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反骨プランニング

その時代その時代に流行の価値観や課題を反映して、都市計画やまちづくりの世界でも一種のブームがある。
さしあたり昨今は、“人口減少社会”という強迫観念を背景とした“コンパクト・シティ”などがそれではあるまいか?

一介の民間コンサルタントの身でそれに背を向けるのはなかなか難しいが、少なくとも冷静に批判的に眺める姿勢だけは気持ちの中に保持しておきたい。
・・・・・・ というつもりで、以下に戯言を記す。

人口減少社会

都道府県の総人口の推移

日本の人口が減る

平成17年から27年の10年間で、日本の子供人口(0~14歳)は1,752万人から1,589万人へおよそ163万人減少した。率でいうと10年間△9.3%という速度である。
多少乱暴ではあるが、この率がそのまま続くと仮定すると、ちょうど3千年紀のはじめには、子供の数が1,000人になってしまう。それから2百数十年ごとに1/10に減っていき、今からおよそ1700年後の西暦3708年には、ついに日本の子供は1人となって、5月5日が祝日でなくなってしまう。

同じような試算をもっと大真面目に行った「日本の子ども人口時計」というおもしろいサイトがある。東北大学大学院経済学研究科吉田研究室が公開しているもので、この時計によると子ども人口が1人になるのは、今から約80万日後、すなわち西暦4211年10月11日のことであるという(平成29年4月11日現在)。

子ども人口時計 - Economics of Aging; 加齢経済

 
まだ2,000年ほどは大丈夫かと安心する向きもあるかもしれないが、日本の人口が減少に向かっているのは確かであって、巨艦とそれにまとわりついた艦隊がじわ~っと転回しているような具合で、途轍もなく大きなイナーシャがそれを支えている。将来多少出生率が回復したからといって簡単にとめられるものではない。
いまや合計特殊出生率は人口を維持できる2.07をはるかに下回る1.46(2015年)で、生涯未婚率は男女とも急上昇中、人口の構成も年少人口及び生産年齢人口が減少し、老年人口が増加する少子化超高齢化に突き進んでいる。

都道府県単位で眺めてみても、ほとんどが今世紀にはいって減少に転じており、東京圏の東京都、神奈川県、埼玉県などでも先行きが怪しい。千葉県などはすでに減少に転じている。
1950年から70年頃に問題となった地方圏の人口減少が大都市圏への流出であったのに比べると、ずいぶん様子が違う。

市町村単位で眺めるとさらに深刻である。
直近の国勢調査では、5年間に10%以上の人口が減少した市町村が47、うち15%以上が10もある(東日本大震災の被災地を除く)。
5年間に10%というのは、1万人の人口が50年たつと3千人になってしまうという恐るべき減少率である。実際には、一般に人口減少市町村の減少は加速しているので、これよりも早く小規模化が進む。

こういう統計報告は山のようにあって、国民は脅され続けているが、極めつけは国立社会保障・人口問題研究所が4月10日に発表した“日本の将来推計人口(平成29年推計)”であろう。それによると2015年に1億2,709万人であった人口が、2060年には9,284万人に、さらに2110年には5,342万人(参考推計)にまで減少するという(いずれも、中位推計)。

地方消滅

こういう脅しを背景として、昨今、集落崩壊の危機に関する調査結果や報道に接しない日はない。

全国の総人口は2011年をピークに実際に減少をはじめたのだが、地方圏、なかでも中山間地域では、それはすでに3~40年も前から回復の見通せない厳しい現実であった。
このことが最近急に脚光を浴びるようになったのは、2014年5月に日本創成会議「ストップ少子化・地方元気戦略」いわゆる増田レポートが「2040年までに全国1800自治体のうち896自治体が“消滅可能性都市”となる」とショッキングな分析結果を公表してからではないだろうか。

しかし、このまま推移すれば地方自治体の経営が立ち行かなくなる、という指摘が正しいとしても、同レポートが提言しているような、出生率を高めて全体の減少傾向に歯止めをかけよう、地方への人口移動を促そうという対策は、それだけでよいのかと考えてしまう。
それでは、単なる数のうえでの帳尻あわせではないか?

まずは、地方自治体の経営改善を長期的な視野にたって進めるべきだ。
レポートを受けて各地で大慌てで策定させられた“人口ビジョン”を見ると、このあたりの苦心がほとんど見られなくて、ひどいのになると出生率と純移動率の値をちょっとなめて数字あわせをしてみました、といったようなものになっている。
真の危機感がないのである。
そういう暢気さが、本当は地方消滅の一番の原因ではないのか?

ついでに言うと、自治体の計画というのはどうも建前と短期的な実利に走って、効果のあがっていない場合が多い。
たとえば、「中心市街地活性化基本計画平成28年度定期フォローアップ報告(内閣府地方創生推進事務局)」によれば、84市の84計画を279指標について集計したところ、「進捗状況が順調で、目標達成可能」と申告したものが176指標(63%)、逆に言えば4割の指標が順調でないか、目標達成が困難という結果だったという。
計画期間の完了した計画の最終フォローアップ11市11計画33指標についてみると、目標を達成したのは、14指標(43%)にとどまっている。

オモロイことはないのか

それはそうと、ここで根本的な問いを発すべきであろう。

        人口が減って、はたして誰が困るのだろうか?

このことは、なかなか答えにくい。答えにくいから、どうしてもイデオロギーの問題にすりかえて終わりにしてしまいがちだ。
しかし、せっかく人口減少時代に遭遇したこの機会に、そこに考え込んでみる勇気をもつのも悪くはない。

と思って、人口減少社会に関する著作をいくつか読んでみたが、楽観派にしろ悲観派にしろ、数にこだわってどこか上滑りで、ストンとくるものがなかった。
その中で、「人口減少社会の設計」(松谷明彦・藤正巌著、中公新書)は一人当たりの労働賃金の分析を通して、人口増加時代が人々にけっして幸せをもたらしたわけではないことを検証し、これからの人口減少は社会の大変革を伴うが、それを「悲観的にとらえるべきではないと考えている。要は人々がその変化にいかに速やかに順応できるかの問題である」と、冷静に将来への指針を提示していて、勇気づけられた。
そこで言われるように「目標は人々が幸福を感じられる経済と社会」なのである。

ところで、“過酷な現場”の実態を想像してみよう。
国や自治体とちがって、地方の限界集落に住む人々はもう少し賢い。

老年人口が100%に近いような集落でも、けっして意気消沈してみんな何もせず静かに人生の終わりを待っているわけではない。
自分たち年寄りが楽しく暮らしているのを見せてやろう、というような意気込みで、リタイア後の楽しみを見つけて溌剌と活動している高齢者がたくさんいる。

耕作農地が全体の2割になろうと1割になろうと、それは市場の事情と働き方の変化によるもので、自分たちの日常に直接関係するものとは思えない。
むしろ残りの8割とか9割を使ってヒマワリを植えようか、それともナタネかレンゲがきれいでよいか、いやそれよりもソバを植えて年末にみんなで蕎麦打ちをやろうではないか、と新しい遊び場が生まれたのである。

政府や大企業の無策や横暴をなじるのも大切だが、それよりもまずは自分たちの楽しみだ(それに対して、ソバなど景観植物以外のものを植えるのは中山間地域直接支払制度の適用を受けている農地では許可できない、と農政が四角四面、十把一絡げの運用で邪魔をする)。

学校が廃校になろうと、子供がいないのではしようがない。それなら、みなの思い出のつまった校舎を使って地元のたまり場になるような食堂でもやってみようか、ついでにアーティスト村を併設して街の連中に提供してやろうか、とこれも新しい遊び場への転用である。

彼らにとって、一面の見事な稲穂の波がセイタカアワダチソウに変わったり、学校が廃校になったり、駐在所が統合されてよそに行ったり、農協ストアがなくなって日用品を買うのに遠くのスーパーまで出かけなくてはならなくなったり、というような変化が一挙に進んでしまうのは、たしかに困ったことに違いない。
しかしそれは現実であって、自分たちは現に生きている場所で、ちゃんと生きがいを見つけてやっていかなくてはならない。それが人間の誇りというものだ。
このままだと公的なサービスがしにくくなる、とは言われても、どうせこれまでそんなに潤沢なサービスはなかったのである。

そういう基本的なこと、それぞれの場所でそれぞれの人が意義ある人生を送れるような社会的な環境を整えること、それに対してたとえば行政はどう取り組むべきなのか、といったことが重要である。
長く生きてきた高齢の人たちは、それぞれ余人に代えがたいスキルを持っている。そういう人たちが自助・共助しながら新しい地域暮らしの形をつくっていくというのが先決だ。

いまは福山市に合併されてなくなってしまったが、合併前の旧沼隈郡沼隈町が実施していた「地域づくり推進事業」は、そういう意味で秀逸な事例であった。
公園とか集落道路といった公共施設の計画を住民自らがつくって、実際の工事も住民が行うのである。町はそれに現物支給を行う。制度創設当時の倉田町長の言葉は
「親が汗水流して積んだ擁壁にスプレーで落書きする子はおらん」
住民自治の果敢な実践である。地方自治体の経営改善も、こういうところから始まる。

本当は、そういうことをこそ議論していきたい。数の問題ではないのである。
子供を再生産できる年代の純移動率をどうやって高めるか、移住の助成金がよいか、子育て環境か、住宅か、いやいや就労支援か、といった当面の成果を求める議論に終始してしまうのは、まことに悲しい。

自助・共助しながら新しい地域暮らしの形をつくるなんて、そんなきれい事で集落が維持できるわけはない、という意見も聞こえそうだ。
しかし、いきなり交流だ起業だといわれても、その副作用は大きい。もっとオモロイことはないのか、オモロイことをすんなり実現できる方法がないのか、というのが地域の側の正直な気持ちだと思う。

極論を言いたくはないが、その結果集落が消滅したとしても、そこに生きた証が残れば、とりあえず今の住民にとっては満足ではないか? 集落がなくなって、都会に出た人たちの故郷が山に戻ったからといって、誰が困るのか? それを放っておいた自治体も、実のところはそれほど困らないのではないか。
38豪雪を引き金とした挙家離村の頻発で、瞬く間に多くの集落が廃村となった中国山地の町村では、それぞれに悲喜こもごもの物語があったろうが、それによって立ち行かなくなった自治体というのは聞かない。

国があれこれ言ってくれなくてよい、お節介をするな、と主張するような生死・成否を度外視した英雄のいる集落が、結果的には残る。それ以外は、残らなくてもこれもしようがない。

あくまで極論ですが。

なぜ人口は増えなくてはならないのか

さて今度は都市部に話を移して、次のような点について疑問を投げかけたい。

        どうしても人々はぎっしりと集まって住まねばならないものか?

かつて、さる地方大都市の企画課長さんで、国から派遣された優秀なお役人がおられた。反対論者との喧嘩のしかたなど、いろいろと面白いことを教えてもらったのだが、都市基本計画の議論をする中で彼が大真面目に言ったこと・・・・・・

「都市というものは、とにかく人口が増えなくてはいけない。それが、アプリオリな基本目標である」

この主張は、あまりピンとはこなかったものの、あえて反論する技量も持ち合わせなかったために議論はそれ以上深まらなかったのだが、少なくとも、アプリオリな目標というのには抵抗があった。
これは、国の経済規模の拡大が資本と人口の増加率によって測られるとした“国富論”(1776年、アダム・スミス、第8章「労働賃金について」)の世界ではないか?
そもそも、経済規模は拡大しなくてはならないものなのか?
アダム・スミスの70年後、ジョン・スチュアート・ミルはこう言っている。

「人間にとって最善の状態は、誰も貧しくなく、さらに豊かになろうとも思わず、豊かになろうとする他人の努力により誰も脅威を感じることがないような状態である」(“経済学原理”(1848年)第4部第6章「定常状態」)

最近は、かの企画課長さんが当時の正論をぶった時代背景が大きく変化した。
経済学のもうひとつの伝統であるこのゼロ成長論に、素朴に立ち戻ってみるというのも悪くはないかな、という空気がそこはかとなく漂いはじめている気配があって、わたしなどは少しワクワクしている。
“グローバル経済”などという勇ましい掛け声が、悪の雄たけびだというような論調が盛んになっているではないか。
そもそも人はこれまで、いつも「成長」「成長」と言ってきたわけではない。

人が増え家が建ち並ぶと、それがたとえその地に愛着をもたない人ばかりであっも、家並みの上を電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされていても、隣に住んでいる人のことを知らなくても、街が発展したという。
そのあおりを受けて、“発展”しなかった田舎では、いろいろとさびしいことが起こったのだが、この“発展”という言葉に人々が疑いをもちはじめた、と思いたい。

日本の総人口の推移

ところで、日本の過去の人口はどのように推移してきたのかをみると、左のとおりである。縄文早期から前期にかけての2~11万人(年率でいうと0.05%/年の増加率!)というのははるかな思い出としても、奈良・平安の頃は5~600万人で500年ほど過ごした後、戦国末期から急増し、江戸後期の150年間は3,000万人台を安定維持していた。奈良・平安がどうだったかは意見が分かれるかもしれないが、縄文、江戸というのは日本のよき時代としてなにかと話題に上る時代である。
注目したいのは、人口が5,000万人を超えたのが1920年頃という事実である。社会保障・人口問題研究所の2110年推計値5,342万人はショックではあるが、冷静に考えると、たかだか大正時代の人口規模にもどる、ということでしかない。
もちろんこれも極論であって、人口総数だけではなく、人口構成が問題でもあり、そこにいたるプロセスにも大いに不安があるが、これは楽観的な未来像をもつのに少しは貢献するのではないか。

分散居住バンザイ

長かった旧石器や縄文の時代あるいは大正時代まで遡らずとも、つい4~50年ほど前まで、生活の中心は農山漁村にあって、わたしたちの多くは低密度な居住とそれを基礎とした地域社会に支えられて人生を送ってきたのである。
ここ半世紀ほど過酷な実験を行ってきたが、思い直して再びもっと分散して住もうではないか、という計画論があってもよい。
考えてみれば、都市に集まって何かを“成長”させる必要はなかったのである。

いまや、求められるインフラの内容も大きく変わりつつある。
交通基盤の地位はまだゆるぎそうにないが、通信基盤の強弱が居住や産業の立地に大きく関与しはじめた。
供給処理やエネルギーはいまだに大規模集中型に依存しているものの、それらのシステムも分散型に切り替えれていけば、コストもリスクもより少ないものになるということは、多くの人が指摘している。
どこにいても有意義な人生を送ることができて、そのための社会的コストも低くすることができる。

以下、私事で恐縮ではあるが、低密度地域に居住する個人的な感想または意見として・・・・・

交通基盤

これは現在極めて脆弱である。とくに公共交通はかろうじて日に何本かのバス便が利用できるものの、ないに等しい。
鉄軌道の引けないところでの公共交通はバス、と決めてかかるからこうなるのである。分散居住型の低密度地域では、もっと多様な仕組みがチャレンジされてよいのではないか?
当地でも、道路上にはたくさんの車が走っている。自家用車やトラックに加えて、給食の配送車、郵便配達車、デイサービス送迎車、宅急便、幼稚園バス、その他いろいろ。これらの車の多くは空気を運んでいる。空気の代わりに人を運んではどうか、一定の条件で白タクを容認してはどうか、バスへの補助金や負担金も節約できる、とつねづね冗談っぽく言ってみるのだが、冗談としか受け取られない。
当然さまざまな心配事はあるが、それをうまくカバーするような制度設計を行うことは、それほど困難ではない。少なくとも“統合型リゾート”よりも格段に生産的といえる。

通信基盤

最近になって、携帯各社の電波が届くようになったので、日常生活の不便はなくなった。
しかし、速度が遅いためにインターネットはもっぱらNTT回線に頼っている。ところが、それさえいまだにADSLで光回線に比べると雲泥の差がある。郡部でも光ファイバーに切り替わっているところが多いと聞くものの、当地は郡部ではなくれっきとした広島市内の田舎であるために、逆にそのあたりの対応が遅い。合併町の悲哀である。
インターネットを多用するような仕事は、こちらではまだまだできそうにない。でもまあ、そのうちほかが飽和して、こちらにも光回線が来るのだろう。

供給処理

水は地下水の汲み上げで用が足りている。上水道の配管が10年以上も前に敷設されているが、いまだ使う必要を感じていない。敷地内には、昔使っていたという横穴があって、適切に管理していればそこからも水を取ることができるはずだ。近所の家では、山からパイプで沢水を引っ張って垂れ流しにしている。贅沢の極みである。人が少ないからそういうことができるのだ、と言われるかもしれないが、数10年前には上水道もないのに今の3~4倍の人が暮らし、風呂にもはいっていたのである。

屎尿は、いまだに汲み取りである。いつのまにかバキューム車が来て汲み取ってくれるので、さしたる切迫感はないものの、その先がよくわかっていないので不安だ。雑排水は、大きな枡に流して沈殿させ、上澄みを礫で浄化して水路に流している。そのうち合併浄化槽を導入するつもりだが、いずれにしても公共下水に入れるよりも文化的で幸せなことだと思っている。

ごみ。リサイクルできるものは、集落で設けたステーションにリサイクル業者が取りに来てくれるので、そこに運ぶ。燃えるごみは家で燃やす。灰は庭に撒いて土壌改良に。大型ごみ以外は一般廃棄物として出したことはない。問題はこの大型ごみで、年に1回程度の頻度で広島市の清掃工場に持ち込んで処理してもらうのだが、これもなんとか“地産地消”できないものか? そうできれば、大規模な清掃工場や埋立地に依存しなくてもよい、分散型の処理インフラが完成する。

エネルギー

ガスはプロパンガスで、ガス管が来ているわけではないが、ガス屋さんが定期的に見に来て知らない間に補充してくれるので、ボンベを置いている以外に都市ガスと変わったことはない。

灯油は、大きなタンクを据えている家もあるが、我が家の場合は空のポリタンクを門の前に置いておくと通りかかった灯油屋さんが1日とおかず補充しておいてくれる。

電力は電力会社から買う。

いずれも、それらの背後には巨大な基地があって末端の生活を“知らない間”に支えてくれているのだが、よく考えると回りは自然エネルギーの宝庫だ。
河川とはいわず、渓流や用水路に小型の発電機を複数据えておくだけでも、立派に集落内の電力需要をまかなえるだろう。メガゾーラーや大規模な水力発電所などと違って、その維持管理や補修は専門家に頼らなくても地元の人たちのノウハウでできる。バイオマスにいたっては、腐るほどある。
問題は、それらのローカルなエネルギーを円滑に流通させる仕組みがないだけなのである。いわゆる再生可能エネルギーの利用を推奨する書籍は山のように出ているが、それがなかなか分散居住のインフラにならないのは、技術的な問題ではなくて、社会的な問題である。

コンパクトシティ

何を集中させるのか

低密度に分散して住んでどこが悪い、そのためのイノベイションを妨げる壁は意外と低そうだ、という端的な例をあげた。

さて、ここで“コンパクトシティ”を俎上に乗せる。

上に述べたような現実を踏まえて、分散型居住を前提としたインフラ整備にシフトすれば、その面での社会的コストは大幅に削減され、それぞれの集落の暮らしの安定度は向上する。
ただ、都市的サービスはどうなるのだろう、というのがおそらくコンパクトシティが出てきた背景であろう。

2006年2月に出された社会資本整備審議会の第1次答申“新しい時代の都市計画はいかにあるべきか”では、庁舎、総合病院、文化施設、大学、大規模商業施設などの“広域的都市機能”が「拡散して困る」、その結果「中心市街地の衰退が深刻化している」とし、「既存ストックが有効に活用できない」「集積のメリットが失われることで都市経営コストが増大する」という問題意識にもとづいて“集約型都市構造”への改革という方向が提案された。

そのうえで、「地域にとってどのような都市構造が望ましいか、ということについては、地域の選択であって、一律に提示すべきことではない」としつつ「都市圏レベルの比較的広い圏域でみて、都市圏内に一つ又は複数の核(機能集積地=集約拠点)があるという構造が望ましい」と言っている。
つまり、ここで言及しているのは都市圏レベルでの構造の提案であり、集約したいのは広域的なサービスを担う高次都市機能なのである。

ちなみに2013年7月の都市再構築戦略検討委員会中間とりまとめでは、「都市の中心部のみに集約しようとするのではなく、より広いエリアに居住を誘導していく」との委員・専門家意見も併記するなかで、コンパクト化、分散処理、配達、長(短.)寿命化、バーチャル化・ソフト化による“省インフラ”といった言葉も語られて、単に集中や立地誘導だけではなく、集積メリット喪失の克服方策についても言及されている。
いずれも、きわめて常識的な提案であり指摘であり、ここまでは理解しやすい。

これが、いつのまにか、悪く言えば“猫も杓子も”コンパクトシティということになってしまった。人口数万人の都市においても、住宅やさまざまな施設を中心部に集約するのがもっとも望ましい計画論である、ということが疑われていない。
その影で、都市機能を集約すべき市街地(その後導入された立地適正化計画の用語でいえば、居住誘導区域・都市機能誘導区域)の外側の地域で、どのように“新しい地域暮らしの形”をつくっていくのかというビジョンの重要性がかすんでしまった。

そもそも「望ましい都市構造は、地域が選択すべし」なのである。それでは、ほかにどんなオプションがあるのかを検討もしないで“集約型”に走るのは、思考停止と言われてもしかたがない。

分散と集中

ひと昔前には、“多極分散型”とか“多核分散型”といった都市構造、地域構造の目標が世の中を席巻した時代があった。
1987年第四次全国総合開発計画の基本目標は“多極分散型国土の構築”であった。これは国土レベルでのアイデアであったが、都市圏や都市においても利用されて、たとえば広島市の総合計画では、89年の第三次基本計画で“多心型都市構造”を打ち出して以来、現在の第五次にもそれが受け継がれている。合併前の旧町村の“均衡ある発展”のための理念として都合がよかったのである。

これらは、それぞれ一定の拠点を擁する圏域が複数連携して国土や都市を形成するというものである。拠点の機能は、近隣性の生活サービスであったり広域的都市機能であったりする。これも、常識的な地域像といえる。

一定の都市機能をもった塊が分散しているというのが多極型であり、拡散して住んでいても一定の都市機能はひとところに集中させようというのが集約型である。そこに何も矛盾は存在しない。
集約型か分散型か、という二者択一と考えるのはあまりにも短絡的だ。

こういう常識に素直に立ち戻る必要があるのではないか?

これまでのアイデアがいずれも掛け声倒れになっていっこうに実を結ばなかったのは、アイデアが悪かったからでも、財源が不足したからでも、個人の財産権が邪魔したからでもないだろう。おそらくは、掛け声を投げかけられたとたんに一気に二者択一に流れて、その概念そのものが執行に携わる人たちの身体感覚から遊離してしまったためではないか。

流行になびかない

たとえ総人口が減ってもよい、都市の人口は増えなくてもよい。かつての居住基盤が豊かに残っている農山村に、みんなで分散して住もう。都市的な機能の配置は、交通ネットワークとの関係を見極めながらより適切な位置に計画的に少しずつ構成していこう。
これが、これから求められる道である。
必要なことは、そういう地域像を掲げることにあわせて、それを支えるインフラについてのイノベイションを達成すること、都市機能の計画的な再配置を担保する信頼にたる仕組みと執行力をもつこと、以上である。

“コンパクトシティ”というアイデアが、情けなくも掛け声倒れとなりそうな一方で、これを水戸黄門の印籠のように振りかざす人がいる。

たとえば、ある公有地の跡地利用の事業提案で、いろいろな提案に混じって「既成市街地内の中小工場を移転して産業団地をつくります」というのがあった。その内容の是非はともかく、その提案者は「それによって市のコンパクトシティ化に貢献できます」と説明したのである。そういえば、役所がなびくだろうという魂胆である。

真面目に考えようとしないで、気持ちよい言葉として使ってしまうという姿勢が、その概念をどんどん劣化させていくことに気がついていない。

“人口減少社会”や“コンパクトシティ”などという流行言葉に、安易にすがりつくようなことは厳に慎みたいものだ。

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