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ジロウとの散歩

ジロウは

ジロウはちょっと目の釣りあがった雄の柴犬である。
近くの詳しい人の見立てでは、歯の様子から3~4歳であろうという。ついでに、爪の磨り減り具合をみると、どうも室内で飼われていたのではないか、と鑑定した。なんでも、通じた人というのは目のつけどころが違うものである。

ジロウは家の近くの山道に捨てられていた。半年ほど前のことである。捨てられていた場所から、夜な夜な集落に餌を求めに降りてきて、またそこに戻るという生活を、かれこれ1週間ほど繰り返していた。毛並みが立派なことにあわせ、その境遇の憐れさ、無情な主人を待ついじらしさにほだされて、うちで引き取ることになった。

ところが、噛むのである。それも尋常な噛み方ではない。目の前で人を噛むのを2度目撃したが、最初は尻尾を振ってじゃれついているのが、突然、本当に突然、鼻に皺を寄せて「ググー」と唸ったかと思うと、「ガンガンガンガン」と吠え立てながら噛みまくった。豹変である。2度とも、被害者は腕や足が血まみれとなった。

聞いてみると、うちに来るまでの間、近所にもほかに被害があったらしく「あの狐顔は、噛むけぇな~」と、すでに評判なのであった。和犬は獰猛だというのが常識らしい。「番犬にゃあえぇけぇ、可愛がってやりんさい」というのが、通じた人のアドバイスである。
幸いわたしは最初から主人と認められたようで、どう扱っても噛まれるような気配はない。しかし、家人とふたりで家をあけることができないのが困る。いない間、他人に世話を頼めないのである。

子どものいない若い夫婦が、部屋の中で犬を飼っていたところ、嬉しいことにこの夫婦に赤ちゃんができた。今度はその子を可愛がることになる。犬は、嫉妬も手伝って新参の赤ちゃんの前で豹変した。それで、その夫婦はどちらかを選ばざるを得なくなって、当然ながら犬のほうを手放すことにした。しかし、凶暴な犬をもらってくれるところもないので、泣く泣く山道に捨てた。
これは、黙して語らぬジロウに代わって勝手に推測した彼の過去である。

ジロウとの散歩

ジロウが家に来てから、毎夕散歩するのがわたしの日課となった。5メートルほどのリードをつけて、外に連れ出す。ジロウは前を縦横斜めにトコトコトコトコと忙しなく動き回りながら、あっちにオシッコをひっかけたり、こっちの匂いを嗅いだり、草を食べたり、ウンチをしたり、バッタやトカゲやモグラを追いかけたりして、いつもの行程を一巡して帰ってくる。その間、絶えずチラチラと横目でこちらの行く手を確認しているのが、これがかわゆい。

わたしは、そ知らぬ振りをして煙草を燻らせながら一定の歩調を保ち、「イチ、ニ、サン、シ」と歩数を数える。息子の太郎にプレゼントしてもらった万歩計は、近くの廃村探検に行ったとき雪の中に落としてしまったので、自分で数える。
行程は、およそ2000歩である。わたしの歩幅は60センチというところなので、2000歩は1.2キロということになる。これが犬にとって充分な散歩となるのか、不満な距離なのかは知らないが、わたしはもうこの習慣を変える気はない。

ところで、“4千万歩の男”伊能忠孝が歩数で距離を測定した際の歩幅は正確に2尺3寸(69センチ)であったという。一説では2尺2寸というのもあるようだし、井上ひさしさんによれば2歩で1間(つまり90センチの歩幅)とのことだが、いずれにしても身長160センチと推定されている忠孝の歩幅はわたしよりも大きい。これは不思議。

そこで、誰かに聞いた近世以前の日本人の歩き方というのを思い出した。現代人は手と足を交互に前に出すが、昔の人は右手と右足、左手と左足を同じ方向に同期させて歩いた、というのである。「それが証拠に、たとえば参勤交代の行列の絵などには、そういう姿が描かれている」のだそうだ。それを自分で確かめてみたわけではないが、そうかもしれないなと思ったので、この際ジロウを連れてそういう歩き方をしてみた。

案外、歩きにくくはない。それどころか、テンポが快適でさえある。戦国期の行軍の記憶がこちらの遺伝子にまで伝えられているのか。しかも、大股になって歩幅が明らかに伸びている。これなら2尺3寸だ。がんばれば3尺も夢ではない。

犬の散歩も、なかなかためになる。

山の木立

ジロウとの散歩は夕方である。ときに帰りが遅くなったときは真っ暗な中を懐中電灯で歩くこともあるが、たいていは空が暮れなずむ頃となる。まだ、少し青い色の残った空に、前後にそそり立つ山のシルエットが真っ黒に浮かびあがるような時間帯である。

それを見上げながら、狭い谷の低地を耕した田んぼのあぜ道や川土手を伝って歩く。
あのシルエットを形どるナラやカシやクヌギやアベマキの木立は、かつては山林業で栄えたこの地域で、人と交わりながら維持された豊かな里山の木々であったはずだ。ここから数百メートルの近くにありながら、それがもうすでに何十年も人跡未踏となってしまっている。  

あそこは、いまや樹下のブッシュの中を猪や狸、ときには月の輪熊が跋扈し、樹上はサルの軍団や鳶や烏の縄張りとなり、彼らを頂点としてさまざまな生き物がもつれあいながら濃密な世界を作り出しているに違いない。

切り絵のように見える稜線の木立の梢には、生き物だけではなく、亡くなった身内の人たちがてんでにとまっていて、こちらを見下ろしているかもしれない。「イチ、ニ、サン、シ」と歩きながら、「おまえはやっぱりろくな人生を送っていないが、せめて犬の散歩くらいはちゃんとしなさいよ」と見張られているような気がすることもある。

できることなら、いつかわたしも雀にでもなって、あの小枝のどこかに羽根を安めつつ、下界を見渡してみたいものだ。そうすれば、この世の中がどうつくられているのか、もっとよくわかるだろう。

こういう殊勝な気分になるのも、散歩の効用である。

ジロウの小屋

帰ってくると、縁側の椅子に座ってもう一度煙草に火をつけ、擦り寄ってくるジロウの頭や肩を左手で撫でながら「今日は1982歩であったな」などとその日の総括をする。そのうち、手足を同期させて歩いたのが200歩くらいだったので、全体の距離に換算すると・・・というような頭の体操を行ってから、ジロウをつなぎに裏にまわる。裏には、彼の小屋がある。

小屋とはいっても、かれこれ8畳ほどあるかつてのクド部屋である。外から直接はいれて都合よく土間になっているので、最初はとりあえずそこに紐をくくりつけたのだが、昔のタイル張りの薪置き場が気に入ったらしくて、そこにもぐりこんですっかり落ち着いてしまった。考えてみると、とても贅沢な犬小屋ではある。

近くの喫茶店“アンデス”で飼われている白犬のハッチは、立派な犬小屋がありながら床の下が気に入ってそこに居座っている。それで、女主人のチカさんがジロウのためにその犬小屋をゆずろうかと言ってくれたのだが、あいにくとその必要もなくなった。

寿命競争

さて、ジロウはいつまで生きてくれるものか。3~4歳というなら、あと15年生きても不思議ではない。その頃、わたしは・・・・と考えると、はっとしてしまう。

これまで数え切れないくらいの犬と猫を飼ってきた。うちの裏には彼ら彼女らの墓がある。悲しいけれども、犬猫はわたしよりも先に天寿を迎えるというのが当たり前であって、寿命競争をするなどとは考えたこともなかった。ジロウとの生活は、そういう意味では初体験である。

人の一生というのは、つまるところ「生まれる」「生きる」「死ぬ」という3つの言葉に要約され、それ以上でも以下でもない。生まれて生きて死ぬ間に、太古の時代に偶然誕生した遺伝子の永遠の命をつなぎ、あるいはつなぐ手伝いをする。
だから、わたし個人の命が終わろうとどうしようと、生きたというだけでまあ一応役目は果たしたわけで、たいしたことではない。
雀になって、あの梢に遊ぶことができれば、それはそれで本望ではないか・・・・・

おお、こんなことは考えずに、もっと能天気なことに目を向けよう。ぶるぶるぶる。

こんなことをズルズルと思案しながら、今日も「イチ、ニ、サン」ジロウと散歩している。

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