category name  »  page title date

イベント考

独り占めしないこと

あるとき,東京から月刊誌の記者がやってきたら,家のまわりのあっちこっちで,もうもうと煙が上がっていた。

「あれはなんですか?」
「今日はあいにく,わが集落の草焼きの日である」

お互いに気もそぞろで,早めにインタビューを切り上げて,作業に合流することにした。
草焼きは,ご承知のように大変わくわくする仕事である。記者とカメラマンは地元の人たちと一緒になって,飛び跳ねながら火をつけてまわり,灯油のバーナーを貸してあげると,それをかついで夕方まで帰ってこなかった。

中国山地では神楽が盛んで,競演大会などもよく開かれる。しかし,本番はなんといっても,秋祭りの奉納神楽である。日頃人気のない八幡神社が,その夜はにぎやかな会場になる。
でも,観客はほとんど地元の人。一番おいしい神楽は,独り占めしているのである。

まちおこしイベントが盛んである。イベントのためのイベントは無意味だとか,一過性のイベントに効果があるのか,と言われるけれども,イベント自体が悪いのではない。思うに,うそっぽくて,本当の感動に結びつかないのがよくないのである。
しかし,草焼きというしんどい仕事が,都会人を夢中にさせる。八幡さんの神楽が,心に染みる。
何千人も来なくても,わざわざ舞台をこしらえなくても,屋台が並ばなくても,濃密な共通の思い出をつくることができる。
新しいものを企画する必要はない、と思う。「出し惜しみをしない」「独り占めをしない」という目で眺めれば,参加者に感動を与えられるイベントの種が,地域にはたくさんある。

あほらしいこと

ベルリンフィルのピクニックコンサートは,近郊の森の中にあるヴァルトビューネ野外音楽堂で,毎年6月末の日曜日に催される。飲み食いしたり,寝そべったりしながら,2万人の観客がてんでに楽しむらしい。行ったことはないが,一度は出掛けてみたい。

The Berliner Philharmoniker at the Waldbuhne

イタリアのヴェローナにある古代ローマ時代の屋外闘技場では,毎年夏にオペラ祭が開かれる。設備がないのでロウソクをともして,こちらも2万人の人が繰り出す。100年近く続いているそうだ。
会場は出入り自由で,町全体が劇場になる。季節はずれに行ったことがあるが,なんの変哲もない静かな田舎町である。闘技場は,町のど真ん中にそびえる巨大な廃墟であった。

Arena di Verona, Festival del Centenario 2013

こういうイベントの迫力は,ひとつはそのあほらしさから来ている。

雨が降ったらどうするとか,音楽というものは咳ひとつない静かなところで聞かねば,とかいった心配を誰もしていない。とにかく,理屈もへったくれもない大らかさがある。

もうひとつは,逆にやる側の本気度から来ている。

ベルリンフィルは言わずと知れた超一流オーケストラ。

ヴェローナのメインの出し物アイーダでは,ステージ上の出演者が360名に達するという。
テレビでその様子を見ると、以下のような大スペクタクルが展開される。

暮れなずむ夕空を背景にして、手前に古代闘技場の石の階段。その壁の上には、篝火を手にした古代エジプトの兵士たちが並んで立っている。
さらにその手前に巨大なステージ。ちょっとした体育館のアリーナくらいの広さがあり、バスケットコートなら2面は取れるのではないか。柱脚の上には、ファンファーレを吹くラッパ隊。
アイーダの第2幕第2場、将軍ラダメスの凱旋の場面では、有名な凱旋行進曲に乗って、おびただしい数の兵士や踊り手や捕虜たちが後から後から入場してくる。本物の馬に乗った騎士も4騎入場。
実は、総勢500人なのです、といわれてもわからない。

日本の花火大会なども,何の役にたつのかというあほらしさと,”煙火打揚従事者手帳所持者”の緊張とが同居したところに魅力の源泉がある。

イベントとは,こういうものである。「文化」とか「芸術」という言葉がつくと,あほらしさが薄まって,気が抜けてしまうケースが多い。

思い出すのは,安西冬衛の「春」と題する有名な一行詩だ。

    てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行つた。

春の草原の安寧を捨てて命がけの道を選んだてふてふ(蝶々)の決断は,まことにあほらしい。
しかし,彼の目は,地上の誰にも見えない雄大なパノラマの先の大陸を,きりっと見据えているはずだ。
非日常のイベントに期待するのは,ひとことでいえば,そういう心意気なのである。

奇祭

冬ホタル

秋田県仙北郡西木村(現仙北市西木町)上桧木内では、毎年2月10日に紙風船を飛ばす。市の無形民俗文化財に指定されている祭り。人口5,100人の村に12,000人の観光客が訪れるという。
和紙を貼りあわせて巨大な紙の熱気球を作り、下に灯油を布玉に染み込ませたタンポと呼ばれる火種をいれ、各自がその年への思いを託して夜空に舞い上がらせる。
高さは3mから大きいものは12m、和紙を広げると畳40畳、重さは30kgにもなるというものまであるそうだ。
8つの集落が2ヶ月かけて、合計80個から100個もの紙風船を競ってつくる。これらが、2時間のうちに次から次へと音もなく雪原の上を浮遊しながら上昇し、ほのぼのとした光を放ちつつ星空に向かって消えていく。幻想的な情景は、「冬ホタル」といわれている。

冬ホタル

天灯

台湾の天灯、タイのコムローイ、ポーランドのスカイ・ランタンが類似。
天灯は新北市平渓区十分村で行われる。同じく小正月に飛ばすものだが、こちらは4枚の画仙紙でつくるもので、小さい。台湾の法令で大きさが直径60cm、高さ130cm、外周360cm以内と制限されているのだそうだ。小さいながら、舞い上がる数が無数で圧巻。人口1,100人の村にこの時ばかりは26万人の客が押し寄せるという、驚くべき観光行事となっている。

コムローイ

タイ・チェンマイのコムローイ祭も、十分村同様、星の数ほどの小型紙風船が夜空を埋め尽くす。こちらは、陰暦の12月の満月の夜。

スカイ・ランタン

スカイ・ランタンはポーランドのポズナン市の聖ヨハネ祭が有名。こちらは、夏至の夜である。

これは、ヨーロッパでもいろいろなところで開かれているらしく、一度に放つスカイ・ランタンの数のギネス世界記録は12,740個で、ルーマニア第2の都市ヤシ市が2012年に達成したという。
ポズナンも挑戦したが、惜しくも記録更新ならず。しかし、一説によると同市での打ち上げ総数は5万個に達したのだそうで、半端な数ではない。

奇祭

天灯、コムローイ、スカイ・ランタンはいずれも小型で大量というのが共通。形も似ていて、飛んでいる写真だけ見るとどこの紙風船なのか判別がむつかしい。

これに比べて、西木村のは、ひとつひとつがはるかにでかく、数が少ない。ひとつの紙風船をつくり、打ち上げるのに、集落全体の共同作業でやっている、というのが、他の類似例と本質的に異なる。世界でも類を見ない奇祭というべきでろう。

世の中に「奇祭」といわれるものが多々ある。
これらは決して、合理的あるいは管理的な思考からは生まれ出ないものである。
「火事になったらどうするのか」「誰かが怪我したらどうするのか」「交通事故でも起きたらどうするのか」といった心配事は、奇祭につきものだ。だから、そういった心配に万全の備えをする、という余計な労力も馬鹿にならない。

でも、なんだかわからないが、こういった馬鹿馬鹿しいエネルギーの無駄遣いが人々にはかりしれぬ達成感をもたらし、それを通してお互いの結束を確認する効果をもっているのである。

「なんだかわからないが、楽しい」ということの重要さを、もっともっと噛み締めるべきである。

inserted by FC2 system