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サッカー・スタジアム

ウィーン国立歌劇場

ウィーンにある国立歌劇場のホールは、その豪華絢爛さで有名であるが、1,700席+立ち席560と、スケールもでかい。しかし、ここを訪れてもっと驚くのは、ホールを含む建物自体の巨大さである。

国立歌劇場(panoramio、Filip Tesar?ikさんの投稿から)

平面図で測ると、1階の床面積だけでその「でかい」ホールの9倍を越える広さである。4階か5階建てらしいので、延床面積でいえば、おそらく20倍は下らないであろう。
そこに、メインホールのほか、大きなステージが3つといくつものリハーサルステージ、200~300人ホールが3つ、バレールーム、ティーサロン、その他諸々の小部屋やロビーがたくさんあって、歌劇場を構成している。それらが寄ってたかって「オペラ」というものを生産し、メインホールはその蛇口のひとつにすぎないのである。

この歌劇場は、豪華さや客席数ではなく、そのバックヤードの広さが命なのであった。

バックヤード

文化というものは、予想外に地域との関わりが深く、それ自体が経済やインフラを含めて大きな地域開発効果を発揮するものである。そのためには、多様な機能をもつバックヤードによって厚みと広がりが得られるようになっていることが重要だ。

サッカーを観戦するスタジアムがひとつあれば、それでサッカー文化が育つというわけでもないと思う。

サッカー・スタジアム

正直にいえば、わたし個人はサッカーにはそれほど興味がない。とはいえ、サッカーが好きでしょうがないという人たちが、広島にもちゃんとしたサッカー・スタジアムを作ろうというのは、慶賀すべきことだと思う。

その際、まず議論してほしいのは、広島でサッカー文化を盛り上げていくために何が必要なのかということであり、それをわたしのような一般市民にも理解できるように、丁寧に主張してほしい。

あえていえば、スタジアム本体の収容人員とか、年間の稼動日数などというのは枝葉末節のことがらである。ましてや、どこに作るのかということは、スタジアムやそのバックヤードの複合性をどう考えるのか、地域開発効果をあげるためのシナリオをどう描くのか、というような諸般の事情で決まるのであって、けっして場所選びが先行するわけではない。

そういう本末転倒の議論の運び方では、ウィーンの国立歌劇場は成立しなかっただろう。

世界一のスタジアムを

それから、できれば世界一のスタジアムを作ろう、というような夢を語ってもらえるとありがたい。

規模とか、豪華さとか、そういうことではない。では、何をもって世界一を目指すのか、ということをあれこれ言い合うような機会があれば、さぞかし前向きの場になるだろう。たとえば、端正な美しさというのでもよいし、あるいは驚くほどの集積度とか、周辺の自然のすばらしさとか、用途の多様さとか、目の覚めるような眺望とか、充実したサッカー教育とか・・・・

そういう発想を培っていくことが、実は地方都市の主体性、つまり地域主権を発揮していくのであって、ナショナル・スタンダードに照らして身の程を選ぶとか、国庫補助をあてにできるような内容を賢く工夫するとかいうことが、広島の誇りに結びつくわけではない。

ついでながら

ウィーンの話題で思い出したので、ついでに、蛇足をつけくわえる。

学生の頃、ドイツのケルン郊外、オランダ国境に近いフィアゼンという田舎町の音楽ホールを訪ねたことがある。1階建ての小さな、どちらかというと粗末な四角い木造のホールが街中の丘の上にあって、そこで大学オケのメンバーとして演奏を行ったのである。
客席も板でできた雛壇に椅子が固定してあるような具合で、拍手にあわせて足を踏み鳴らすので、そのときにはホール全体がドシンドシンと地響きをたてるようであった。

演奏のあと、ホールの支配人がノートを持ってやってきた。
「おめでとう。あなたがたは世界で9番目に音響のよいホールで演奏をしました。記念にこのノートに署名を残しなさい」
ということで、めくってみるとフルトヴェングラーとかトスカニーニとか、伝説的な大指揮者の名前が見えた。「ひゃ~~」てなものである。
たしかに、音の響きは快適でことのほか気持ちよく演奏できたのだが、9番目とはどう数えたのか、といぶかしがることも忘れ、帰り際に振り向くと、そこには木造ホールに後光がさしていた。

広島のサッカー・スタジアムも、振り返ってみたくなるようなものにしたいものだ。

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