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フォックスファイア

フォックスファイア・クリスマス

30年以上も前に借りて、ただ一度だけ斜め読みした本の、最後の一ページがずっと忘れられないでいる。

途中の内容はほとんど忘れてしまったが、ページをめくっていくと「こういう時はどうするか」という見出しに対して、その答えを絵解きで説明していく、というものだった。
たとえば、豚を料理する時どうするか、ログで家を建てる時どうするか、といった具合で、いわゆるサバイバル本である。「フォックスファイア」という本の題名だけはなぜか覚えていた。

その後気になっていたのだが、どうも手がかりがなく、この本がどういう経緯で書かれたのかを知ったのは、ずいぶん後になって「フォックスファイヤ・クリスマス」(ぶんか社刊、片岡しのぶ訳)をみつけてのことである。

わかったことを要約していうと、こうだ。
1966年から、アメリカ・ジョージア州のアパラチア山地にある郡立高校が、土地の老人たちから消えつつある文化について取材しその聞き書きをまとめる、という教育プログラムを実践してきた。
その成果は、逐次フォックスファイア・マガジンとして刊行されるのだが、そのアンソロジーをとりまとめて出版したのが「ザ・フォックスファイヤ・ブック」シリーズで、これまでに12冊、900万部が出ている。

わたしが読んだのは、その一冊目か二冊目あたりらしい。一連の書籍の著者は、このプログラムを率いた熱血教師の名前を冠して「エリオット・ウィギントンと生徒たち」となっている。

「クリスマス」はそのシリーズの番外編で、アパラチア山脈で昔営まれたクリスマスについての聞き書き集であった。貧しい時代の、つつましくも敬虔な冬の夜のことが、さまざまに語られていて、興味深い。
クリスマスのことだけではなく、その思い出話しを通して、人々がその土地でいかに生きてきたかということがひしひしと伝わってくる。
それらの話しを集めたのが高校生であるということを思うと、年取った農夫が訥々と語る言葉に食い入るような目で耳を傾ける少年の姿が想像されて、感動的である。

30年以上前に読んだ本も、たしかにこういうテイストのものだった。

だから、だから

漱石の「坊ちゃん」は、可愛がってくれた下女の清を置いて松山の学校に赴任した主人公が、そこでさんざん乱暴狼藉を働き、松山と松山市民を愚弄したあげく、清の待つ東京に帰った、というおなじみの物語だが、最後は「だから清の墓は小日向の養源寺にある」という文章でおわっている。

この「だから」はすごい、「日本文学史を通して、もっとも美しくもっとも効果的な接続言」だと井上ひさし氏が絶賛している(「自家製文章読本」)。たしかにそうだ。この三文字が、小説全編をみごとに総括していて、まるでカメラがズームバックしながら空にあがっていくようだ。

さて、「フォックスファイア」の最後の一ページの話しにもどる。
そのページは

「ともだちが死んだらどうするか」

という見出しではじまっていた。それまで、木の伐り方とか、豚の料理方法とか、ロープの結び方とかを読み進んできたので、不意打ちである。
しかし、考えてみればこれは大切なノウハウである。ともだちが死んだ時にどうふるまえばよいかということは、ロープの結び方よりもよほど重要だ。

見出しに続けて、その答えはこんなふうに書いてあった。

まず丸太の絵に添えて、これこれしかじかの薪を何本くらい用意します、というキャプション。
続いて、薪を井桁に組んだ絵があって「背の高さくらいに組み上げます」。
組み上がったら「その上にともだちの体を乗せます」と図解してある。
「下の方から火をつけます」「そうするとともだちの魂は煙といっしょに天国にのぼっていきます」
以上。

天に昇っていく一筋の煙の絵で「フォックスファイア」の本は終わっていた。こんな感動的なページを、その後30数年見たことがない。

木を伐るのは、豚を料理するのは、ロープを結ぶのはなんのためか、大地の上で生きるということはどういうことなのか。
ともだちを焼く煙は、それらすべてのことを、だから、だから、と語りかけてくるようだった。

世の中には、伝えようとして伝えられないものがある。生きるとは何か、死とは何か、ということもそのひとつだ。伝えられないことを、こういうふうに語りたいものだ、とつくづく思った。

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