category name  »  page title date

1964年

いつまで川で泳いだか

小学校の頃,夏休みになると叔母の家に預けられるのが楽しみだった。松山市の石手寺の少し上流部の溝辺町にあった家からは,毎日石手川に泳ぎに行って過ごした。

地元の子どもたちが「男淵」と呼ぶ深みに飛び込んだり「女淵」で潜ったりしながら,なんという名前か忘れたが,体の透き通った細長い魚と一緒に一日中遊んだ。子どもの頃の清冽な記憶である。

最近はよほどの田舎に行かないと,川で泳ぐ姿を見かけない。
町の子どもはいつ頃まで川で泳いだのだろうと広島で探してみると,1964年の写真がみつかった。都心の本川で大勢の子どもたちが写っている。木製の飛び込み台が川の中にあって,そこから元気にジャンプしている姿がまぶしい。しかし,これ以降の写真はとうとう発見できなかった。

小中学校のプールが積極的につくられるのは、61年からの国の助成、64年からの体育施設整備5か年計画に取り上げられたのがはじまりというから、やはりこの頃に全国的にも転換点があったのである。

64年といえば、東京オリンピックの年だ。10月の開会式の9日前には東海道新幹線が開業し、開催期間中にソ連のフルシチョフ首相が辞任し、閉会式翌日に池田首相が辞意を表明、翌月佐藤内閣が発足した、そういう時代である。

その後の変化はすさまじい

東京オリンピックから日本が変わった、とよく言われる。

日本は、高度成長に突入し、普及し始めた家電製品が急速に家庭にはいり、75年には電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機、カラーテレビが普及率90%を超えている。
おかげで、この50年間に家庭用電力消費量は4倍に増えた。64年当時は、家庭のエネルギー源の1/3以上をまだ石炭や薪が占めていたのである。

有史前から何万年も何十万年も、子どもたちは川や池のそれぞれの男淵女淵で泳ぎ、水の底に潜む得体の知れない者の匂いを嗅ぎながら成長してきたのだが、東京オリンピックを境にそれをやめた。
同時に大人たちは、洗濯もスイカを冷やすのも、川ですることをやめ、家で薪を焚くことをやめた。

その後の身の回りの変化はすさまじい。それは、われわれ団塊の世代が生きた時代そのものだ。

どういうふうに変わったか

この暮らしの激動ぶりが、どんな世界をつくり、人々の生活態度をどう変えたのかと思いを巡らせると、本当にドラスティックであったなあ、とため息がでてしまう。

この4、50年での身辺の変化がどんなものであったのか、数字で振り返ってみようと思って、少し統計を調べてみた。以下、その備忘録である。

外務省の旅券統計によると、海外渡航が自由化された64年の前年度の一般旅券の発行数は約9万冊、海外渡航者数は10万人。12年現在の有効旅券は3,900万冊、渡航者数1,850万人である。

わたしがはじめて外国に行ったのは、66年秋のドイツであった。そうか、あれは海外渡航自由化の2年後だったのか。当時、1ドルが360円で、円の持ち出しは500ドルに制限されていた。楽器店などに入ると、「お金のない人は来てほしくない」というような目で見られたのを覚えている。

世界初のトランジスタ式電卓が53万5千円でシャープから発売されたのも、64年の春である。
学生の頃、バイト先にこれと同類の「電卓」があった。重くて電力を喰うので、専用の台車に乗せられて、工事現場で使うようなキャプタイヤコードがつき、四則演算限定で、割り算には多少時間を要した。
カードサイズが百円ショップで売られている今思うと、夢のような話しだ。

65年版科学技術白書を見ると、近年国産の電子計算機が「4千~1万語のコアメモリも使用できるように」なった、と誇らしげに書いてある。
今数万円で買えるパソコンでも、10億語のICメモリがついている。

53年2月に本放送を開始したテレビ放送のNHK受信契約数は,同年末で1万7千件,11年現在では4千万件(BS、CS、ケーブルテレビなど放送サービス全体の加入者数は合計で9千万件)、台数は1億台を超えているといわれている。

自動車はどうだったかというと,車両法の施行された51年に6万3千台であった乗用車が,(社)日本自動車工業会の資料によると11年末には5千9百万台に達している。道理で渋滞するはずだ。

たかだか半世紀かそこらのうちに、海外渡航者は180倍に、電卓の値段は5千分の一に、コンンピュータのメモリ量は10万倍に、テレビの台数は6千倍に、乗用車は940倍に増えた。

走れ、走れ

量的な変化は、あきらかに質的な変化をもたらした。
ずいぶん便利な世の中になったという一方で、当然ながらさまざまな軋轢も指摘されている。たとえば、分業が進みすぎて社会のシステムが脆弱になったとか、生活から触感が失われたとかいう指摘である。

しかし、なによりも愕然とするのは、疾走感覚がすっかり身についてしまったことではないだろうか。
明日は今日よりも豊かで便利でなくてはいけない、新たな需要を掘り起こすのは美徳だ、と無意識に思っている。だから子どもたちは「お父さんと同じように生きていてはいけない」と考える。

inserted by FC2 system