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空の下開発公団

空の下開発公団

「空の下開発公団」を創設した。20数年前のことである。
自ら総裁に就任した。といっても、実は公団メンバーはわたし一人だけ。
その後、「おれも入れろ」という脅迫が何度かあったものの、がんと撥ねつけて今にいたっている。
一人でいっこうに不自由がなかったからである。

まずはじめに、「空の下開発公団宣言」をつくった。
「空の下は ぽかぽかして 暖かいな / 空の下は 風が吹いて すがすがしいな / ・・・・」と続いて、最後が「お日さまを見ていると 元気が出るもんな / お月さまに見られていると 勇気が湧くもんな」で終わる、幼稚園の園歌のような宣言であった。
途中が出てこないのは、なにせ20数年も前のことなので、忘れてしまったためである。
わたしのアシスタントのよっちゃんが一所懸命つくってくれていた「カフェテラ・タイムス」のどこかの号に、この宣言を掲載したような記憶があるのだが、Macの PageMaker で作成していたために、いまそのファイルを探そうとすると一大事業となる。世はすっかり移り変わった。

空の下開発公団は、この宣言が示唆するように、きわめて個人的な生活スタイルに関する「開発」を目指したものである。だから、一人でやることにも意味がある。
宴会や、くだけた会議を開くのに、いつもどこかの店や部屋を予約して、閉ざされた薄暗い箱の中で催さなければならない、という理由はまったくない。草の匂いを嗅ぎ、空と気を交わしながら獲得する思索やコミュニケーションには、また格別の味わいがあるのではないか?
もし、それを阻むような世のしがらみがあるのだとしたら、それを徐々に解きほぐしていきたい。そのために、率先して空の下の生活スタイルを実践しよう、というのがこの公団の主張であり、目的であり、事業であり、要するにすべてである。
趣味的なように見えて、公物管理の基本に立ち向かおうなどという、すこしはアグレッシブな覚悟も秘かに抱いているのである。

カフェテラス倶楽部

宣言に続いて、「カフェテラス倶楽部」を立ち上げた。広島の平和大通りの緑地帯でオープンカフェを開こう、という集まりである。
1995年のことで、これには賛同者がたくさん集まり、当初のころは椅子の数よりもスタッフの数が多いというような賑わいであった。
立上げにあたって相談を持ちかけた3人目が山崎さんで、彼はその後20年間「カフェテラス倶楽部総支配人」を名乗り、倶楽部の活動を大いに盛り上げてくれた。彼の「マンネリと言われれば勲章だ」という姿勢がなくては、この運動もどこかで尻つぼみになっていただろう。
月に1回ながら、文字通り「コミュニティ・カフェ」となったカフェテラス倶楽部の出店は、思い起こせばそこで多くの出会いがあり、後に広島市が河川区域内に設置した河岸のオープンカフェの嚆矢として少しは役に立ち、まあ、一言で言えばよい運動であったと思う。
平成12年には、都市環境デザイン会議から「公共空間活用への一連の取組」のタイトルでJUDI賞を受賞するなどという、晴れがましいこともあった。

立上げ時にいろいろな人に相談したなかには、貴重な忠告の類もあった。大きく分類すると、(1)日本人は野外で飲食するという習慣をもたない、(2)冬には雪が降り夏は湿気の多い日本ではオープンカフェは快適といえない、(3)欧米とは歴史が違う、というような慎重な意見である。
だからつまり、オープンカフェなどというものは日本人の真のニーズにもとづくものではなくて、ヨーロッパかぶれの連中がファッションとしてやりたがっているにすぎない。やっても、すぐに飽きるよ、というのである。
いまでは、それらがいずれもタメにする論であり、杞憂にすぎなかったということが証明されたということになる。
ちなみに、これらの忠告が俗説にもとづいた大きな誤解であるということは、当時ヨーロッパのオープンカフェ事情を視察してきた都市研究所スペーシアの井沢さんを名古屋からお招きして開いた勉強会で完膚なきまでに論破され、一同大いに溜飲を下げたのであった。

日本焚火学会

カフェテラス倶楽部を立ち上げる前に、かねてから気になっていた焚火をとりあげて、「日本焚火学会」を設立した。これも、マンネリを気にせず20年以上続いている。
焚火が、囲炉裏や薪ストーブなどのバリエーションはあっても、基本は空の下の文化であるということは、論を待たないであろう。20数年間、年に1度か2度大きな集まりを催して、野外で盛大な焚火を焚く。その開放感、空の下に生きていることを再確認する充実感、それを仲間と共有する喜びというのは、何ものにも変えがたい。
さらにいえば、太古からの先人たちがやってきたことを、多少のぎこちなさはあるにせよ、同じように体験していると思うと、快感である。

NHKテレビが30分だったか1時間だったかの全国放送番組で比較的まともに取り上げてくれたことがあったのだが、そこでゲストの“文化人”の方が「でも、わたしなら焚火はひとりでやるけどね」とコメントしたのが、心に残っている。
焚火はそういう類のおしゃれなホビーだ、というのが世間一般の理解かもしれない。ビールを片手に火を焚いて、そこで肉か魚かソーセージを炙りながら、脇にいる息子に静かに語りかける父親、というイメージもわからないではないが、それだけではあまりにも単純でステレオタイプ的な捉え方ではなかろうか。
火を焚くのは、昔からレクリエーションや食事だけではなく、死活的生活の場面でのことも多かった。炭焼きから山焼きから野焼き、落ち葉や刈った草の始末、風呂焚きから獣よけから測量まで、それらはとても奥深く広がりのある基盤的技術だったのである。
空の下開発公団としては、それを研究しなくてなんとする。

いまでは、樵の蝋燭とか、コエマツとか、焼け畑農業とか、薪ストーブとか、さまざまな周辺技術に分野がおよんで、それぞれのメンバーが深く薀蓄を傾けている。

ひとりオープンカフェ

空の下開発公団を立ち上げた当時、わたしは車のトランクに組み立て式のテーブルとパイプチェアとコーヒーのセットを常備しておいて、山道などで眺めのよい場所があると、そこに車をとめて“ひとりオープンカフェ”を楽しむことを常としていた。
常としていたとはいっても、1年か2年で飽きてしまったのは、いま考えると情けないことであった。
また、初心にもどって“ひとり・・・”を再会してみようと思う。世はすっかり変わったが、この20年間でカフェテラス用の組み立てテーブルや、火起こしのノウハウができた。コーヒーは、コエマツで沸かそう。

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