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景観論争

青いビル

広島市の平和大通り沿いに,コバルトブルーのガラスを全面にはった高さ八十五メートル,二〇階建ての巨大なビルが建っている。周辺のビル群がベージュ色を基調としたトーンで揃っているため,ひときわ目立つ。

このビルが建ったのは1992年のことで、すでに4半世紀が過ぎ,いまでは市民の記憶も薄れたが,着工当時に一悶着あった。この色はいかがなものか,というわけである。

反対するひとたちは,そのビルが県有地の信託であったため,県に談判をした。さらに,建築確認を出す市役所にも異議を申し立てた。
結果的にそのビルは竣工し,よかれあしかれ,いまでは街のランドマークのひとつとなっている。

この件について,わたしは単なる野次馬にすぎなかったのだが,その顛末からいくつかの教訓を学んだ。

まず,行政側の対応が,「規制するための法的根拠がないので,責任をとる立場ではない」というあたりにとどまったことである。
当時、国立市であったマンション紛争の経緯などを思い起こすと,もったいないチャンスを失ったと残念だったものの、まあしかたがなかったかなとも思う。

相手がこれでよかったのか

もっと重要な教訓は,論争の相手がこれでよかったのか,という点だ。
なにかというと、本当の当事者ではない行政を責め立てるというのは、役所の買被りであり、権力志向の裏返しでもある。

この色を決めた確信犯が、設計した日建設計か施主の三菱信託あるいは安田信託あたりのどこかにいたはずだが,その人たちの顔はとうとう見えないままだった。
青い色に対する毀誉褒貶はその人に属する。それが明確になっていないと,悪くいえば逃げ得である。逆にいえば,反対派に好きなように言われて,当人たちは忸怩たる思いだったのではないか。

水門のプレート

アメリカの田舎町の小さな水門のプレートに,土木デザイナ,構造設計者,施工者,市長,関係議員等々の名がびっしり彫ってあったのを見たことがある。それも丁寧なことに、着工時と竣工時の名簿がふたつ並んでいた。

建築家の安藤忠雄さんは,建設関係者全員の名前を銘板に残すようにしているそうだ。ベネトンのアートスクールを建てたときには,その数が二千人にもなって苦労した,というお話しを聞いた。

景観は人がつくる

あたりまえだが,景観は人がつくる。だから,人が志をもってかかわれるよう工夫するのが,景観をよくする早道だ。
橋や学校や庁舎を作ったときに,設計者や施工者の名前が一般紙に載ることは珍しい。この状況は、二〇年以上たってもいっこう変わらない。
こういう風潮が,じつは景観に対する責任感をどんどん薄め、人々のやりがいを奪う原因になっている。

景観の計画は、景観づくりの方針(閑静な住宅地とか、格調高い業務地区とか)や建物のボリューム(高さとか、敷地面積とか)や統一すべき色彩の範囲(ベースカラーとかアクセントカラーとか)などを決めて、そのためのガイドラインを示すものだ、と勘違いしている人たちがいる。

よい景観をつくるのに必要なことは、ひとつしかない。無名にしないことだ。

なにかできるたびに、公共民間を問わず関係した人たち(すべての施主、すべての設計者、すべての施工者、そのほか様々な協力者、許可や確認を与えた機関・職員など)の名前が、たとえば新聞紙上で公表されるというようなことになれば、確実に美しい街ができる。

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