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教室の温度

教室の温度

「学校環境衛生基準」というものがあるらしい。

学校保健安全法第六条に基づくガイドラインで、「学校における換気、採光、照明、保温、清潔保持その他環境衛生に係る事項について、児童生徒等及び職員の健康を保護する上で維持されることが望ましい基準」として文部科学大臣が定めて告示するものだそうだ。

のぞいてみると、その詳細さに驚く。
「第1教室等の環境に係る学校環境衛生基準」では(1)換気から(12)騒音レベルまでの12項目、「第2飲料水等の水質及び施設・設備に係る学校環境衛生基準」では6項目(細項目を数えると30項目)、「第3学校の清潔、ネズミ、衛生害虫等及び教室等の備品の管理に係る学校環境衛生基準」では6項目、「第4水泳プールに係る学校環境衛生基準」では12項目、「第5日常における環境衛生に係る学校環境衛生基準」では11項目について、その基準と測定方法が細かく記載されている。

「学校環境衛生管理マニュアル--『学校環境衛生基準』の理論と実践」(平成30年度改訂版)はこの学校環境衛生基準をさらに丁寧に解説していて、資料編を含め全体で215ページにもわたる大部のものである。
たとえば「温度」の項目では、昭和39年に定めた10~30℃を今回(平成30年)17~28℃とした詳細な理由や典拠が紹介され、0.5℃目盛の温度計を用いて測定すること、毎学年2回定期的に検査すること、ただし特定建築物の場合はどう、授業中に机上の高さで検査すること、ただし幼稚園などではどう、・・・・さらに、温度が高い場合の対策、冷暖房設備を使用する場合の判断のしかたまでこと細かく解説されている。
これは、「マニュアル」と銘打っている以上、単なる解説ではなく学校開設者や教師に対する指示といってよいものであろう。

ちなみに、新版の解説は出そろっていないようなので、同基準の参考書を平成22年頃の版で探すと、以下のようなものがある。
○「学校環境衛生管理マニュアル--『学校環境衛生基準』の理論と実践」(文科省著、日本学校保健会刊、\3,024、214ページ、旧版のためAmazonでは\9,779)
○「新学校環境衛生基準対応学校環境衛生Q&A」(日本学校環境衛生学会編、東山書房刊、182ページ、\2,000、絶版のためAmazonでは\23,900!)
○「新訂『学校環境衛生基準』解説」(日本学校薬剤師会編、薬事日報社刊、379ページ、\7,560)

ここまで細かく「指示」され、それを学ばねばならぬとなると、学校の先生方も大変だ。マニュアルを読んでいるうちに、自分で「教室の温度はいかにあるべきか」を生徒の身になって深く考察するなどという余裕は、どこかへ吹っ飛んでしまうに違いない。

半世紀ぶりに温度の基準が改定されたというのでニュースとなった。たとえば読売新聞5月27日付けの記事を見ると、文科省担当者は「子供らを取り巻く環境が変わり、暑さに対する感覚も変化してきた。熱中症対策の側面もある」とコメントしている。

それは、その通りであろう。そのことに異論を挟もうとは思わない。
しかしこの状況は、どう考えても壮大な責任逃れのシステムとしか見えない。「子供らを取り巻く環境や、暑さに対する感覚」を判断しなければならないのは、霞ヶ関の国家官僚ではなく、現場の教師なのではないか? 国はそれをしなくてよい、と言っている。

子供たちはこうして、肌に感じる温度とは関係ない基準数値によって、顔の見えない人たちがつくった鋳型にはめられて成長していくのである。

建築・土木の作業資格

「建築・土木-資格難易度ランキング」には「建設業に従事している人に人気の資格」がリストアップされていて、「空間情報総括監理技術者」から「酸素欠乏危険作業主任者酸素欠乏(旧一種)」まで数え上げると、実におよそ80件にわたっている。

そのうち、たとえば「車両系建設機械運転技能者」だけを見ても、「小型車両系建設機械(整地・運搬・積込み用及び掘削用)」から「車両系建設機械(コンクリート打設用)」まで8種に区分されて、それぞれの資格を得るための運転技能講習や特別教育がプログラム化されている。このリストの中にはクレーン関連が見えないので、そういうのを含めてさらに資格区分ごとに数えると、いったい何百種になるのか想像もつかない。

「建設工事の機械化施工において,施工能率の向上,施工品質の確保等を目的に,建設機械の運転技術および施工技術を有する者として監理技術者または主任技術者となり工事現場を施工管理する」ためには、さらに「建設機械施工技師」(これも1級、2級があり、2級は目的により第1種~第6種に区分されている)を取得する必要がある。
クレーンの免許は、3種の「クレーン・デリック運転士」と「移動式クレーン運転士」に区分されており、このほか5トン未満などを操作できる技能講習・特別教育が4種類ある。クレーンを操作するにはそのどれかだけでは不十分で、別に「玉掛け技能講習」の修了証が必要なことはよく指摘されて「ほほおぉ」となる話題である。

知り合いの土建業者に聞くと、なんでも仕事士は最低7つくらいの資格を取っていないと仕事にならないのだそうだ。

ここまで神経質に細分化し緻密な資格制度をつくっているおかげで、日本の建設業の安全が確保され、技術水準が保たれているのであろう。
運転免許と同じように時代を経るごとに細分化されていった背景には、事故の経験や機材の変化という事情があったのに違いないが、こうして全体の仕組みを複雑化、精緻化することで何かが忘れられているような気もする。

以前、小型車両系建設機械の特別教育を受けに行ったことがある。学科の内容は、梃子の原理とかなんとか、およそ建設機械の操作や構造には関係ない内容で、お世辞にも役に立ったとは言えない。実技研修にいたっては、あっちに行って勝手に乗ってきなさいといったもので、家で勝手に練習したほうがよほど実があるというようなものであった。これに、2日間をつぶし、ン万円の講習料を支払ったのである。

こちらは道楽で受講したので切実とは言い難いが、受講しないと仕事をしてはいけないと言われた仕事師たちにとっては、迷惑この上ない仕打ちである。

この、何かが忘れられた複雑な構造を支えているのは、基準を検討する専門家とか、その手引書をつくる出版社とか、それらの編著者とか、申請手数料を支払うための印紙販売受託業者とか、基準をクリアするために必要な資材の販売業者とか、いずれも善意の夥しい取り巻き軍団である。
しかし、その交通整理を国が一手に仕切っているわけであるから、末端はどうしてもお座なりの形式主義に流れざるをえない。

わたしの経験で言えば、バックフォー操作の際の安全意識やテクニックの向上に、小型車両系建設機械の講習がわずかでも貢献したとは思えない。「講習を受けた」という形式が重要なので、その成果を問おうという向きはどうもなさそうだ。

その形式を維持するために、大勢の人間がかかわり、多くの「国富」が費やされている。これを国が一手に仕切ることによって、国富がいったいどこに流れているのか、という点に国民はもっと敏感でなくてはいけない。形式を背負う人を養うためではなく、なにか豊かなこと、幸せなことを生産するような人を育てるために使われているかどうか。

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