美しいメロディーの続きである。
静かな中に朗々と流れる旋律は、印象に残るものが多い。
そのうちから、個人的に思い起こされるものをつらつらと挙げてみる。
いずれも、前後がかなり騒然としていて、急に静かになった中にでてくる短い旋律。
まず、レスピーギ “ローマの祭り”の中の“10月祭”で流れるマンドリンの調べ。
昼間の踊りの後の「柔らかい夕暮れの中のロマンティックなセレナード」なのだそうで、若い男女が愛をささやく情景を、静かなマンドリンの独奏が奏でる。
マンドリンという楽器は、あの派手なトレモロが少し間違うとうるさく感じてしまうものだが、ここではしみじみと切なく胸に染みる。曲自体が大編成で大変賑やかな曲のため、よけいにこの部分が印象に残る。
マンドリンは独奏に限る。
レスピーギのローマ3部作といえば、“ローマの松”の“カタコンベ付近の松”で舞台裏から聞こえてくるトランペットのソロも捨てがたい。グレゴリオ聖歌サンクトゥスのメロディーだという。原曲を聴いてみたことがあるが、確かに似ているものの、レスピーギの翻案は澄み切っていて美しい。
薄暗い舞台裏で孤独に待っていて、いざ朗々と歌い上げるトランペットのなんと幸せなことよ。舞台裏のトランペットというとベートーベンの“レオノーレ序曲第3番”が有名であるが、あれは勇壮なファンファーレで、こちらはカンタービレ(歌うように)。幸せ度は後者が勝つ。
交響詩ローマの松 第2部 カタコンベ付近の松
01:58 あたりから
カタコンベといえば、ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲の“展覧会の絵”の中の“カタコンベ”で湧き上がるように出てくる、これもトランペットのソロの旋律。
後半にかかるところで、たった4小節、6つの音だけなのだが、気持ちがふわっとなる。
このことはトランペットの構造とあわせて、「トランペット四方山話」にも書いた。
ムソルグスキーの原曲はピアノ譜で、ピアノの場合ガンガン弾いてこの部分を通り過ぎる演奏もあるが、アシュケナージュの演奏はこのふわっと感を大切にしていてくれて、ほっとする。
ところでこの6つの音(A-D-C#-D-C-B♭)を普通にB♭管で演奏するのには、3個のバルブのうち人差し指と中指を交互に1本ずつ使って足りる。これは、大事なことだ。
最近の有名なオーケストラが、この部分をB♭ではなくラベルの指定どおりC管で吹いているのをよく見かける。C管の場合は、人差し指と中指の同時押し下げがAとC#の2回でてくる。名手であれば何の問題もないのだろうが、わたしなどは、もったいないなと思ってしまう。
展覧会の絵といえば、最後の“キエフの大門”の途中で突然聞こえてくるクラリネットとファゴットのコラール。ロシア正教会の賛美歌「キリストによって洗礼を受けたものは」の旋律ということだが、敬虔な巡礼者の列が門の内を歩んでいくように聞こえる。
キエフの大門は、コンペの最優秀作に選ばれながら結局建設されなかったというハルトマンの構想に因んだもの。適わなかった彼の夢をムソルグスキーがスケールの大きな音楽で実現した、というのがもっぱらの評価であるが、ゴングの鳴り響くまことに壮大な曲である。その壮大さが、この静かなコラールで一層引き立つ。
ローマの祭りのマンドリンに通じるものがある。
なんだか、レスピーギとムソルグスキーだけのシリトリのようになってしまった。