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原子力平和利用

広島市平和宣言

福島で原発事故の発生した年2011年の8月に、就任間もない広島市の松井一實市長が発表した平和宣言は、「事故が原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩した」と述べて、政府にエネルギー政策の早急な見直しを求める文言が盛り込まれていた。
「「核と人類は共存できない」との立場から脱原発を主張する人々と、原子力管理の厳格化と再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいる」という他人事のような蛇足がついていたのが、広島市民としては少し情けなかったものの、平和宣言でエネルギー政策、ひいては核とどのように対峙するのかという問題意識に言及したことは、評価されると思う。

2011年8月7日毎日新聞によると、踏み込みの弱かった点について松井市長は2日の記者会見で「原発は国の政策だ。(市民の)意見も割れている」と説明したという。


2012年にも、ほぼ同様の文言が採用された。

ところが2013年になると、かなりトーンは下がって、「日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し、実行することを強く求めます」というフレーズだけが残った。
これには、理由があるのだろう、どんな理由なのだろうかと思ったら、2013年7月27日の産経新聞に次のような記事が載っていた。

広島市長「原爆と原発は別」 平和宣言 区分け重要性盛る

広島市の松井一実市長は「原爆の日」の8月6日に営まれる同市の平和記念式典で読み上げる「平和宣言」に、原爆と原発事故は別物との認識を明確にしたうえで、エネルギー政策に関する内容を盛り込むことが26日、分かった。産経新聞のインタビューに応じた松井市長は「核兵器反対がなかなかうまくいかないから、(原発の)放射能被害で参りましょうかという、駆け引きには使わないでほしい」と述べ、原爆と原発を同一視して論じることに不快感を示した。(後略)

つまり、原発は原爆と違うのだ、というのが理由なのである。

ついに2014年には、原発事故やエネルギー政策についての言及が、跡形もなく消えてしまった。

賛否両論

この2013年の「原爆と原発は別」発言に対しては、当然ながら賛否両論が巻き起こった。
この発言を評価する人たちの論拠には、

(1)大量殺戮を目指す核兵器と核の平和利用を行う原発を区別することは「国際的な常識」だ
(2)核兵器と原発ではシステムも核反応のレベルも格段に違う
(3)フクシマは自然が原因だがヒロシマは人為的な惨事だ

というような認識がある。

(1)実際に、2011年の広島市平和記念式典でも、参加各国の代表は、いずれも「核兵器と原発は別問題」という認識で共通していたという。
このことに対しては、かつて野坂昭如が言った「技術に平和利用も軍事利用もない。あるのは平時利用と戦時利用の区別だけだ」という名言を紹介しておこうと思う。

(2)核反応のレベルに関しては、反論がある。原発事故ではたしかに原爆のような熱線や爆風、中性子線などは出なかったものの、放出された放射性物質の量は膨大な量であった。11年8月に公表された保安院の試算では、「福島第1原子力発電所1~3号機から放出された放射性セシウム137が、広島に投下された原子爆弾の168個分にあたる」とのことであったから、急性障害はみられなかったにしても、晩発性障害や遺伝的影響が大きいおそれはある。原爆に比べて無視できるような「レベル」ではなかったのである。

なお、福島第1原発から放出された放射性物質の総量の試算結果は、2011年8月保安院「17万5千テラベクレル」、同月原子力安全委員会「57万テラベクレル」、12年2月保安院「48万テラベクレル」、12年5月東電「90万テラベクレル」と、時間がたつごとに大きく増えている。

また、システムが「格段に違う」というのは、どういう根拠なのかよくわからないが、少なくとも連鎖反応によるウラン235またはプルトニウム239の核分裂エネルギーを用いるということでは同じであるし、そのスピードが異なるだけだ。核分裂にともなって多くの放射性物質が生じ、それが長期にわたって健康被害をもたらすという、広島・長崎の被爆市民がなめてきた辛酸という観点からみると、まったく同じシステムなのである。
このことに関して、広島県原爆被害者団体協議会の坪井直理事長も、「原爆と原発はちょっと質が違うが、放射線の被害は同じ。安全神話は地に落ちた。だから『脱原発』しかない」と言っている。

(3)3つめの点についていうと、ヒロシマが人為的な攻撃であることは自明であるが、フクシマがはたして引き金を引いた自然災害だけのせいなのかどうかは、わたしにはよくわからない。

原爆と原発は別のものか?

ところで、原爆と原発がはたして別のものと言ってしまってよいのか、ということにもう少しこだわってみよう。
物理的な現象として同じかどうかということよりも、政策として連動しているかどうか、という点に着目したい。
政策として連動しているものであれば、「核兵器は廃絶しなくてはいけないが、原発はそれとはまた別である」と暢気なことを言っているわけにいかない。

結論的にいえば、「原子力の平和利用」が、核保有国の主導による均衡的平和の維持と一心同体のものとして、極めて巧妙に企画されたということは、歴史的な事実である。
つまり、ソ連の原水爆実験によってアメリカの核兵器の独占体制が破られた後、核拡散の防止にやっきになったアメリカの核政策に日本がとりこまれると同時に、日本の潜在的な核兵器開発能力を育成、温存しようという情熱が、日本に原子力発電をもたらしたのである。

アイゼンハワー大統領が突然国連に提唱した「Atoms for Peace」に呼応するかたちで、中曽根康弘、正力松太郎、茅誠司といった人たちがそれぞれの思惑でタッグを組み、一気に原子力発電を「国策」にまつりあげた経緯は、さまざまな本に紹介されている。

たとえば「日米<核>同盟」(太田昌克)、「福島の原発事故をめぐって」(山本義隆)など最近の好著にもくわしいが、「原水爆実験」「原子力発電」(いずれも武谷三男)といった、まさに「Atoms for Peace」を肯定的にとらえた同時代の本にも、生々しく記録されている。


日本ではじめての原発予算が成立したのは54年、原子力基本法が制定され、日米原子力協定が調印・発効したのは、広島・長崎の被爆からわずか10年後の55年暮のことであった。この結果、原子力技術と濃縮ウランがアメリカから提供され、その見返りとして日本は使用済み核燃料の処分、ひいては核兵器の製造について首根っこをアメリカに押さえられることとなったのである。
冷戦終結後88年に、レーガン政権との間で成立した新たな原子力協定によって、このくびきが緩和され、日本は核燃料サイクルに走ることになるのだが、それらがまったくものにならないまま、プルトニウムの保有量が44トンに達して世界から危惧されていることは、周知のことである。危惧されているのは、それが容易に原爆に転用できるためである。ちなみに、44トンは長崎型原爆に換算して4,000発分にあたる。

蛇足ながら
六ヶ所村の再処理施設が稼動すれば、全国の原発から発生する年間800トンの使用済み核燃料から、毎年4トンのプルトニウムが日本国内で抽出される。これをウランと混ぜたMOX燃料を用いて16~18基の原発のプルサーマル運転を行う(これで年間5.5~6.5トンのプルトニウムを消費する)とともに、高速増殖炉で直接燃やす、というのが日本の原子力政策の柱となっている核燃料サイクルの考えかたらしい。しかし、いまのところ六ヶ所村も高速増殖炉もまったく見通しがたっていないことから、日本のプルトニウム保有量が減る見込みは皆無である。
さらにいうと、日本の軽水炉の使用済み核燃料から抽出されるプルトニウムは、プルトニウム240を多く含むために、それを必要なプルトニウム239から分離しないと核兵器には使用できない。高速増殖炉で発生するプルトニウムは、そのまま核兵器に使用できる。


こうやって、唯一の被爆国日本は原子力を「平和利用」しながら、核兵器の開発能力を育成、温存することに成功した。

実際に、核の平和利用は、潜在的な核抑止力を目的としたもので、両者が一体であるということは、早い段階から政府関係者も公言している。

69年2月に開催された第1回日独政策企画協議における鈴木孝・外務省国際資料部長の発言(10年10月3日NHKスペシャル『“核”を求めた日本』で紹介された)

10 年から 15 年のうちに,(日本として)核保有を検討せざるを得ない『非常事態』が起こると考えている。
日本は憲法 9 条があることで平和利用の名の下に,誰にも止められることなく原子力の技術を手にした。
日本は核弾頭を作るための核物質を抽出することができる。

69年9月25日に外務省が作成した『わが国の外交政策大綱』における言及

当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘を受けないよう配慮する。

92年11月29日づけ朝日新聞が掲載した外務省幹部の談話

日本の外交力の裏付けとして核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。そのためにもプルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術の開発はしておかねばならない。

10年12月21日原子力政策大綱策定会議議事録にみる鈴木篤・日本原子力研究開発機構理事長の発言

原子力ですから、安全性や核不拡散が重要なことは言うまでもございません。これらの問題は、通常のエネルギー技術と違って、国内問題にとどまらず、国際的次元でも考えなければならないという宿命が原子力にございます。したがって、どこの国も原子力を単なる普通のエネルギー技術としては見てないようであります。

どちらかというと、エネルギーセキュリティを超えた国の安全保障の一環としてとらえている国が多いのではないでしょうか。この国の安全保障から見た原子力の位置づけをできれば今度の大綱ではご議論いただきたいと思います。

11年8月16日報道ステーションにおける石破茂・自民党政調会長(当時)の発言

原子力発電というのがそもそも、原子力潜水艦から始まったものですのでね。日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですね。ですけども、日本は核を持つべきだと私は思っておりません。しかし同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。1年以内に作れると。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですかということは、それこそもっと突き詰めた議論が必要だと思うし、私は放棄すべきだとは思わない。

11年10月5日号雑誌「SAPIO」での同じく石破氏の発言

核の基礎研究から始めれば、実際に核を持つまで5年や10年かかる。しかし、原発の技術があることで、数ヶ月から1年といった比較的短期間で核をもちうる。加えて我が国は世界有数のロケット技術を持っている。この二つを組み合わせれば、かなり短い期間で効果的な核保有を現実化できる。

11年9月7日の読売新聞社説

日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ。

原発は、潜在的な核抑止力をもつために必要なのだ、ということこそが日本国政府の隠すことのない本音であり、電力が不足しようがしまいが、原発の発電コストが高かろうが安かろうが、CO2を出そうが出すまいが、何はともあれ原発が「国策」でなくてはならないという理由がここにある、ということがよくわかる。

このことは、以上のような発言や論説などとともに、広く常識として行き渡っている事実であって、核兵器廃絶を願う被爆都市の首長が「原爆と原発は違う」と軽々しく言ってよいことではない。

石破氏が言うように、原発を維持するかどうかという議論は、核の技術抑止力を放棄するのかどうかという議論と一体で詰めなくてはいけないのである。

ところで、12年6月20日に成立した「原子力規制委員会設置法」は、その第一条(目的)に閣議決定された法案にはなかった「我が国の安全保障に資すること」という文言が突然追加され、しかもその附則第十一条(原子力基本法の一部改正)で

第二条中「原子力の研究、開発及び利用」を「原子力利用」に改め、同条に次の一項を加える。
2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。

として、原子力基本法の基本方針に「安全保障」を追加している。

これに対しては、「こういう重大な案件をどさくさに紛れて『こっそり』変更してしまうのは、けしからん」という批判が多く出た。たしかに、こういう複雑な改正手法は姑息なように見えるし(ちなみに、この附則第十一条は総務省の法令データベース(e-Gov)では『附則抄』のなかで割愛されていて、見ることができない)、この件に関して十分な国会論戦が行われた形跡はない。
衆議院の服部良一議員(社会民主党・市民連合)の質問に対する当時の野田総理の答弁は

原子力基本法第二条においては、原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り行うものとする旨が規定されており、設置法による改正後の原子力基本法第二条においても、この旨の規定内容に変わるところはなく、設置法は、我が国の原子力の研究、開発及び利用は平和の目的に限るという方針に何ら影響を及ぼすものではない

というもので、これを確認する参議院付帯決議が付けられた後に成立した。

「原子力基本法の基本方針に『安全保障に資する』と加える改正案の撤回を求める」(世界平和アピール七人委員会)によると「この法案は・・・衆議院に提出され、即日可決され、直ちに参議院に送られて、この日のうちに趣旨説明が行われたと報じられている。新聞報道によれば、265ページに及ぶこの法案を、みんなの党が受け取ったのは、この日の午前10時であり、質問を考える時間も与えられなかったといわれている」ということで、拙速もはなはだしいといえる。

しかし、考えてみればこういう流れは十分予想されたものであって、これまでの暗黙の了解を小出しに明文化してみた、ということにすぎないのではないか。原子力基本法第二条第一項に「平和の目的に限り」と記載されていても第二項で「我が国の安全保障に資する」と明言されているではないか、と解釈できる可能性が生まれた。針の一穴があいて、本音がきちんと顔を出したという点を評価すべきかもしれない。

これまで、別物という認識はあったのか

野坂昭如が言うように、平時に平和利用と言っていても、戦時にはすぐに軍事利用に転換可能なのが技術なのである。だから、もともと”Atoms for Peace”という掛け声そのものがまやかしであって、原爆と原発が違うか違わないかと問うこと自体がおかしい。

しかし、世間の意識としては、たしかに「別物だ」という時代もあった。

平和利用はすばらしい、という時代

原子力の平和利用に踏み出した50年代の雰囲気は、アメリカの強力なキャンペーンが成功したというべきか、その動きを熱狂的に歓迎するものであった。

科学者たちも、その巨大なエネルギーが人類に大いに貢献してくれるという、夢のような未来像を語った。
たとえば、さきの武谷三男たちも、「民主・自主・公開」という3原則(これは後に原子力基本法に採用されたが、その原則がまったく骨抜きになっていることが、今回の事故で露呈した)を提唱しつつ、日本における原子力研究の必要性を熱心に説いたのである。

このような雰囲気は、53年の広島市平和宣言の「原子力を開放し得たことは、明らかに科学の偉大なる進歩」という文言にもあらわれている。
56年5月には、広島原爆資料館を会場として「広島原子力平和利用博覧会」が3週間の会期で開催されている。
原水爆は悪であるが、平和利用は正しいという論調は、54年のアメリカによるビキニ環礁水爆実験によって「第5福竜丸」乗組員が被曝したあとも、若干慎重になりながらもしばらく続いていた。

広島市の平和宣言の変遷に、それを見てみよう。

54年「一切の戦争排除と原子力の適当なる管理を全世界に訴える」(浜井信三市長)

56年「原子力の解放が一方で人類に無限に豊かな生活を約束する反面、恐るべき破壊力は人類の存続をおびやかしている」(渡辺忠雄市長)

67年「原子力の開発は、明らかに20世紀科学の輝く勝利を意味したが、この近代科学の偉大な成果が殺戮と破壊のために使われるか、はたまた、福祉と建設のために使われるかによって、人類の運命はまさに大きく決しようとしている」(山田節男市長)

これらの時代、少なくとも80年代にいたるまでは、「原爆と原発は別物」という意識があったといえる。

平和利用もあやしいぞ、という時代

86年に旧ソ連のウクライナで起こったチェルノブイリ原発事故のあと、広島市の平和宣言は、どう変わっただろうか。

86年「事故は、人びとを放射能の恐怖に陥れ、安全管理の国際協力に大きな課題を残すとともに、一国の事故が他国にも禍いを及ぼすことを知らしめ、世界は核時代の現実に慄然とした」(荒木武市長)

91年「無謀な核実験の続行や原子力発電所の事故などで、放射線被害が世界の各地に拡がりつつある。もうこれ以上、ヒバクシャを増やしてはならない」(平岡敬市長)

94年「原発事故や核廃棄物の投棄は国境を越えて地球を汚染する。放射性物質、とりわけプルトニウム管理の透明性を国際的に確保すること、そして、原子力技術の「民主・自主・公開」の原則順守を強く求める」(平岡敬市長)

チェルノブイリ後、平和利用もあやしいぞ、という時代になって、原発への楽天的な期待はだんだん影をうすくしてきたのだが、これはもっぱら原発事故の危険性に依拠したものであった。
核の平和利用が安全保障の一環であるという実態を問うたわけではない。

しかし、原爆と原発が違うか違わないかと問うこと自体がおかしい、ということに少しずつ気がつき始めた歴史であったともいえよう。

その後の「クリーン・エネルギー」キャンペーンや、それを用いた「原子力ルネサンス」の動きについては、いろいろなところで批判されており、わたしも実に噴飯物であると思うが、そのことについては機会をあらためて考えてみたい。

なぜ避けるのか

13年平和宣言に関する松井広島市長の「原爆と原発は違う」という説明は、以上のような歴史的認識をまったく踏まえない、驚くべき発言といわざるをえない。
というよりも、この発言だけでなく、それに対する賛否両論とも、さらにいえば、原発そのものに対する推進意見、反対意見とも、この「原爆と原発は根っこのところでつながっている」という認識を微妙に避けているように見える。
本質論を隠蔽しながら、それぞれが各論を戦わしているのが不思議でならない。

すでに、原発事故に言及した11年の平和宣言について、広島市立大広島平和研究所の田中利幸教授は
「市長は、核兵器であろうと電力であろうと、核とは共存できないというメッセージをはっきり出すべきだった。世界に対する発信としては弱すぎる」
と指摘し、こう分析している。
「原子力の平和利用について発言してこなかったことは、被爆者自身も間違いに気付いている。問題を克服するチャンスだったが、ふいにした」 (共同通信)
これは、正論である。

何かがおかしい

まず、「平和」利用というのが誤解のもとである。核の潜在的抑止力に依存することが、真の意味での平和であるわけがない。
言うとすれば、平和利用ではなく、「民生」利用というのが正しいのだが、それではあまりにも核兵器への連続性があらわになってしまい、被爆国の国民に受け入れられないという配慮が働いて”Atoms for Peace”となったのだろう。

さらに、「原子力」発電というのも誤解のもとである。もとの語は“nuclear power generation”であって、“nuclear weaponry”つまり核兵器と同根の名称なのである。翻訳するのであれば、「核発電」が正しい。ここにも、同様の配慮が働いている。「原子力」という言葉をいつ誰が発明したのかは知らないが、そもそも原子核に中性子をぶつけて分裂させた際に生じるエネルギーは、核に由来するのであって、原子が発するのではない。

こういった長年の美名化操作を積み重ねて、「原爆と原発は別のものだ」というような詭弁を弄しながら、核の潜在的抑止力の維持を図ってきたというのが、わが日本の原発事情の本質なのである。

被爆都市ヒロシマは「核と人類は共存できない」と勇気をもって発言し、核の抑止力を拒否し、したがって原発の存在そのものを否定する態度を示したいものだ。

集団的自衛権が簡単に容認されたように、原発で製造されたプルトニウムを突然原爆に変貌させて核保有国としての発言権を獲得したいという誘惑に、誰かが負けてしまってからでは遅い。

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