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石を積む

ところの匂い

石を積むことは、それぞれの風土をつくることだと、つねづね思っている。

まず、石は重いからそんなに遠くに運べない。それで、どうしても近場の石材を使うことになる。
いや、そんなことはない、大阪城の蛸石を見よ、という人がいるかも知れない。たしかに、あの130トンもあるという花崗岩は、400年前に備前犬島からはるばると運ばれたのだった。
ちなみに犬島はもとは桃太郎の鬼が島で、犬がご褒美にもらったのでその名がついた、という島だそうだ。全島が岩盤で、その石はたとえば大鳥居の石材として仙台東照宮まで行っている。

とはいえ、それは巨大な権力や富が関与した特殊な場合のことであって、ふつうはそうはいかない。
やっぱり、重いからそこら辺にある石を使うのである。手近に手に入る石の材質や大きさ、形、硬さなどは地域によって異なるから、それを積み上げた石垣が、ところの匂いをつくる。

徳島独特の緑の護岸は、吉野川流域に産する緑泥片岩=阿波の青石のおかげである。
首里城の石垣は、軟らかい琉球石灰岩があるから、物差しを当てたような切石による相方積みが可能となり、流れるような白い城壁を出現させた。

ベネチアの護岸も橋も舗道も建物も、やはり軟らかい大理石があればこそ、あれだけ石三昧の市街地を構築できたのだし、ピラミッドも石灰岩の切石を使えたから、底辺の長さの誤差が2000分の一といわれる精密な施工ができた。

バリ島の沖合いにあるヌサペニダ島の小さなホテルでは、ゲストハウスの敷地の塀が、純白のサンゴで積み上げられていた。ところどころにピンクのサンゴが嵌め込まれていたが、これ以外の材料ではまねできないチャーミングな壁であった。

いっぽう、西日本でふつうにあるのは、重くて硬い花崗岩である。切って磨いて使うには、大変な労力を要するから、石垣はそのまま積み上げる野面積みや、お城によく見る笑い積みなどが主流となる。その荒々しいけれども潔く毅然とした風格は、花崗岩でないとこうはいかない。

ローカルな石材を使うから、それを積む技術や美意識も違い、それが人から人へ連綿と伝えられ磨かれて、その土地固有の風土となる。積んだ石は動かずとどまって、人の歴史の尺度をはるかにこえる時を刻む。

石を積むには勇気がいる

石を積むには、勇気がいる。
当然ながら、積んだ石は当分動くことがないからだ。当分というのが、ひょっとしたら数100年かもしれないと思うと、おろそかな積みかたはできない。

それから、面の使いかたにも勇気を要する。効率を考えると、大きな平面が手前に見えるように置きたいところだが、それでは不安定だ。後々、ずれたり膨らんだりする原因になる。
30センチ角の顔の見える石が、実はその倍ほどもの奥行きをもっているというのが、丈夫で、文字通り奥ゆかしい積みかたなのである。

石畳などでも、タバコの箱のような石を寝かせて置くのではなく、立てて置くのが正しい。効率は悪いが、見えないところで贅沢をするのが喜びでもあり、勇気がいることでもある。

こういうことを、実は石工のK翁から学んだ。K翁はこの道50年の大ベテランで、広島城の石垣の修復にも携わった経歴をもつ。
何度か、小さな現場のお手伝いをして、二人で石を積むという貴重な経験をさせてもらった。

白状すると、学んだことは多いけれども、技術はほとんど伝授されなかった。
正確にいうと、あの技術は伝授できるようなものではない。物差しも糸も使わず、それぞれの石の三次元的特徴を把握し、組み合わせのパズル解きを頭の中で即座に仕上げる。
年季をかけて体に染み込ませるしかない技である。いまは、こういう職人さんも珍しくなった。

近所の家の擁壁が、実は川向こうのおじいさんの作だと紹介されたりすることがある。
戦後もしばらくは石積みのプロがそこここにいて、石垣を築いていたのである。その光景が見られなくなったのは、東京オリンピックあたりからか。

だとすると、数万年、数10万年続けてきた石積みを、ここ4・50年で忘れてしまったことになる。
身の回りの石垣が、世界標準のコンクリートやブロックにとって変わり、その分、風土性というものが奪われてしまった。石を積む覚悟も、積んだ勇気をめでる気分も失った。
要するに、自分たちの環境を作る達成感というものがなくなった。

たまに石を使っても、そこでは採れない中国産の白い御影石をモルタルで貼り付けながら布積み風に仕上げたような、情けないものが多い。最近「石積み風型枠」のコンクリートをよく見かけるが、あれはもっといけない。

石を割るにも勇気がいる

言い忘れるところだったが、石を割るにも勇気がいる。

石の形を整えるために、よけいな角を玄翁で叩いて落とすのだが、見るほど簡単ではない。
ここをこう落とそうと、目星をつけてうまく当てたつもりが、とんでもない所が割れたりして、せっかく形のよかった石が使えなくなってしまったりする。

「石の目」が読めない、ということなのだが、読もうと思ってもおいそれと読めるわけでもないので、だいたい運を天に委せて玄翁を振るうことになる。何千万年もかけていい形になってくれた石を、めちゃくちゃに叩いたあげく、使えなくなってポイ捨てするのには、勇気がいる。

ところで、トンコ積みというのがあって、こっちは石の目を読む必要がない。河原の玉石の大きさが揃ったのを採ってきて積むのである。棚田の石垣などによく見かける。
機械的に矢萩状に積んでいけばよいので、ちょっと習えばだれでも積めそうだ。両手に玉石をぶら下げて、ゆらしながらトンコトンコとひたすら積んでいく。
かつては、集落の女性や子どもも動員されてトンコ積みをやる風景がよくみられたそうだ。

石積みのよさ

石積みのよさは、いろいろに言われているが、村の子どもたちから名工まで、ずっとつながった技術の体系であることも、そのひとつだ。
その間に積みかたのバリエーションがたくさんあって、石材、使える機材、仕事師の腕、足場の環境、予算、工期などから、最適のものを選ぶことができる。

さらに、モルタルを充填しない空積みなら、裏込めのグリ石とあわせて土の奥にまで隙間の迷路が張り巡らせられて、たくさんの生物を養う。環境にもやさしいのである。

空積みは弱いのではないか、と思われそうだが、そんなことはない。じわじわ膨らんだり歪んだりと、長い間に変型することはあるが、一気に崩れるなどということはありそうにない。重要なことは、変型しても、部分的な修築が簡単なことだ。

石積みが暮らしの中からどんどん遠ざかって、身の回りの空間のしなやかさが失われ、剛直化してしまった。
技術がブツ切れになって、トンコ積みすらやったことのないわたしたちには、名工の仕事のすばらしさに想像力を働かせるよすがもない。世界標準がまかり通って、ふるさとの風景もなくなった。

なぜこうなったのかは、はっきりしている。近代工法にかぶれた誰かが、石積みの性能評価をさぼったからだ。

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