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お地蔵さんをつくった

石積みはいいものだ、積んでみればよくわかる。というようなことを偉そうに吹聴していたら、旧友がこんな話しをもってきた。

「あんた、お地蔵さん作れる?」

積むのと彫るのでは随分違うが、つい勢いで

「たぶん、作れる!」

と断言してしまった。数年前のことである。
聞くと、彼が協力しているC商店街の街おこしのシナリオの中で、どうしても”作者不詳、由緒不明”のお地蔵さんがほしいのだそうだ。行きがかり上、それをわたしが制作するということになった。おそろしいことに、経験は皆無である。

とりあえず、近くで手頃な石塊を拾ってきて、納屋の軒下の作業場に据え、ノミ数本と玄翁とハンドグラインダを調達してその脇に並べ置いた。
確信があってのことではない。たぶん、こんな道具がいるのではないか、という見よう見まねのことである。

それから、油粘土で手のひらサイズのお地蔵さんをちょこちょこっとひねり、木の台に載せた。一応、習作のつもり。河原に行って、眉間の白毫に埋め込む小さな丸い色石も何個か拾ってきた。

なんとなく準備は整ったものの、どこからどう手をつければよいのか考えあぐねて、朝夕、道具類が草に隠れ、油粘土にほこりが付着していくのを眺めて日が過ぎた。

そうこうするうちに、先方からは「そろそろ」とか「開眼式をやりたい」とかいう声が聞こえてきた。
聞き流していたら、「○月○日に式典決定」などと唐突に言ってきた。「えっ?」と反応する間もなく、「当日はNHKのカメラが来ます」とか「駐車場はどこそこで確保」とか、臨場感あふれる予定が流れてくる。

いかん、完全に外堀が埋まってしまった。それでもまだ、どうしてよいか手がつかず、日増しに血圧が高くなるのを感じながら、じっと天を見上げる日が続いた。

さて、それからどうなったか。
実は、開眼式を十日かそこらに控えたある朝、突然4時に目が覚めた。その日は、仕事で家を12時に出なくてはいけない。つまり、それまでに8時間ある。
今目が覚めたのは、本日キックオフせよ、ということに違いない、とついに覚悟を決め、跳ね起きて防寒作業服に着替え、星明かりの中で石に対座したのである。

コーヒーをすすりながら、白墨で線を引いたり、消したりしてみたあげく、防塵マスクをつけ、ノミを持って第一打を下ろしたのが、4時半頃だったろう。その後、この切羽詰まった哀れなビギナーにどんな至福が訪れたかは、以下のとおりである。

ノミの第一打を入れてからは、それまでの逡巡がうそだったように、無我夢中、一心不乱に彫り進んだ。
後付けなら何とでも言えるが、あえて言えば、あれはどうも石がわたしを起こしたような気がする。

「おい、目を覚ませ、わたしを彫れ」

あとは、もともと石の中に隠されていたお地蔵さんを、ひたすら彫り出させていただいている、という感じであった。
それが証拠に、できあがったお地蔵さんは、習作のつもりでつくった粘土の模型とは、似ても似つかぬ形をしていただけでなく、はるかに整って、はるかに慈愛に満ちた表情をしていた。

こうして、何日かかるかという見当さえつかず、わたしの血圧を押し上げていたお地蔵さんが、8時間のうちにあらかた完成してしまった。案ずるより生むが安し、を絵に書いたような顛末である。
数日後、堂々と日にちの余裕をもって送り届けた先方では、思いがけずありがたい御尊顔を拝して、大喜びされたことは言うまでもない。

お地蔵さんはいま、C商店街のさるケーキ屋さんの軒先に鎮座している。
座ぶとんによだれ掛け、頭巾まであてがわれて、猫可愛がりされているのが嬉しいが、素が見えにくくなって、通行人に「サンタさんみたい」と言われているのがちょっと不憫だ。
前には賽銭箱が置かれ、どなたかが描かれた絵手紙が脇にピンで止められていたりして、霊場の風情までもう一歩となっている。

不勉強ながら、わたしは未だにお地蔵さんが何であるか、よくは知らない。しかし、信仰心とはそういうものなんだろう、と思う。時折、ケーキ屋さんの前を通るときには、自分のつくったお地蔵さんに手を合わせ、お賽銭を投げたりしている。

以来C商店街では、毎年ではないようだが、時折、地蔵祭が挙行される。
その日のために特設した賑々しい祭壇に、わがお地蔵さんがちょこんと祀られて、大勢の人々が直会で盛り上がる。

ある年、制作者出てこい、と招待された。
作者不詳がコンセプトだったはずなのだが、そのあたり、地域おこしイベントというのは柔軟である。行ったら、あいさつをしろと言われたのだが、もうただただ「すばらしい機会を与えてもらって幸せです」と言うしか言葉が出なかった。

いまだに、あれは自分が彫ったという実感がもてないからだ。石には、そういう力がある。

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