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ふつうの暮らし

地球家族

手元に「地球家族 世界30カ国のふつうの暮らし」という写真集がある。ピーター・メンツェル氏を中心とした「マテリアルワールド・プロジェクト」によって制作された。
日本では1994年にTOTO出版から発行されている。

各国の典型的中流家庭を訪ねて、家の中の家財道具をすべて戸外に出し、その前で家族全員の集合写真を撮ったものである。
日本の代表「ウキタさん」一家の家は東京で、都心から三回電車を乗り換えて一時間半。どこかの分譲地の二階建て建売住宅で、家の前のアスファルト道路に家財道具を山のように並べている。
どこでどうやって探したのか、ウキタさん一家はその家族や家財の構成といい、家といい、家の立地といい、通勤のしかたといい、まさに日本の「典型的中流家庭」を絵に書いたようで、実に微笑ましい。

30カ国の中では、とくに家財道具の少ない家族の写真にそそられるものがある。
ブータンのナムガイさん一家などは、総勢10人の家族なのだが、見えるものはほとんどが儀式用の仏具と若干の農具。これ以上シンプルにはしようがない。貧しいというよりも、神々しい。

写真はいずれも同書から

家財道具の点数

何かの本で、家財道具の点数を、箸何膳からタンス何棹まですべて数え上げるというマニアックな研究を読んだことがある。
それによると、近世の村落の平均的な家庭では、百点か二百点のオーダーだったと記憶する。本当かなと思うが、たとえば昔の風呂敷・手拭いの万能性などを考えると、なるほどそうだったかも知れないなとも思う。

簡素な暮らしにあこがれる気持ちは、おそらくこの記憶が残っているのだろう。わたしの家はもう子どももいなくなったにもかかわらず、食器の数だけでも近世大家族農家の家財道具の総点数を超えてしまいそうだ。
恥を忍んで、いま机上にあるものを数えてみた。

パソコン本体1、外付けハードディスク3、ディスプレイ1、スキャナ2、マウス2、マウスパッド2、USBメモリ4、テープスタンド3、筆立て3(その中に筆記用具24本、ハサミ4、ピンセット3、カッター3、ホッチキス2、ペンライト1、ルーペ2、三角スケール2)、穴あけパンチ2、ライター2、掃除用刷毛2、リモコン3、秤量器1、ライトスタンド1、手紙入れ1、ハンコ入れ2(その中に認印14、ゴム印8、小さいハンコケース3、実印・会社印3、朱肉大小4、スタンプ台2)、電卓2、パイプスタンド1、パイプクリーナー1、煙草入れ1、レターケース2、ティシュの箱1、名刺箱1
・・・以上が漫然とちらばっている。
※コード類、手紙入れ・レターケース・名刺箱内の書類やカード・名刺類、脇机上および引き出し内収納分は除く。
      合計約120点!

食器の数どころではない。机の上だけでもうすでに近世大家族農家1軒分の水準に達する勢いである。
無駄なものが多すぎる。ハサミを4挺も手許に置いてどうするのか? なぜ電卓が2台もなくてはいけないのか? 認印も朱肉も1つあればよいのではないか?

ひとつのものを慈しんで長く使う、というスタイルからかけ離れたやりかたをしている我が身が、いまさらながら、つくづく情けない。今の日本の暮らしは、あまりにもモノが溢れて、その分生活が貧しくなってしまった。

写真に戻ると、それは点数だけではない。ウキタさんには申し訳ないが、一家の家財道具は色も素材も洪水のようで、満艦飾の体である。
なかでも、薄っぺらくてけばけばしい色のプラスチック製品が多い。
それは、日本が戦後アメリカナイズされたためで、生活の近代化とはそういうことだ、と考えてしまいがちだが、実はそうではない。
ためしにアメリカの一家の写真をめくって見ると、点数ははるかに少なく、何世代も受け継いできたような重厚な家具が多いのに驚く。

とにかく、暮らしのごちゃごちゃ度では、日本は世界の中で、はるかにはるかにずば抜けているということが、この本を見ると如実にわかる。
どこでどう間違ったのか、ともかくわたしたちは、身の回りのマテリアルの中に歴史を刻むような、ふつうの生活を忘れてしまった。
別に、樽のディオゲネスのような禁欲生活を送ろうとも思わないが、このごちゃごちゃ感は、考えれば考えるほどいらいらしてくる。
全部捨ててしまいたい、という衝動にかられるが、どこに捨てればよいのだろう、ああ!

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