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花はだれのもの

ポエマ計画の報告者

1993年、ベルリンで「第3世界における農村開発」というテーマの国際会議が開かれた。ここに、ポエマ計画の報告者としてナタリシア・ゴベイアがひとりで派遣された。
ポエマ計画は、ブラジルのアマゾン河口地域で、アグロフォレストリーや天然素材の産業利用、適正技術による生産・環境維持、などの統合的なプログラムによる農村開発を進めているプロジェクトである。

ナタリシアは当時32歳の主婦、グランジ村の住人。ポエマ計画の熱心な参加者ではあったが、単なる村人のひとりで、小学校4年を終えると親の農作業を手伝って育った。飛行機にも乗ったことがない。外国語も話せない。

「彼女は会議の席上でアマゾンの文化や生活様式などをグランジ村を例に淡々と説明した。自分たちの文化をいかに守っていくのか、そこに貧困があるがどうしてそうなっているのか、どうしたらいいか、などを話したのだった」(「アマゾンの畑で採れるメルセデス・ベンツ」泊みゆき+原後雄太著から)

「壇上のナタリシアのとなりには、ブラジル大使館やドイツ外務省の高官たちが座っていた。彼女は臆することなく、すごい張りのある声で堂々とスピーチして会場を沸かせた。グランジ村の人々が自分たちで生活を改善していくんだという意気込みと熱気が伝わってきた」(出席していたドイツ緑の党の議員ヴィリー・ホスの談、同書から)

このプロジェクトの提唱者や推進者として、大学教授や国会議員、行政マン、企業家など、本来報告の栄を戴くべき人がたくさんいたはずだが、プロジェクトの輝きという点からいうと、彼らのうちの誰も、彼女にかなわなかったと思う。彼女も立派だが、彼女を派遣したリーダーたちはもっと偉い。

ベネトンのアートスクール

あるとき建築家の安藤忠雄さんのお話を聞いた中に、「私の設計する建物には、建設に携わった人全員の名前を残すんだ」という下りがあった。口調を再現すると、こんなお話であった。

(ベネチア近郊に建築中であったベネトンのアートスクールの銘板のスライドを見せながら)「石工さんに言わせると、俺がベネトンのアートスクールを造っているんだ、というんですね。左官屋もそう言うんですね。僕が今造っている建物はほとんど、全員の名前を入れてます。ベネトンでは全員入れようと思ったら2千人くらいになってしまいよりました。こんな感じです。僕の名前はここにはいってます。そうしたら、全部が、これは俺が造ったと言ってるんですね。やはり自分がここで生きているんだという証しがみんな欲しいわけです。それを経済社会は認めずにやってきました」

花はだれのもの

何かをなしとげた手柄を誰がとるか、という判断は、一見些末で下品な話題に聞こえるかもしれないが、実は大変重要なことである。
それぞれの生きた証しとして、その軽重を問うことはつまらないことだ。汗をかいて行動した人が、控えめなために匿名を強いられて、評論だけしていた声の大きな人が世間の注目を浴びる、というのではなしとげたこと自体の意味が軽くなってしまう。

リーダーたるもの、自分でしゃしゃり出ることを画策するよりも、ナタリシアのような人を発見する努力をしたほうが、よほど楽しいはずなのに、思わず自分の社会的立場についての姑息な野心が前面に出てしまう。そうならないための緊張感を、組織論を云々するときの基本としたいものだ。

組織論は、その陰に必ずといってよいほどこの「誰が花をとるか」という個人的思惑が潜んでいる(ように見えてしまう)ために、どこかで胡散臭くなってしまう。
大切なのは、携わる人々が、それぞれのその時その時の役割を気持ちよく正確に認めあい、尊敬しあうことであって、名目上の発言権や決定権に優劣をつけることではない。
あの団体はいろんな人がすごいことをやっているけど、そういえば、あれは一体誰が中心でやっているの? と聞かれるようになれば大したものではないか、と思う。

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