三重県美杉村(現津市)に美杉東小学校という学校があった。その校歌の一節。
ポツンと一人 なぜだか一人
なみだが すうーっと出てきそう
『いっしょに遊ぼう』って声をかけてくれた友達
ホァーッと 心があったかくなって
どんどん 勇気が出てきたよ
うきうき わくわく 友達っていいな
うきうき わくわく 学校っていいな
この調子で三番までつづく。
学校の名前もないし,雲のたつ峰もなければ,久遠の歴史もなく,ちっとも校歌らしくない。だいたい,学校とは学ぶところだ,という押しつけがない。
聞くところによると,1998年に二つの学校が統合して誕生したときに,6年生全員が協力して作詞し、翌年校歌として制定したのだそうだ。
2008年度の学校案内を見ると、新入生5名を加えて全校児童52名、3・4年生が複式学級という、小規模校である。
「平成10年度6年生一同」の作詞の言葉
「他の学校にはない,この母校の校歌をわたしたちは日本一の校歌だと思っています」
確かにそうだと思う。
残念ながら、美杉東小学校はその後さらに他の2校と統合されて新・美杉小学校となり、2010年に閉校されているが、この校歌は歴史に残ってよい。
次は、ある町の基本構想の冒頭に掲げられた基本方針の一部である。
基本構想は、1969年に地方自治法が改正されたときに「その地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための」計画として策定が義務付けられた。だから、たいていどの市町村にもある。
日常生活の安全の確保を図るとともに、健康づくりや福祉のまちづくりに取り組み、ふれあいと交流に満ちた、健康で安心して暮らせるまちづくりを進めます。
この文章を、できることならよく噛みしめてみたい。
基本構想というからには、その町を具体的にこうしたいという思いが住民に伝わり、共有され、力をあわせるための共通の言葉にならなくてはいけない、と思うのだが、いくら噛んでも、そういうパワーが出てこない・・・と思うのは、わたしだけではないだろう。
ふれあいって何だろう、交流って何だろう、と悩んでいるうちに気が萎えてしまう。
ある町といったのは、この例が特別ではないからである。
以下、各地の自治体が掲げる「都市像」を思いつくままに列挙する。
「活力あふれ感性息づく芸術文化のまち」
「輝きとやすらぎと交流のまち」
「環境をまもり、連携するまち」
「自然と人が輝き、豊かさを協働で追求するまち」
・・・
・・・
世の中には「便利言葉」がたくさんある。
黄門様の印籠のようなもので、それを言えば、すべて丸く治まる言葉、だれでもわかったつもりになれる言葉、だれも反対できない言葉である。
これらの言葉には、どこかですでに意味内容がよく吟味され、お墨付きが得られているものという、暗黙の了解がある。だからもう、自分で吟味する必要がない。深く追求するのは、野暮というものだ。
それで、本当のところは自分でも意味がよくわからない言葉になってしまっていることが多い。
便利言葉の羅列による基本方針や都市像がまったく力をもたないのは、そういう理由による。議会対策とかを考えると、おそらく力をもつと困るのだろう。
そもそも、なにごとも一言で言えるほど単純ではない。それを、「活性化」とか「連携」とか「交流」とか「ふれあい」とか「寄り添う」とか、心地よい一言の中に押し込んでしまうのが便利言葉である。本当は、大切なことほど言葉にならないものだ。
それぞれの世界に便利言葉がある。心ある人たちは、それをどうやって日常の言葉に置き換えようか、ということに腐心している。便利言葉を廃することによって、新しい理解を開こうと苦労しているのである。
美杉東小学校の校歌は、その努力の賜物だから、日本一の校歌と思えるものができた。
活力や、芸術文化や、輝きや、ふれあいや、交流や、やすらぎは大切だが、それはそういう紋切り型の言葉を捨ててはじめて獲得できるものではないか、と思う。