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「辺境都市」広島

日本版・・・

最近、「日本版・・・」というのをよく聞きます。日本版NSC、日本版ISA(NISA)、日本版SOX法、日本版NIH、日本版CCRC、日本版CSI、ナーシング・スキル日本版、日本版SBIR・・・・。
NISA以外はすべてアメリカにお手本がある制度や仕組みであって、もとの名称に「日本版」をつけたもの。なかには日本版401kなどと、米国内国歳入法の条項名をそのまま使用したものまであります。
この「日本版」という接頭辞を見るたび、わたしはその卑屈さに涙を禁じえません。
なにかよくは分からないけれど、欧米で検証ずみのものらしいから、たぶんよいものなのだろう、と感じてしまう自分が悲しい。

辺境論

仏文学者の内田樹さんは「日本辺境論」で、日本人は古代からずっと華夷秩序の中に身を委ねて、価値基準を外に求めてきた、これは「漢委奴国王」から2千年もそうやってきたことで、もう変えようのないことであるから、そのことをポジティブにとらえて未来の可能性を探ろう、というようなことを言っています。
内田さんは、要するに、悲しまなくてもよいと言っているのですね。
この辺境論には、合点のいくことがたくさんあって、大いに膝を打ったのですが、「変えようがない」という意見には疑問をはさみたい気分があります。
たとえば、漢委奴国王の前の縄文時代は1万年も続いています。わが祖先は1万年間、津々浦々に小さな集落を営み、数百キロにも及ぶ交易ルートを巡らせてお互いに支えあっていたのでした。競争も侵略もなく、おそらく華とか夷とかいうコスモロジーとは無縁だったでしょう。
変わったかもしれないのは、たかだかここ2千年のこと。

三浦梅園

江戸中期に豊後の三賢人のひとりといわれた思想家三浦梅園が、生涯郷里を離れず、長崎遊学と伊勢参りをしたほかは江戸にも京にも行ったことがなかった、という話がわたしは好きです。国東半島の先、安岐町の旧居を訪ねると、自筆のメルカトール図法世界地図や精巧な天球儀が当時のまま置いてあって、とても僻地の研究室とは思えませんでした。
近世の幕藩体制は、すくなくとも国内的には、価値基準を中央に頼らず自分でつくりだす、という気概を地方に醸成していたのでした。

平和都市広島

広島が平和都市の宣言を毎年繰り返しながら、つねに目指してきたのは、辺境意識からの脱却ではなかったかと思います。
世界の恒久平和などという目標理念は、東京が地方を照らし、地方都市がその周縁部を照らし、基幹集落がそのまた周辺部を照らす、というようなヒエラルキー感覚からは出てきません。
思わず他の都市と比較してしまうような癖とも無縁のものです。

広島がこうした崇高な理想を掲げた以上、都市としての存立の意義やマナーを東京とかニューヨークから与えてもらうのではなく、自ら考えて主張し実践しなくてはならない。そのためには、どこかで思考中断していないかを、つねに緊張感をもち胸を張って問い続けなくてはいけません。
どこかにスタンダードを求めていないか、前例がないから不安だと思っていないか、「国策」だから知らないなどと逃げていないか・・・・・。
地方自治体が実際には国の下請け機関であろうとなかろうと、あるいは日本国が実際にはアメリカ合衆国の属州であろうとなかろうと、広島だけは頑固に誇り高くすっくと立っていようではないか。

平和都市広島 (T_T)

と、大上段にかつ控えめに言ってはみましたが、愚痴っぽくなるのは、広島が普通の物分りのよい地方都市に堕落しつつあるのではないか、という兆候をこのところ多々見聞するにつけ、小卒ながら憂慮しているためです。
東夷の小国日本の中の、中央からはずれた辺境の町で、きょろきょろしながら借用すべき権威をさがしている、といったような姿を見ると、やはり情けなくて涙がでます。

W(≧0≦)W

そこで、もう奥歯にものの引っかかった、優等生みたいな物言いはやめて、この際いっそタガをはずしてわめきたいと思います。

原発

まず、原発に対する及び腰の姿勢は、あれはなんだ。
原発は、物理的原理からいっても政治的ニーズからいっても、原爆と一心同体であるというのは周知の事実です。このことは誰でも知っていることながら、別稿でしつこく言及しました。原発に対する態度は、核抑止力が是か非かという思想に直結しています。

原子力平和利用

広島は被爆都市として「核と人類は共存できない」という主張を頑として発信しなくてはならない。その際、アメリカや日本政府の顔色を伺う必要はなく、日米安保に思いを致す必要もない、という資格が広島にはあります。

イベント

それから、ある巨大スポーツイベント(広島オリンピック構想のことですが)を招致しようと検討していた市の基本計画案。
その基本的な姿勢は、当該イベントの新しい理念を示すという意味ではまずまずのものでした。
ところが、各論にはいっていくとそうはいかない。選手村はどうするのか、競技場はどうするのか、宿泊施設はどうするのか、輸送はどうするのか、そもそも開催資金をどう調達するのか、なにをとっても広島の都市スケールをはるかに上回る規模のものでした。だからこそ前例のない革新的提案が目の覚めるように列挙されるだろうと期待して、わくわくしたものです。
実際に、さまざまな八方破れの提案が、あちこちから出されました。
ところが、そういうアイデアの卵の数々は、きちんと検証されないままどんどん換骨奪胎されてほとんど日の目を見ず、なんだか手堅いけれども夢のない計画におさまってしまった。なるほど計画はできたけれども、ほんとうにこれでスケールの壁を越えることができるのか、という疑問をもたれたのも故無きことではありません。
これは、わたしが地方議員さんの顔色を意識せざるをえない行政職員でないから言える、気楽な評論かもしれませんが、とにかく冒険ができないで前例主義に走ってしまうのを目撃して、心底情けなかった。

都市開発

ある巨大都市開発(広島駅周辺のプロジェクト群のことですが)を進めるにあたって、その中のある地区のエリア・マネジメントのためのガイドラインを起案したときのこと。
守秘義務ということがあるので、細かくは言いませんが、すくなくともその合意形成過程は、公的地権者間の利害調整に終始して、平和都市の玄関口にどのような都市機能を、どのような都市空間を、といった熱い議論はなかったように見えました。
こういう機会を活用して、広島の都市政策について寝ても覚めても思い巡らし、それをライフワークにするような人材を育成する、というような取り組みがなければ、いつまでたっても広島は辺境のままです。
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あああ、やっぱり愚痴はいやだ。もうやめよう。
都市というものは、辺境都市であってもよい。ただし、中央にお追従を並べ立てるような都市にはなりたくないものです。これも愚痴かな?

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