンはどっち行った?」と聞くと、すぐに「あっち」と指差してくれるので、迷うことはなかった。
途中で、正装した子供たちを満載したトラックが、追い越していく。
道々、思い起こすとあのバロンは前日の昼間にアピアピのすぐ目の前の小さなお寺を出入りしていたバロンだ、ということに気がついた。祠がぱらぱらっとある程度のほんの小さなお寺だから、バロンの本拠地というわけではない。おそらく、常住のお寺からウブドゥのお寺に詣でる前に、村の中を巡回していたのだろう。

お寺についてみると、群集はさらにふくれあがっていた。よく見ると、ほかの村から来たらしいバロンも整列していて、お坊さんの聖水を受けている。

行列のガムランではなく、あずまやに陣取った固定のガムランが2隊いて、ひっきりなしに演奏している。うち1隊は珍しいことに、女性だけのガムランであった。
一般にガムラン楽団の男たちを一人ひとり見ていると、にやけたのがいたり、あくびをするのがいたり、いやそうに横を向いているのがいたり、要するにシャンとしないのだが、女性のガムランはまったくちがう。みんな背筋を伸ばして、凛としていて、まことに「カッケエ」。「普段は男どもにやらせているけど、本番は任せられないからね」というような風情であった。

さらにあとで聞くところによると、このお寺だけではなく、数日前には近くの別のお寺にバロンが集結していたということなので、ウブドゥ周辺の村々全体を巻き込んだお祭りのようである。それぞれの慣習村のバロンたちが、それぞれ何千人もの村人を従えてあっちへ行ったりこっちへ行ったり、たいそうなことである。

こういったお祭りは、大小を問わなければバリではいつも行われているような気がする。バリの道路は、半年は車の通行のために、半年はお祭りの行列のために使われているのではないかと思ってしまう。

行列を先導する人、バロンの中にはいる人、山車をかつぐ人、ランダをかぶる人、供物を運ぶ人、銅鑼をかつぐ人、太鼓をたたく人、笛を吹く人、供物の容器をつくる人、お祭りにはそれぞれの役割分担がある。
日ごろはWi-Fiフリーのワルンでフェイスブックをやっていたり、真っ赤なバイクを乗り回してマーボーロを吸っていたりする若者たちにとって、年中繰り返されるお祭りは、村の中での自分の役割を再確認する機会になっているのだろう。

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