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旧市民球場跡地

旧市民球場跡地

広島市の都心のど真ん中に、およそ2.5ヘクタールほどの空き地がぽっかりと残り、人が出入りできないように、その周囲が高いパネルのフェンスで囲まれている。

旧広島市民球場の跡地である。1957年に地元財界の寄付によって完成し、2012年に解体が完了した。その後、13年4月~5月に全国菓子博がほぼ1ヶ月、同9月に広島オクトーバーフェストが11日間(14年にも開催)のほか、2日間程度の短期イベントに何度か利用されて現在にいたっている。解体がはじまってからだと4年以上の間、ほとんど塀で囲まれていたわけである。

都心の一等地でもあるし、旧市民球場がなくなった後を埋めて、中心部の賑わいに活かしたいという思いから、その利用方向について、市民の大きな関心を呼んできた。

1月28日に広島市が発表した「旧市民球場跡地の空間づくりのイメージ」は、それに対する回答といえるものである。

旧市民球場跡地の空間づくりのイメージ(平成27年1月)

いったいあれは何だったのか

それを拝見しながら、正直いって、あれはいったい何だったのか、とあらためて思う。05年11月から何度も実施された提案募集のことだ。市民や団体から377件、民間事業者から26件の応募があった。民間事業者には、さらに事業計画提案を求めて6件の応募があり、そのなかから3回の選考委員会を経て2件が優秀案として採用されたのが、07年8月下旬のことである。

11年には、市民団体による「被爆100年広島市中央公園アイデアコンペ」が開かれ、3次にわたる投票や公開プレゼンテイション、作品展示会、公開討論会などを通して、「市民と共に広島市中央公園のあり方を問い直し、広島平和記念都市建設法にうたわれている都市づくりの理念を再確認する」取組みが行われた。これには、72件もの応募があり、その結果はホームページ上などで丁寧に紹介されている。

これらの経緯について細かく論評することは避けるが、これだけ多くの議論を交わすなかで、提案者も、選考委員も、市民も、それなりに真摯に取り組み、未来の中央公園に夢を馳せたのである。

あれから、何を学んだのか

わたしは377件+26件+6件+72件の提案をすべて眺めてみたことがあるが、目もくらむほどの、計画ボキャブラリーの宝庫であった。
これらをきちんと踏まえれば、さぞかし優れたプランニングが可能であろうと思わせるものがあったし、そう苦心することで、提案した側の情熱と努力に報いるのが、礼というものであろう。
すくなくとも、あれだけの案を集めながら、今回の整備案では、心に響くコンセプトワードが提案されず、「文化芸術」「緑地広場」などという中身も素っ気もない言葉を聴かされるのは、情けない限りである。無視された人たちに浴びせられた冷や水は、冷淡であると同時に、もったいないことであったと残念だ。

10年の12月、突然強権的に、ほとんど議論もないまま市民球場が取り壊されたのは、あれは愚行という以外に表現しようのない暴挙であった。市民球場といっしょに、先人の汗に敬意をはらい、歴史的な積み重ねを慈しみながら、広島らしい都心空間をつくっていこうという、地道な姿勢がすっかり壊されてしまったように思う。
今回の「空間づくりのイメージ」で、ふたたび市民が都心を考える意欲を減退させてしまうのではないかと、心配だ。

中央公園は

旧市民球場を含む中央公園が公園として完成したのは78年であるが、もちろん土地の歴史は長い。城下町の武家屋敷、陸軍練兵場、原爆スラム、復興公園と、まさに都市の歴史を体現した経緯をたどって現在にいたる。
それから立地上は、正真正銘のセントラル・パークであって、都心の風格と魅力を決める重要なオープンスペースであることは、誰の目からも明らかである。
ここに新たな絵を描こうとすれば、手がふるえるというのが普通の感覚であろう。
先人の積み重ねに対する敬意、一時的にせよここをふるさととせざるをえなかった人々に対する責任感、この場所の位置づけの重さといったものが、手をふるわせるのである。

わたしは、広島市の今回の案に失望したのであるが、それは先述のように市民の意見が反映されていないとか、コンセプトに花がないとか、絵柄自体が稚拙である、といったこともあるけれども、それらが主たる理由ではない。もっとも大きな理由は、手のふるえが見えないということだ。温かみのない無難な折衷案のようなものを平気で示す無神経さは、いかがなものか。
しつこく言うが、中央公園は、広島の復興の象徴であると同時に、その位置・規模からみても、きわめて貴重な都心の空間資源である。この空間を使って市民に夢を語れないというのは、まことに罪なことだと思う。

夢を語るために

夢を語るために、いま必要なことは何か、いくつか考えてみた。

(1)周辺との関係を再構築すること

現在の中央公園のもっとも大きな弱点は、都心部からのアクセスや視認性が悪いということだ。このために、せっかくの規模と立地がいかされず、都心の魅力づくりに効果が発揮できていない。
現在公園内にある諸施設は、戦後70年をかけて営々と配置してきたものである。
これらが、その時々の判断によって計画されたため、結果的に乱開発のようなものとなり、全体として閉ざされた公園のようになってしまった。

中央公園に新たに手をつけるとすれば、この現状を少しずつ再構成して、いかに都心に対して開かれた公園にしていくか、ということが計画されなければならない。
メルパルク、商工会議所、NTT、バスセンターなどがいずれも中央公園側を裏にしているのを、どのように改善していくか、というのが最大最優先の宿題のはずだ。市民は、その答えを待っている。

そのためには、公園内の配置計画以上に、周辺敷地での都市計画の運用や公園管理の特例対応のようなものも考える必要があるので、土俵はどんどん広がってしまうが、そんなことを厭うのであれば、あえて公園に手をつけないほうがよい。いまの案では、たとえば巨大な「文化芸術施設」なるものの壁で東側をふさぐ、などという逆に公園側から恒久的に都心に背を向けるような計画になってしまっている。

(2)アクション・プランを示すこと

中央公園をよりよくするために、誰が何をすればよいのか、ということを示さなくてはいけない。たとえば、商工会議所やPL教団はどうすればよいのか、当事者の判断に委ねてすませるというのでは、計画といえない。

また、屋根つきイベント広場や文化芸術施設も結構だが、その運営主体と市民のかかわりかた、つまり主体的持続的に市民文化をここで発展させていくためのシステムの提案がなければ、単に箱をつくっただけのものとなる。運動論のない施設整備という愚を繰り返すことは、すくなくとも中央公園ではやめにしたい。

ついでながら、平和の軸線のコンセプトもいかにも安直である。平和の軸線は、戦後ずっと尊重されてきた伝統的なコンセプトであり、基町の市営住宅をはじめ、中央公園周辺のプロジェクトではつねに深慮されてきた。その本命たる軸線を中央公園内に造成するのだとすれば、定規で線を引けばよいというものではないだろう。世界の人が注目するようなアーバンデザイン上の達成がなければ、笑われてしまう。そこで、どのような苦心や発明がなされたのかということが、きちんと伝わるような計画案でなくてはいけない。

こういった観点からプランニングを再考して、もう少し迫力のある案を提示してほしいと思う。
ワクワクするようなイメージ図を見て、ぜひとも賛同したいのである。ワクワクしながら、次の各論に分け入る気力を盛り立てたい。そうしてこそ、戦後12年という時期にナイター球場を完成させた先人の努力に報いることになるのではないか。

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