「楽園」には、いろいろなイメージがある。
楽園のひとつのパターンは、「理想郷」であり、その多くは「黄金郷」である。古来人々が夢に描いてきた理想郷には、たいてい財宝があふれている。
以下、財宝のあふれる理想郷について調べてみたので、こもごも記す。
徐福が不老不死の仙薬をさがしにでかけた蓬莱山は、神仙思想の中で説かれた仙境のひとつであった。そこは
「仙人が住み不死の薬があり、山上の鳥獣はすべて純白で、仙人の住む宮殿は金銀でつくられている」
という夢のようなところで、徐福は秦の始皇帝から不死の薬獲得のための巨額の援助を引き出した。
のちに脚色されて、蓬莱山にはさらに金銀の水が流れ「銀を根とし、金を茎として、白き玉を実としたる」玉の枝まであることになっている。
この蓬莱の玉の枝、別名うどんげの花は、かぐや姫がくらもちの皇子に所望したことで、一躍有名になった。
少彦名神がわたった「よろずにめでたき国」常世の国は、「常陸国風土記」では富の国、豊かな国とされているそうだ。垂仁天皇は田道間守を常世国に遣わして非時の香の木の実を求めさせたという。
類似の理想郷とみなされている竜宮は、さらに尾ひれがついて、「絵にもかけない美しさ」だけでなく「乙姫さまのごちそうに、鯛やひらめの舞い踊り」が付加された。
「今昔物語集」によるとそこに行った若者が竜宮の主から厚さ3寸もある金の餅をもらうことになっている。ある解説では、
「海上に白銀、瑠璃、黄金の諸竜宮があって、毒蛇大竜がこれを守護しており、竜王がここに住み珍宝が多い」
のだそうで、とにかくここも財宝にあふれていて、極めて素朴な物欲の所産と化している。
ヘブライ語で「快楽」、アッカド語で「園」を意味するというエデンの園は、旧約聖書「創世記」第2章に登場する地上の楽園である。
そこには、アダムとイブがその実を食べてしまった善悪の知識の木だけでなく、命の木も植えられていて、さらに金や琥珀やラピス・ラズリも産出したというから、ここもたしかに同類の理想郷だ。
平凡社の世界大百科事典によると、楽園の神話・伝承が共通に含む要素のひとつとして、
「男女の性的快楽も十分に保証されていること」
もあげられていて、なかなかわかりがよい。
プラトンがその著作「ティマイオス」と「クリティアス」の中で紹介したアトランティス帝国は、海の神ポセイドンが創設した国で、紀元前1万年近くの昔にジブラルタル海峡のはるか彼方、大西洋上にあった。
プラトンによれば、その都アクロポリスは同心円状の巨大運河によって3重に囲まれた水の都で、外側の運河の幅は90メートル、深さは30メートルと、寸法まで詳しく紹介されている。
運河の周囲は、黄金の塀で囲まれていた。神殿の外側は銀で、尖塔は金でおおわれ、天井は象牙に金、銀および謎の金属オリハルコンで飾られ、残りはオリハルコンが敷き詰められていたという。
アトランティスは整然とした理想国家で、10に分割されたそれぞれの地域を10の王家が治めていて、各地域ごとに戦車1万台、戦車用の馬12万頭、その騎手12万人、その他の馬12万頭、騎乗兵士6万人、御者6万人、重装歩兵12万人、弓兵12万人、投石兵12万人、軽装歩兵18万人、投槍兵18万人、軍船1,200隻、水夫24万人を擁していた。すさまじい軍備国家である。
これらの事実は、アテナイの政治家ソロンがエジプトの神官から伝え聞き、それを友人のドロピデスに話し、それがその息子のクリティアスに伝わり、さらにその孫が聞かされた話しが、プラトンに伝わったということになっている。
まさに伝言ゲームではあるが、アトランティスが理想国家であることとあわせて、強国であり、国中に貴金属が充満していた、という点に注目しておこう。
イギリスの法律家トマス・モアの語るユートピアは、彼がポルトガル生まれのラファエル・ヒスロディ氏(実際にそこに5年間滞在したらしい)から聞いたという物語である。
それによると、ユートピアは少ない法律で万事うまく運営され、徳が重んじられ、年少者が年長者に仕えて仲良く暮らしている。
すべてのものが共有で、すべてのものが豊富にあって、ほしいものをほしいだけ持っていけるという、夢のような世界なのだが、国家の制度として、健康で明るい娯楽しかなく、余暇は高尚で健全な教養的活動にあてなくてはならないという、息のつまる社会である。
間断のないエネルギーの投入によって、この管理社会は維持されていた。つまり、サスティナブルではなかった。
この国は、それぞれ6千世帯からなる54の壮麗な都市によって構成されていて、都市住民は1日6時間の労働で、2年交替で順番に田舎に送られて農業に従事する。
都市人口が増大すると他の土地に新都市を建設して入植する。そのときに原住民が共住を拒めば戦争をおこして駆逐する。
多くのものを輸出して莫大な外貨を蓄えている。戦争になると、自国民の血を流すことを避けるために、この外貨で外国の傭兵を雇う。
いわば、当時のイギリスの無秩序な混乱に対するパロディーとして、禁欲的な共産制社会を素朴に描いているのだが、ちゃんと金銀のあふれる軍事大国なのである。
「失はれた地平線(ジェームズ・ヒルトン)」で有名な地下王国アガルタの首都シャンバラ(シャングリラ)は、チベットに伝わる神秘の理想郷である。
その場所は、7つの大陸に囲まれた南の大陸の中の6つの地域のうち、北から2つ目にあるとも、ヒマラヤの山奥の隠されたサンボ渓谷の洞窟に入り口があるとも、それが秘境中の秘境ヤルン・ツァンポ大峡谷であるとも、あるいはアルタイ山周辺にあるとも、インド北部の地下にあるともいわれる。
ひょっとすると実在するかもしれない、という期待をもって、20世紀初頭から幾多の探検家が探索を試みたものの、残念ながら実際に足を踏み入れた人はいない。
このシャンバラにも途方もない量の金や宝石が隠され、水晶、真珠、金銀のちりばめられた黄金宮殿があり、なかにはUFOまがいの超兵器が存在していたという。これをヒトラーが狙ったのではないか、というまことしやかな噂は有名である。
大航海時代のコンキスタドール(征服者)たちを中南米に駆り立てたのは、そこにあるという黄金郷エル・オンブレ・ドラド、略称エル・ドラドへの、実に獰猛な欲望であった。
人々の物欲をかなえるという意味での理想郷は、裏返せば強奪の対象となる。実際に、十六世紀にエル・ドラドを求めたスペイン人たちは、「黄金を手に入れて財を築き高い地位につこうとして」西インド諸島とその周辺の大陸部分だけで、四十年間に少なくとも千二百万人!のインディオを虐殺したと、バルトロメ・デ・ラス・カサス司教が報告している(「インディアスの破壊についての簡潔な報告」岩波文庫)。
そこに金があるらしいというだけで、彼らはその勝手なロマンを、残虐な殺戮と強奪によって成就しようとしたのである。
かつてオーストラリアの語源となった「テラ・アウストリラリス・インコグニータ(未知の南方大陸)」は、財宝ではないが、インドの南にある海洋生物の宝庫として、キャプテン・クックをはじめ多くの侵略者の興味を引いた。
島が発見される毎に、「オットセイ狩りの船が押し寄せ、捕鯨基地が作られ、ゾウアザラシが狩られ、ペンギンは燃料や食料にされ、さまざまな生物が絶滅の危機に瀕した」と、ものの本に紹介されている。
理想郷の多くは、欲の皮のつっぱった連中が涎を垂らしながら、収奪の対象として夢に描いた「黄金郷」である。そこでは、富という理想が実現しているのだが、それはやがて平穏を壊し、黄金郷そのものの存在を失わせる原因となる。
ながながと、理想郷=黄金郷の不埒さについて書き連ねたが、同じ理想郷でも、唯一「桃源郷」(古代ギリシャのアルカディアは、これに近いかもしれない)はこれらと性格が異なる。
桃源郷は、中国六朝時代の詩人・陶淵明の散文「桃花源記并序」に描かれる理想郷である。わずか320字あまりの物語であるが、1600年にわたって親しまれてきた。
昔々ひとりの漁師が桃の花とその香りに惹かれて山に分け入った、山腹の穴を抜けて偶然発見したところが桃源郷だったのだが、そこには、とりたてて金銀財宝はなかったらしい。
「屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬」つまり立派な家と優良農地はあるが、御殿はない。ご馳走も出るけれど、お酒と鶏程度。ひたすらのどかで平和な隠れ里である。行き交う人々は外の世界の人と同じような衣服を着て、みな微笑みを絶やさず働いていた。
彼らは秦の時代の戦乱を避け、家族や村ごと逃げた末、この山奥の誰も来ない地を探し当て、以来そこを開拓した一方、決して外に出ず、当時の風俗のまま一切の外界との関わりを絶って暮らしていると言う。
「アガーフィアの森(新潮社、ワシーリー・ベスコフ著、河野万里子訳)」に出てくるルイコフ一家を思い出す。宗教的理由からタイガの森に逃れ、40年にもわたって、もっとも近い集落から250kmも離れた場所で隠遁生活を送った6人家族の実話物語である。
1978年に発見された時点で5人になっていたが、現在は末娘のアガーフィアのみが存命である。1人になったアガーフィアを、世間は一所懸命”救出”しようとしたが、彼女は頑として受け付けず、単身森の中で生きることを選ぶ、というところで物語が終わる。
ロシアのTVニュースの動画でアガーフィアを見たことがあるが、現代の「世俗」文明とかかわらずひとりで自然と暮らす、65歳を超えた彼女の表情はあどけない。
アガーフィアは、実際に自身の桃源郷を生きた、まれに見る現代人なのではないだろうか。
陶淵明の桃源郷の人々は、漁師が戻った後、ふたたび外界からの人の侵入を受け付けず、現在にいたっている。
これは賢かった。
持続の楽園は、「黄金郷」と「桃源郷」の見境のない人々によって、簡単に蹂躙されてしまうからである。
このことについて、ブラジルのツピナンバ族の記録をここに付け加えておきたいと思うが、長くなるので別稿としよう。
考古学者の佐原真さんが、石器から鉄器に移行したふたつの部族について、おもしろい話を紹介している(「考古学の散歩道」田中琢・佐原真著、岩波新書)。
パプア・ニューギニアの「シアネ」部族とオーストラリアのヨーク半島西岸の「イル・イォロント」部族は、それぞれ1950年代まで石斧を使う生活をしていた。そこへ西洋から鉄斧がもたらされて、石斧の3~4倍の作業効率をもつ鉄斧によって日々の作業時間が大幅に軽減した。しかし、その浮いた時間を使って新しく畑を拓き、増産にはげむようなことはしなかった。さて、それでは男たちはその時間をどう使ったか。
シアネの男たちは、儀式や祭りに精を出すようになった。そのため宴会用のブタの消費量が増え、ブタの争奪の争いが村と村の間で起こるようになった。
イル・イォロントの男たちは、寝転んで睡眠をむさぼることにあてた。
この話を佐原さんはイル・イォロント部族への共感を込めて紹介しているが、同様の転機で弥生人は宴会でもごろ寝でもなく、おそらく「いままで10本切り倒していた時間で30本も40本も倒した、と思う」と述べている。
それに続けて佐原さんは、多田道太郎さんの「怠惰の思想」や福永光司さんの「老荘に学ぶ人間学」を引用しながら、勤勉こそ美徳という考え方は本当の豊かさに反するのではないか、ということを説いた。
シアネや弥生の人々は、多少ニュアンスが異なるとはいえおおまかには「黄金郷」を目指したのであり、イル・イォロントの人々は「桃源郷」を守ったのである、ともいえる。
石から鉄の段階で、どうもわたしたちは道を誤ったような気がするが、誤らなかった人たちもいたわけである。
ただし、その多くがたとえば南北アメリカ大陸の原住民たちのように、道を誤った人たちによって駆逐されてしまった。