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ボーダー・デザイン

サントロペの公園

南フランスにサントロペという田舎町があって,そのオールドタウンの中央に小さな公園がある。何という公園か知らないが,ずいぶん前に,地中海沿いをふらふらしている途中で見つけた。すいぶん前なので、記憶の不確かなところもあるが、だいたいこんな感じである。

サントロペの公園の模式図

ほぼ正方形で,二辺が街路に,一辺がビアレストランに,残った一辺が小さな木造の映画館に面している,という程度の大きさの平坦な公園だ。つくりはまことに素っ気なくて,地面はただの土。園路も芝も塀もない。そこに,数メートルごとの等間隔にプラタナスが植わっている。ところどころに黒いベンチ。ところどころに少し背の低い街路灯。それだけ。
若者が何人か,ゲートボールに似た玉転がしをしてのどかに遊んでいた。

夜の光景

夜行ってみると,街路灯の明かりがプラタナスの枝葉を下からほんのり照らし上げていて,まるでやわらかい光のテントの下にでもいるような感じになっていた。灯の低さには,それなりの意味があったのである。

レストランのテーブルが公園側にも点々と出してあって,数人のおじさんが静かにビールを飲んでいる。
やがて隣の映画館がハネて観客がぞろぞろと出てきた。ポーチの大階段を降りると,そこはプラタナスだ。

光のテントの下を歩いて,あるカップルは街の方へ,あるカップルはレストランへと,三々五々に散っていく。それにつられて公園の中は,映画の余韻に包まれる・・・。誰が見ても、すばらしくロマンチックな公園だった。

サントロペの公園の総括

この公園のよさは、次の2点によっている。

まず、公園の中に余計なものがないことだ。遊具はおろか、垣根や塀も皆無である。
その分、利用する側の工夫で多目的に使える。多目的に使えるということは、それだけたくさんの物語が生まれるということだ。律儀に等間隔の格子点に丸を描いて、「プラタナス→」と書き加えただけという設計図は、これは絶品だと思う。
ところが、手を抜いていない証拠に、街路灯の明かりの高さなどはしっかりした意図をもって計画されている。

公園の中とはうらはらに、周辺の建物敷地との境界線は、きちんとデザインされている。つまり、境界をつくっていないのである。
レストラン・カフェへも、映画館へも、公園を通って出入りすることができる。これは、そこで商売をする人にとっても、公園を利用する人にとっても、好ましいことだ。しかし、実際には管理上やっかいなことが多いだろう。
取材はしなかったが、おそらく煩雑な協定書の交換、なぜ特定の商売人に便益を供与するのかといったクレームに対する理由づくりなど、いろいろと手間がかかったことだろう。
そんなことを想像して、なるほど、デザインというのはそういう仕組を組み立てることなのだな、と感じいった。

広島の河岸緑地

太田川は、広島デルタ内にはいって6本の派川に別れる。その両岸の総延長は70km。そこに延長30kmにわたる河岸緑地が設けられている。うち20kmは、昭和40年代以降に戦災復興の一環として、文字通り血と汗の結晶として整備されたものである。

この川の沿線で、広島はながく建物の美観誘導を進めてきた。

1985年に策定した「広島市HOPE計画」では、”リバーフロント住宅の展開”を提唱し、美観のガイドラインを作成して住宅金融公庫の割増融資をつけた。その後、89年には”リバーフロント建築物等美観形成協議制度が創設され、90年に「水の都整備構想」、03年に「『水の都ひろしま』構想」と受け継がれていく。

わたしは、それぞれの計画すべての執筆を担当する幸運に恵まれたのだが、そこでしつこく言い続けたことは、公開空地と河岸緑地の一体的利用、それからフットパスの設置であった。

公開空地と河岸緑地の一体的利用

公開空地は、建築基準法の総合設計制度をはじめとした特例制度の適用の際に義務づけられる空地である。
公開空地に関する基準はこと細かく定められているが、その中に「外周の1/8以上が道路に接すること」といういわゆる接道条件があった(現在は、許可権限が特定行政庁に移管されたため、自治体により基準が異なる。東京都では1/6。自治体によると、道路ではなく、公園を含めた”道路等”に接すればよい、としているケースもある)。

これは、その空地に公開性がなくてはならないから、当然の規定といえるが、河岸緑地に面する敷地にとっては都合が悪かった。
せっかく河岸緑地に面していながら、接道条件を満たすために公開空地を道路側に設け、川を裏側にしてしまうケースが多かったのである。河岸緑地に接するのでは、公開性が認められないからだ。これは、市民感覚から見るといかにも不思議なことである。

HOPE計画の当時のやりとりは、以下のようなものである。

--- 接道条件を、河岸緑地に面したのでもよいと拡大解釈してもらえないだろうか。
(建築指導課)ううむ。河岸緑地側がオープンになっているという保証があれば、なんとかなるかもしれない。

--- 河岸緑地に面して空地を設け、出入りを自由にできるようにしたい。
(公園緑地課)それは無理というものだ。公園に接する民地には、原則として避難用以外の出入り口を設けさせないようにしている。これには、いろいろと理由があるが、河岸緑地は公共のものなので、特定の人の利便のために使われては困るからだ。

--- 仮に、民地側で空地を設け、あえてそこに塀を立てなかったらどうなるのだろう。
(公園緑地課)その場合は、すぐに行って、公園側でネットフェンスをはることになるだろう。

--- と、公園のかたはおっしゃるのだが。
(建築指導課)そうなると、公開性がなくなるから、公開空地とは認められない。

JALシティ広島の公開空地
(パラソルは河岸緑地内にある)

こういう状況で、「公開空地を河岸緑地側に設けて一体化させましょう」という提案は、あまりおおっぴらには書くことができなかった。

その後、広島市に心ある職員のかたがおられて、相当苦労されたとは思うが、99年に京橋川右岸のホテルJALシティ広島が建設される際、やっとこれが実現した。フットパスと公衆トイレの設置がその要件となり、貴重な先行事例となったのだが、それから後14年になるものの、なかなか普及していないのが残念だ。

フットパス

街の中から見ると、河岸緑地は建物の向こう側にある。
そこへ行こうとすると、道路の歩道を利用するしかない。歩道は、脇を車が通るし、ガードパイプに守られて電信柱をよけながら歩く道であって、魅力的とはいいがたい。
また、道路の間隔はけっこう長い。川に面した街区はたいてい細長いので、道路間隔は百数十mから、300m以上に達するところもある。水辺に出ようとすると、大きく迂回しなくてはならない。

できれば狭くても良いから、気持ちのよい歩行者専用の通路が街区内にほしい。
建物の建て替えなどにあわせ、敷地内に誰でも通ることのできる路地を設けて、街の中から河岸緑地に行きやすくすることは、きわめて公共性の高いことである。これを、フットパスと名付けた。
フットパスは、歩道状空地として、公開空地のなかでも高い点数のつくものだから、誘導するツールはある。

川岸のアメニティ

HOPE計画から水の都ひろしま構想までの間に、わたしは70kmの区間を3度歩いた。その主な関心ごとは、あるべきところにあるべきものがあるだろうか、ということである。つまり、河岸緑地が本当にアメニティの高い場所になっているか。

河岸緑地から直接利用できる喫茶店が何軒あるか、映画館とはいわないまでも、結婚式を終えたカップルが見送られて河岸緑地に出てこられるような宴会施設が何カ所あるか、河岸緑地を連続して歩いていくために迂回しなければならないような場所がどこにあるか(橋の下のアンダーパスがなければ、たいていこういうことになる)、建物敷地の川岸側がどう使われているか、ほしいところにフットパスがあるか・・・・・

残念ながら、こういう喫茶店や宴会場は皆無であったし、初期の頃はアンダーパスもフットパスも1ヶ所もなかった。敷地の川岸側は多くの場合倉庫であったり、設備機器の設置場所であったりして、完璧に裏側として処理されていた。

アンダーパスは、いまではかなりの箇所数が設けられて、河岸緑地の連続性は大きく改善した。しかし、「水の都整備構想」の頃は、アンダーパスの必要性を指摘しても、多くの人から「そんな素人じみたことは言わないほうがよい」と、こんこんと諭されるような状況だったのである。
橋のアバットの構造がアンダーパスを想定していないこと、干満差のあるところにアンダーパスを設けると満潮時に水没するなどで維持管理が困難なこと、などがその理由だった。いずれも、為にする論であったことは、その後の経過で証明されている。

境界部分のデザイン

美しい建物とは

ある建物の景観のよしあしは,対岸からどう格好よく見えるか,ということで決まるのではない。その足下まわりが平面的にどうなっているか,ということの方が,よほど重要なのである。さしあたり、河岸緑地と公開空地との一体化や、フットパスの設置はそのために効果がある。

ボーダー・デザイン

サントロペの公園で実現していることも、広島の川岸の建物が目指していることも、ほんとうにデザインが必要なのは、その本体部分だけではなく、周辺との境界部分の処理のしかたなのだ、ということを語っている。

これを、ボーダー・デザインということにした。
もちろん縁石の置き方やフェンスの意匠を言うのではない。言い方を変えれば、隣接する土地利用間での調和の仕組みをつくることなのである。

そういう目で眺めると、その必要な場所は、身の回りのいたるところにあるにもかかわらず、きちんとしたボーダー・デザインの施された場所というのは、きわめて少ない。
それぞれの土地利用には本来の機能・目的があり、管理者には、その本来機能の維持増進を図ることが求められるいっぽう、相互の調整を行うには、異なるエネルギーが必要となるからだ。

困ったことに、相互の調整が必要な境界部分というのは、個々の管理者にとっては「本題」からはずれた部分であって、お互いが枝葉末節とみなす「僻地」が重なりあったところに境界問題が発生しているのである。そこにエネルギーを投入しようという人は、おそらく王道からはずれてしまうのであろう。

たとえば、学校の塀の外を通る道路の歩道は、道路の接道効果はないわけだから、むしろ学校敷地内に取り込んだほうが、通学の安全のためにもよほどよいと思うのだが、学校には学校の、道路には道路の管理ポリシーがあって、いまのところ現実性があるとは思えない。

福岡市の出来町公園の一角

福岡市の博多駅の近くにある出来町公園というちょっと大きめの街区公園は、部分的ではあるが外周の道路歩道と公園が一体化されていて、なかなかうまくできている。
公園と道路というのも、一体的にデザインできればより魅力的な都市空間になると思うのだが、お互いにきちんと境界を区切って侵食しあわないようにしたのがほとんどで、福岡の例などはわざわざ紹介したくなる稀なケースである。

広島市内の某公園

サントロペの例でいえば、公園と建物敷地との関係は、さらにドラスティックな効果をもたらすはずである。

この写真は、広島の都心部にある某公園を、道路側から奥に向いて見た写真。向こうに見えるのは、民間の高層オフィスビルと国機関の庁舎である。いずれも数年前に国有地を再開発して建てられた。

公園に隣接して大規模な公的建物が建つので、フットパスのひとつもできるかと期待したのだが、残念ながらきちんとネットフェンスが張られてしまい、公園との境界部分はあいかわらずお互いに裏側となっている。

建物敷地は、「一団の官公庁施設」という都市計画が定められているので、やたらに民間のお店や飲食店を導入するわけにはいかないらしいが、本来であれば公園に面してなんらかの賑わい施設や文化施設があってもよかった。大変残念である。

このオフィスビルは、壁面緑化などに取り組んでいる環境に配慮した建物であり、規模も大きいから優秀な建築物として表彰しよう、という声があがったが、わたしはまったく賛同できなかった。

ボーダーは物理的な境界に限らない

こういうことは、物理的な境界に限ったことではないだろう。

たとえば、道路の上でオープンカフェがほしいと思っても、それは本来の道路管理から見るとまったくとるに足りない、つまり積極的になりえない課題であるし、保健所などから見ると食品衛生法は公衆衛生を守るためにあるのであって、排気ガスの中でお茶を飲んでもらうためにあるのではない、ということになる。これも、境界問題のひとつである。

たとえば、護岸にある伝統的な雁木(階段)を使って船を運航しようと思っても、旅客輸送の安全性を守る立場からみると、そんな不安な乗り降りではなくきちんと浮き桟橋を設けなければ許可できないとなるし、河川の治水管理という立場からは、浮き桟橋などを新設するのはもってのほか、河は船を運航させるためにあるのではない、ということになる。

こういった境界部分の調整を、それぞれの管理者の見識に任せるというのは酷な話だ。管理サイドにいる専門家は、本来の業務をしっかりやってほしい。
かわって、この「僻地」における境界問題についてあれこれ言うのは、市民とデザイナーの仕事である。

公園に面した敷地へ公園からフリーにアクセスできることがなぜ悪いのか、河岸緑地と連続した空地が公開されて誰が迷惑するのか、接道機能のない歩道がなぜ延々と設けられなくてはいけないのか、道路の上で休憩するところがあってなんの不都合があるのか・・・・

それにともなって新たに発生するリスクは、利用者である市民が甘受しよう、ということになってはじめて、境界部分がアメニティ空間として生きるのである。

ボーダー・デザインがまことにプアな現状は、日頃とくに義憤にかられていることなので、思わずくどくどと長たらしく書いてしまった。
逆説的にいうと、たとえば、公園のデザイナーには、公園の中をごてごてとデザインしてほしくない。むしろ、中は素っ気なくてよいから、周辺との関係性をしっかりデザインしてほしい。

それは大変骨の折れる仕事なのである。骨が折れるからといって、自分の与えられたテリトリーの中だけで、ああでもないこうでもないとやった結果が、いまの身の回りの冷たくて収まりの悪い境界をつくっている。

かつて、”ウォーターフロント再開発”が一世を風靡していたころ、それを華々しく先導していた梅沢忠雄さんに話を聞いたことがある。梅沢さんはこういうふうに語った。
「ウォーターフロントというのはね、港湾側も都市側も手をつけなかったところだから、おもしろいんだ」
要するに、港湾政策にとっても都市政策にとっても”枝葉末節”のままやってきて、いろいろな不都合が積もり溜まって困っていたところへ、”ウォーターフロント”というキーワードが投げ込まれたことで境界部分が輝き始めた、ということだ。
これは、都市規模でのボーダーデザインの典型的な例である。これまで粗末に扱われてきた境界部分は、その分だけ、新しい大きなインパクトのあるデザインを投入することが可能な、まさにフロントなのである。

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