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淫乱礼賛

ずいぶん前のことだが、広島の近郊のある町に、そこの商工会の会長さんを訪ねたときのことである。何かの件でインタビューをお願いしたのだが、用の済んだあとで、いっしょに晩飯でもどうかということになった。
町はずれの居酒屋に行くと、何人かの先客がいて、いずれもその店の常連、田舎のことだからみなお互いに顔見知りのようであった。聞くと、全員がこの汗っかきで出っぷりして貫禄たっぷりの会長さんの小学校仲間ということである。「おい、〇〇」「なんじゃい、××」と呼び捨てで呼び合って、がき大将の集会のようになり、酒が進んだ。新参の私は、隅っこでおとなしくちびりちびり飲んでいたのだが、そのうちに一人が立ち上がってビールをつぎにきてくれた。つぎながら、大きな声で信じられないことを言い始めた。
「あのなあ、兄ちゃん、こいつなあ、5年生のときに女の先生とやったんでえ」
指さされた会長さんは、ニヤニヤしながらキュウリにモロミをつけている。
「しかも、3回も」
「いや、4回じゃ」
「お前、3回ゆうとったじゃん」
「もろにやったんは3回じゃったけど、最初に口だけでやってもろうたんをいれると4回」
「色白で小柄でふっくらした先生でなあ。気持ちよかったじゃろなあ。そのあと6年になったら、転勤で遠い学校に行ってしもうて、こいつ、振られてしもたんじゃ」
「やっかましやい。あっちでも、忙しかったんじゃろうよ」
「いっつも宿直室じゃったんじゃろう。あのこと、このお兄ちゃんに話してやれや」
これを受けて、今や功なり名を遂げたこの会長さんは、幼い頃の手柄話を初めて聞く私のために身振り手振りを交えて詳細に語ってくれたのである。
正直いって大変興味深い刺激的な内容であったのだが、それ以上にあっけらかんとしたその大らかさに感銘を受けた。

今であれば、とんでもない話であり、公になれば、その先生は一生を棒に振ったであろう。学友がみんな知っているということは、公になったのである。
こういう話題にジメジメしたレッテルを貼ったり、目を背けるようになったのには、いつの頃からか。かつては、今考えるよりもずっと明るくて、そんなに目くじらを立てるようなことでもなかったのである。それも、この会長さんが小学生の頃といえば、たかだか半世紀前のことである。社会や文化の仕組みは複雑で、単に性の制度だけをとりあげても詮無いことであるが、どちらがよいかと問われれば、明らかに会長さんの時代に軍配をあげる。それは、私の個人的な欲求を満足させたいため(だけ)ではない。健全な性教育のためにも、抑圧された女性の自由を解放するためでもある。

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昔の日本の開放的な性の文化をとりあげた文献はたくさんあるが、いくつか思い出すものをあげる。

フランス文学者の多田道太郎氏は「あまのじゃく日本風俗学」で、視覚聴覚という「高等感覚」に味覚嗅覚触覚という「劣等感覚」を対比させて、「劣等感覚論」という大変面白い論を展開している。劣等感覚こそが本物で生産的なものであって、かつての日本は、この劣等感覚を大切にした「肌の文化の社会」だったと言っている。たとえば
「江戸には湯女というのがいて、風呂でセックスがかなり自由にできるようになっていた」

ノンフィクション作家の杉岡幸徳氏は「奇妙な祭り」で「昔の日本人は、稲の繁殖と人間の生殖を同一視していた。だから、エロな祭りは山ほどある」として天狗とお多福とがベッドシーンを演じる奈良県明日香村の”おんだ祭り”や、真っ暗闇の中で好き勝手に乱交を行った京都府宇治市の”くらやみ祭り”、神社の森の中で男女がお尻を触り放題だった静岡県伊東市の”尻つみ祭り”などに言及している。

民俗学者の宮本常一氏は「忘れられた日本人」で、こんな歌垣の様子を記録している。
「(対馬島内の六観音を)男も女も群れになって巡拝した。佐護にも観音堂があって、巡拝者の群れが来て民家に泊まった。すると村の若い者たちが宿へ行って巡拝者たちと歌のかけあいをするのである。節のよさ文句のうまさで勝敗をあらそうが、最後にはいろいろのものを賭けて争う。すると男は女にそのからだをかけさせる。女が男にからだをかけさせることはすくなかったというが、とにかくそこまでいく。鈴木老人はそうした女たちと歌合戦をしてまけたことはなかった。そして巡拝に来たこれというような美しい女のほとんどと契りを結んだという」
有名な「土佐源氏」は、盲目の老馬喰が人生を振り返るお話の聞き書きである。自分は牛と女のことしか知らない、と語るのだが、牛の話はあまり出てこなくて、全編、かの会長さんの思い出話を上回るあからさまな艶聞譚である。
また宮本氏は、「女の世間」で
「無論、性の話がここまで来るには長い歴史があった。そしてこうした話を通して男への批判力を獲得したのである。(・・・)女たちのエロばなしの明るい世界は女たちが幸福であることを意味している。(・・・)女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである」
と述懐している。
柳田国男氏の「常民」の民俗学には、こういった話題はほとんど出てこない。

その柳田民俗学は「性とやくざと天皇」を排除しているとして批判した反骨の民俗学徒、赤松啓介氏は「夜這いの民俗学」で若衆入り、夜這い、ザコネなどの習俗を体験談を含めて詳細に愛情たっぷりに紹介したうえで
「ムラのイロゴトは筒抜けで、まことに公明正大である。(・・・)教育勅語を地で行くようなムラはどこにもあるはずがなく、そんなものを守っておればムラの活力は失われ、共同体そのものが自然死するほかなかった」
「私が田舎の百姓、小作どもの実生活、都市の商人、貧民たちの生活をありのままに書き残しておきたいと努力しているのは、そのなかに人間の本来の生活が残されていると思うからだ」
と書いた。

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こういう習俗が、日本だけではなく、かつては世界のどこにでもあったものか、今でもどこかへ行けばそんな雰囲気が残っているものか、不勉強ながらよく知らない。
しかし、神様からいただいた性という宝物を、みんなで楽しく慈しむような世の中のありかたの、どこが不都合なのか。「長い歴史」の中で培ってきたのではなかったのか。なにごとも「近代化」という言葉で説明されると、ぐうの音もでないけれども、何かが歪められている気がする。それも、人類700万年の歴史の中で、たかだかここ5~60年のことだと思うと、愕然とする。

知らず知らずのうちに、何かが何かを歪めていて、それはわが文明にとっていけないことではないかと、しみじみ思うのである。

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