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焚火の教え

日本焚火学会

西中国山地のまっただなか、広島市佐伯区湯来町に、「日本焚火学会」という団体がある。

日本焚火学会

団体といっても実体はほとんどなく,いわば焚き火を愛する人たちの心のつながり,といったものであるが,毎年開かれる大会には各地から100~150人ほどの会員が集まる。1993年にはじまって今年で20周年を迎える、歴史があるといえばある団体だ。

実体がほとんどない証拠に、会長は人間でない。「日本焚火学会」という篆刻文字の刻まれた立派な大理石の印鑑(3.5cm角)を会長にしている。これはこれで、賢明というべきか。人間を代表にして、よいことはない。その分だけ、俗をはなれた聖なる学会である。
その他の役員もアバウトで、一応◯◯お世話係とかテクニカル・アドバイザという人たちはいて、それなりに責任感をもっているが、それ以外はほとんど自称である。自称の支部がいたるところにあり、自称の世話人が乱立し、なかには代表世話人を自称している人もいるらしい。学会は、この自称を奨励さえしている。
そういう意味では、なかなか開かれた組織とはいえる。どこまで開くと組織が崩壊するのか、ぎりぎりのところで実験しているような、最先端をいく団体である。

大会は、およそ年に1回開かれる。1993年7月9日が第1回で、最近は2012年10月6日に開催された。数え方にもよるらしいが、これが第24回にあたる。
大会当日は、この日のために用意された大量の薪と食材を消費して一日を過ごす。
あるときは,遺伝子保存してあった昔の大豆によるオボロ豆腐だったり、とれたばかりのアンコウと水車で洗った里芋によるアンコウ鍋であったり、鶏の腹に野菜をつめこんで封をし、泥で固めて火にくべて焼く「乞食鶏」と称する料理であったり、地元の水内(みのち)川で捕れたばかりの鯉を使った鯉こくであったり。

これに,研究発表や、飛び入りとはいえ玄人はだしの演奏などが加わる。いってみれば,焚き火にかこつけた里山パーティーである。

いたるところから立ちあがるもうもうたる煙にいぶされて右往左往の一日なのだが、そのあいまに薪を割ったり,火にあたって歓談したりしながら,それぞれの火への思いを深めあうのである。
わたしの思いは,こんな感じ・・・

火を焚くことは,田舎で生きるために必要な技術であり,森を守り,国土を守る技術でもあった。そんな大切な技術を,人間は永い間使いこなしてきた。人類が火を使い始めたのは400万年前とも、100万年前とも、20万年前とも言われるが、いずれにしても永い間である。
使いこなせなくなったのは,燃料革命のおかげで,たかだかここ4~50年のことである。100万年のうちの,4~50年!
だからどうだと,むつかしいことは言えないが,何はともあれ,「わたしは焚き火が得意でして」と言ってみたい。

思いは人それぞれだろうが,火を否定的に語る人に会ったことがない。たいていの相手は「焚き火・・・」というと,目を輝かせる。

かつて,学会の長老のおひとりがつぶやくようにいわれた言葉が,とても印象に残っている。

「昔の家長は,家の者がみな寝静まった後,ひとりで囲炉裏の火をいじりながら,翌日の仕事のことなどを考えたものだ。火は,明日の希望と静かな勇気を与えてくれる。現代の家長は、どうやって勇気をもらっているのだろう」

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