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セルフビルド宣言

セルフビルドにはまった

世の中の「セルフビルド」の建造物が最近気になる。これは、そのまねごとを自分ではじめてしまったからでもある。

シュバルの理想宮
(フランス観光開発機構公式フランス旅行情報のページから)

セルフビルドとは、文字通り自分で家を建てることをいう。

世界にはすごいものがたくさんあって、なかでもフランス南部オートリーブにあるシュバルの宮殿などはもっとも有名なセルフビルド建築であろう。郵便配達夫フェルディナン・シュバルが43歳の時から33年かけて1912年に完成した。

日本では、高知市内に沢田夫妻が建てた(奥さんの裕江さんによると、現在も続行中という)地上5階地下1階建て鉄骨鉄筋コンクリート造の沢田マンションが、いろいろなところで取り上げられている。4畳敷きはあろうかと思われるパレットがウィンチで上下する外付けシースルーのエレベーターがあったり、屋上にこれも自作のクレーンや池や田んぼがあったり、4階まで車で上がれるスロープがあったりと、思わず、ああ、ここに住んでみたいと嘆息してしまうような、68戸からなる賃貸マンションである。

沢田マンション

自分でもはじめてしまったなどと偉そうに言ってみたが、わたしの場合は建造物といえるような規模ではなく、部屋の改装をチマチマやっている程度なので、とてもセルフビルドなどと言えた代物ではない。

しかし、実際に自分の手で作業してみると、高名なセルフビルド作者たちの目指した達成感や内に秘めた覚悟(大抵が偏屈者と見做されて孤立しているのである)といったものが、なんとなく想像できて、ちょっとほくそ笑んでしまう。
ここで、そのほくそ笑んだ内容を以下に述べてわたしのセルフビルド宣言としたい。

セルフビルドは何が面白いか

セルフビルドには、普通の建設工事と違って大きな特徴がある。

工期がない、設計図がない、に始まる諸条件は、(多くの場合)土地の制約がない、利便性やリスクの判断基準は本人の考え方だけに依存する、などとあいまって、通常の工業的建築技術がよって立つ基盤をまったく無視したものとなっている。

あえていうならば、既存の建築技術は前提条件を平準化して効率を追求するようなところがあり、敷地の余裕が存分にあるような場所でも、いかに壁厚を薄くして性能を確保するか、といったことに腐心する。その結果、団地に建てられていると同じようなプレハブ住宅が、山の中に持ち込まれる、というようなおかしなことになるのである。

セルフビルドには、それとは反対に土地や個人の個別の条件に適合しようとする働きがある。そういう働きが、なにをもたらすか。いくつか列挙すると・・・

大味にならない

わたしの見識の低いせいかもしらぬが、どうも最近の有名建築といわれるものには、架構の面白さとか、壁面の材質の新規さとか、シングル・イシューに頼ってそれを力づくで実体化したようなものが多い・・・ような気がする。
そのために、遠目にはそれなりの迫力が感じられても、近くで見るとなんだか大味で、親しみがもてないといった淋しい経験をすることが多い。

コツコツと根気良く作っていくなかでは、とてもこのようなことは起こらない。バ~ンと型枠をこしらえて生コンを一気に流し込み、2日か3日で1階分立ち上げてしまう、などという必要はないし、そんな大がかりな作業もできないので、レンガにしろ木構造にしろ少しずつ手作業で積み上げていくうちに、あらゆる部分にその時の気分が反映されてしまう。
その結果、施工精度のはなはだ低いものにならざるをえないのであるが、逆に、全体の構想はシングル・イシューであっても(そうはならないのであるが)、いたるところ手の跡が残される。そこのディテールに神が宿るのである。

沢田マンションは、鉄骨鉄筋コンクリートという、わたしなどから見ると巨大技術で建設されているのだが、型枠の狂いとか、壊したり追加したりした痕跡とかに加えて、沢田さんの収集した発動機がモニュメントとして随所に据え付けられていたり、1戸として同じ間取りの部屋がないなど、まさに手わざが生み出したアートとなっている。

変幻自在の材料

なにかに役立つだろうと思って放っていた木片や、金物や、石材といったものがそこら辺に転がっているのに気がついて、これをなんとか使ってやろう、というのがセルフビルドの発想である。いってみれば、廃品再利用。それが目的ではないものの、どうもそうなってしまう。

それだけではない。ちょっと田舎に行けば、そこは建築資材の宝の山である。
河川敷に降りれば、選り取り見取りのサイズの川砂や玉石がたまっている。山に行って、スギやヒノキの間伐材を引き取るといえば喜んでもらえる。農家の裏には、どういうわけか不要になった電柱や枕木が転がっている。川原の葦を刈り取れば感謝される。ちょっと習熟すれば、真砂土、赤土、黒土、粘土など必要な土のありかがわかる。
どれも管理者や所有者がいるのではあるが、日曜大工に消費する程度の量を調達するのは、それほど大変ではない・・・場合が多い。

お金の力ではなく執念で材料を集め、それに新しい命を吹き込むというのは、こちらの醍醐味である。規格品は一切なく、すべて色も形もちがう材料となる。材料を集める前にとりあえずカタログを見る、などということには考えも及ばない。

適材適所というわけにはいかないが、地産地消という必然性が得られることは大きい。適材を使用した場合に比べて作業効率や性能が落ちる分は、工法や嵩でカバーできる。この工法や嵩の工夫が、しっかりした個性になるのである。
150mm厚のコンクリート壁を作るのがやっかいであれば、土を固めて1000mm厚で版築の壁を作ればよい、といったような思い切りができるのが嬉しい。強度も断熱性も十分確保できるだろう。なんといっても、補修が容易である。
ただし、土地の利用効率は落ちる。また、手間と根気はとことん覚悟する必要があるが、それもまた楽しみ、といえるのがセルフビルドのよいところである。

「土で作る家」で画像検索すると、アースバッグだけでなく、世界中のさまざまな土の家の例がでてくる。見ていると、愉快でしかたがないが、これなどは常識というものがいかに楽しさを邪魔しているか、という見本である。
マリの泥のモスクや、アルジェリアのガルダイア市街地の造形などは、破天荒きわまりなくて胸がすかっとする。

シュバル氏は、郵便を配達する毎日30kmのコースの途中で見つけた石や貝殻を、家に戻ってから再びバスケットや一輪車で拾ってきて積み上げたというから、まことに執念である。

ワッツタワー(後藤圭太氏のHPから)

アメリカのロサンゼルスにあるワッツ・タワーはイタリア移民の建設作業員であったサイモン・ロディア氏が、毎日現場から拾ってきた不要の鋼材やゴミ捨て場のビン、タイルなどをくっつけて建てたもの。

14ほどの構造物からなり、タワーは3基あって高いものは30mに達する。
鋼材をくっつけるのに、溶接とかボルトとかは用いず、彼なりに工夫して、接合部を金網で巻き、その上にモルタルを団子状にかぶせて固定するという、目の覚めるような工法をとった。それがまた独特の表情をタワーに与えているのである。

こういった背に腹替えられない創意工夫の結果が個性になるのであって、いたずらに姿形や色彩で表面だけ変わった細工をしたところで、尊敬されるような個性を得られるわけではなかろう。

以前、某市の市役所の企画畑の人たちが集まって「らしさ」を追求するにはどうすればよいか、というような議論をしていた。祭りがよいか、珍しい観光イベントがよいか、なんたら博物館なんかはどうだ、といったような話ですね。わたし自身はそれを聞きながら、やや鼻白む思いをした・・・というよりも失礼を承知でいえば「なんとアホらしいことか」と、心底悲しかったことを覚えている。
都市の個性というのは、たしかに欲しいものではあるが、それ自体が目標となるようなものではない。その都市の固有の諸課題や諸条件にあわせて真摯に諸施策を編み出した結果が、はじめてその都市らしさを醸し出すのである。
そのような諸努力を棚上げして、いきなり「らしさ」を議論するなどは、本末転倒の見事な見本であって、頭でっかちの諸アホがやることである。

ずっと腹にたまっていたので、思わず話がそれた。

ついでながら、ワッツ・タワーはサイモン氏42歳の時から33年かけて建設し、1954年に完成した。シュバル氏43歳、33年との符合が面白い。
と思って調べてみたら、沢田マンションを建てはじめたのは1971年沢田嘉農氏が44歳の時で、75歳で亡くなる前年にほぼ現在の概観が完成しているので、30年である。なにか、法則でもあるのかしらと思わせるものがある。
さらについでながら、10万個のレンガを自ら焼いて建てた「徳島のサグラダファミリア」と呼ばれる“大菩薩峠”は、徳島県阿南市にある喫茶店。1966年35歳の島利喜太氏が着工し、現在85歳でなお建設中というから、こちらはさらに長期のプロジェクトとなっている。
京都の有名な“かぐや姫竹御殿”は、長野清助氏が自分の竹細工の店を息子に譲った後に27年かけて建てたもの。
さらに追加すると、アメリカのシミバレーにある“ボトル・ビレッジ”は60歳近くだったトレッサ・プリスブレー女史がその後25年かけて作ったもの、マイアミ近郊にラトビア生まれのエドワード・リーズカルニン氏が1100トンの珊瑚で作った“コーラル・キャッスル”は、彼が64歳で亡くなるまで28年の歳月をかけている。

セルフビルドを極めようとすれば、少なくとも20年以上は邁進する必要があるらしい。

発見の連続である

自分で何かを作ろうとすると、当然ながら何から何まで自分でやることになる。

穴を掘り、石を積み、セメントを練り、木を刻み、電線や水道管を敷設し、要するに土木、左官、大工、設備工事を一手に担う。それぞれ違ったノウハウがあるし、たいていはこれまでにやったことのない仕事であるから、見よう見まねになるのはいたしかたない。

工事現場で職人さんの仕事を盗み見したり、ネットの動画を見たりして下調べを行った後に、いざとりかかるわけであるが、このときのジャンプ感覚あるいは瓦解感覚には素晴らしいものがある。
見てわかったつもりになっていたことが、実際に自分でやってみると、なあんだこんなに簡単なことだったかと気がつく。あるいは逆に、全然誤解していたことに目覚める。

要するに、技能(というほどのものではないにしろ)というものは、頭だけでは想像できない多くの部分でなりたっているのである。頭で考えるのではなく、手足でも考えざるを得ないのだが、そのこと自体とても清々しい体験である。

たとえば、コンクリートの配合をどうするか。

標準配合表を見ると、強度と柔らかさ、セメントの種類などに応じて水、セメント、砕砂、山砂、粗骨材、混和剤の割合が有効数字3桁でこと細かく記載されていて、とても素人の手出しできるものではないと諭されているようだ。
しかも、コンクリートを使う局面や使い方は千差万別。手に入る砂や骨材も仕様書どおりとはいかない。もうこれは、配合表を捨てて、こちらの事情にあった配合割合を手探りで見つけるしかない。

というと、大変なように聞こえるけれども、自分で見つけるのだと決めればなんとでもなる。何度も失敗を重ねているうちに、自然とわかってくるものだ。

自慢ではないが(実は、自慢なのだが)、いまやわたしはコンクリートミキサーのドラムの中を滑るコンクリートの音を聞いただけで、その具合を適格に知ることができる。土間コンに流すのか、型枠に打つのか、石積みの目地に詰めるのかなど、使い道に応じたコンクリートやモルタルを自在に作れるようになった。
くどいようだが、このノウハウは頭ではなく体で覚えたもので、まったく人の役には立たない。

それから、こういうときはこうするものだ、という常識をあえて捨ててかかると、こんなに世界は広いというのを発見できることも、喜びである。
道具などは、この典型である。たとえば、タタキを叩くのに専用の叩き棒がなくてはいけないかと思うと、案外そこら辺に転がっている大きめの木片を使ったほうが効率がよかったりする。

世の中の進歩は、特定の人や条件にだけ役立つ特殊解ではなく、いろいろな場合に適用できる一般解をどんどん積み重ねることで達成されてきた。みんなが、個々に工夫しなくてもすむように普遍的なやりかたというものを普及させていく、というのが進歩であった。

セルフビルドは、これにまったく逆行する行いであって、人のためにならないという点で人間の社会的な営みに反する行為であるともいえる。こういうことを発見するのも、楽しみのひとつである。

何事につけても、確信犯になるということは誇らしいことなのだ。

セルフビルドの心得

とはいえセルフビルドは、いくらでも貪欲になれそうに思えてしまうので、どんどん欲がでて、度を越し、あらぬ方向に行ってしまいがちである。
そうすると、自分ひとりではできなくなったり、一般解をひねり出そう、あるいは一般解の助けを得ようなどという邪な考えに傾いたり、放っておくといろいろと道を踏み外してしまう可能性が高い。

セルフビルドの要諦は、目移りしないで、人の噂も気にしないで、一心不乱に冷徹に歩みを進めていくことにある。
そこで、個人的に気をつけていよう、と思っていること。

装飾過多にならないこと

なにせ、ろくな設計図などはない、工期に迫られていない、段取りをいくらはずれても人に迷惑をかけることはない、ということで、いろんなことをやってみたくなるのが人情だ。

そこで、思わず装飾過多、それもバランスの悪い思いつきの装飾が必然性もなくちりばめられる、というようなことがおこる。それがいかにも素人素人したケバい外観をつくってしまう。

ワッツ・タワーやシュバルの宮殿は装飾の山だが、どこが違うのだろう。これはたぶん、美意識でしょうね。あの人たちの作品には妥協というものがなく、あの人並みはずれた執念のオーラには、飾りが安直だなどと言わせない迫力がある。

そういう覚悟がない限り、どちらかといえば禁欲的になったほうが気持ちが良い。「教養とは過剰に対する鋭敏性である」と言った人がいるが、何事にも“はにかみ”が必要である。

これは、というところに徹底的に密度の高い装飾を施す、というのがお洒落というものではないか、と思う。

美を追求すること

インサイダー・アーティストを自負する人たちは、特別の芸術教育を受けていなかったり、芸術サロンに参加していなかったりする人をアウトサイダー・アーティストと呼んで蔑む傾向がある。
情熱だけがアートの母であることは、彼らも知っているのだが、やはりインとアウトを分けて自分たちの特権的立場を守りたいのであろう。

しかし、当然ながら技巧や経験や経歴がアートをつくる必要条件ではない。
みんながミケランジェロになる必要はないし、それだけが美のありようではない。アートは決してエスタブリッシュメントの独占ではないのである。

「わたしの美はこれだ」とセルフビルダーは自信をもって主張しなければならない。

驚くべきことに、シュバルの宮殿は1969年に当時のド・ゴール政権下の文化大臣アンドレ・マルローによって国の重要建造物に登録された。その際のマルローの説明は「建築分野における素朴派芸術の貴重な作品」ということだったという。

ちなみに、ワッツ・タワーも1990年にアメリカの国定歴史建造物に指定されている。

諦めないこと

セルフビルダーのもつビジョンは、たいていの場合スケール・オーバーで、やり始めてから後悔することが多い。

わたしの場合、12畳の部屋をタタキの土間にしようと思ってとりかかったのであるが、やってみると下ごしらえから床の完成まで、実に3ヶ月を要した。土と石灰と塩カルを混ぜて床に盛り、木槌で叩き続けて、1日にやっと50センチ角くらいの面積しか捗らないのである。
途中で、いろいろな雑念が脳裏をよぎる。もっと効率のよいやりかたがあったのではないか、板張りの床にでもすれば簡単だったのではないか、そもそもこんなことしていてよいのか・・・・。

ところが、50センチ角とはいえ毎日確実に出来上がっていくし、この床は意識して壊さない限りこれから200年や300年はもつだろう、と無理やり前向きの思考にすがりながら、なんとか作業放棄するのを持ちこたえると、3ヶ月かかったとはいえ本当に完成してしまった。
いま、外壁として瓦の築地壁を作っている。これは通算して6ヶ月でまだ半分もできていないものの、タタキの“成功体験”に背中を押されて、しぶとく挑戦を続けている。

ヘミングウェイの“老人と海”に「これをやるために俺は生まれてきた」と自分を鼓舞する独白のフレーズがあるけれども、これはセルフビルダーを勇気付け、雑念から解放する台詞でもある。

余計なことを考えないでコツコツとやっていれば、必ず完成する。かかった時間の分だけ、重厚なものになる。
シュバル氏を見よ、ロディア氏を見よ、というわけである。

わたしのセルフビルド憲章

わたしが今手がけているのは、家の角部屋の改装作業である。

8畳間の周囲の廊下をとって12畳にし、ついでに畳を取り払ってタタキの土間にし、ついでに角部屋なので外部に通じる入り口をつけることとした。できあがれば、書斎として使うつもりである。

工事途中の書斎の床

セルフビルドをやっている人は、あらゆる部分に思いがこもっているので、とにかく他人に自慢したい。それで、わたしの場合もこの書斎を語り始めるとキリがなくなるので、残念ながらここで詳細には触れないことにする。これは、ささやかな禁欲のつもりである。ちょっとだけ内緒で、タタキの部分の途中段階を写真で紹介する。

セルフビルダーの特徴は、あれもやろう、これもやろうと思っているうちに、どんどん“現場”が増えてしまうことである。ただでさえ進捗が遅いのに、そのためにさらに工事が遅れて、いつもどこも工事中ということになる。「やりちらかす人」と表現した人がいるが、おおむねその通りの状況になる。

わたしの場合も、他聞にもれない。家の裏に小さな家を建てようと思って並べた礎石(合計100トンあまり)は、もう10数年を経て草に埋もれ、こうやって、ああやってと夢ばかりが駆け巡る。
いま住んでいる家の中も、築90年ということもあって不具合だらけで、年中修繕しなくてはならない。
単に不具合を正すだけでは面白くないので、ついでにちょっと作り直そうとして、思わず大工事になってしまう。角部屋の改装も、そういう事情で始まったのであった。

やりちらかす中で、密かに決めていることがある。
タイトルのみ列挙する。

(1)30世紀初頭に発掘してもらえるようにすること
(2)5キロメートル以内で産出した自然素材または廃材を用いること
(3)自分ひとりでやること

それぞれ時折例外が発生するものの、いまのところなんとか守り抜こうという決意だけは失わないでいる。

これが、わたしにとっての「美」である。

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