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むかしの風景

「管理者が苦労しなくても,いつも街道は清潔に保たれている」と驚いたのは,元禄時代に東海道を旅したドイツ人医師ケンペルであった。

16世紀半ばに来日した宣教師のフロイスは「ヨーロッパ人は親指か人差し指を使うのに,日本人は小指で鼻をほじる」と詳細な観察記録を残した人だが,信長がつくった安土道路をみて「まるで道全体が庭園のようだ」と感嘆している。

時代が下って,幕末に来日したシュリーマンは,動乱の江戸市中を大勢の護衛に守られて徘徊しながら「この国には,平和と充足感と豊かさがあり,完璧な秩序がある」と書き残した。

日常あたりまえのことなので,われわれの祖先はことさらに言い上げていないが,外からやって来た外国人は,総じて日本の風景の美しさ,清潔さに感激し,ほめちぎっている。

18世紀後半に来たスウェーデン人ツュンベリーにいたっては,百万都市江戸を高台から見下ろして「この大きな町全体の美しさを,わたしは生涯忘れない」とまで言っている。

ついでにあげると,50年前に明治百年を迎えた日本国民にむけて,当時フランスの文化大臣だったアンドレ・マルロー氏が送ったメッセージの一節

「あなたがたは百年前に世界史上またとない洗練された文化を築いていた」

マルロー氏は言外に「それが今はどうだ」というニュアンスを含んではいるのだが、まあ、いずれも気分のよい話しではある。
むかしの日本の風景は豊かで,洗練され,清潔で,美しかった。見た眼だけではなく,それを維持する心映えと世の中の仕組みに気がついて感心してくれているのがうれしい。

いまの日本の町の風景は,どこを思い起こしても暗澹たるものがある。無秩序に競い合う看板や標識,縦横に空を切り裂く電線,やたらと自己主張したがる建物。それで

「日本人は変に洗練された町ではなく,やっぱり猥雑でごちゃごちゃした町に魅力を感じるのだ」

というような主張をしたくなるのもわからないではないが,どうもそうでもないような・・・と思ったときに,以上の逸話は元気づけてくれる。

心あるあなた,勇気をもって洗練されたまちづくりに励もう。いまの町は,本当にこんなはずではなかったのだ。

それ以上に、いまの田舎も、こんなはずではなかった。ツュンベリーや、幕末にやってきたイギリスのプラントハンターであるロバート・フォーチュンなどの紀行を読んでいると、美しい田園や街道筋、それに瀬戸内の光景が目に浮かんで、つくづく悔しい。

いまの風景

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