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被服支廠は解体すべきか

解体もしかたがない

何でも、用のなくなったものは然るべく処分しなくては邪魔になる。それが建物であったとしたら、なおさらである。
広島の出汐地区に残る旧広島陸軍被服支廠の建物4棟が、まさにそうだ。鉄筋コンクリートのラーメン構造に煉瓦造を併用して1913年8月に竣工したもので、築107年。もともと軍用物資の倉庫だったのが戦後転用されて、一時大学の学生寮や日通倉庫などとして利用されたものの、1997年から後は使用されないで閉鎖されていた。まったく無用の長物と化したまま20年以上にわたって市街地内の広大な敷地を無為に占拠してきたわけである。

なにしろ巨大である。4棟の合計延べ床面積は21,700㎡、3階建てで棟高17m。建築面積は9,700㎡、敷地面積は17,200㎡に及ぶ。最近では地震などによる倒壊の危険性が危惧されるようになった。こんな大きな廃墟が住宅のすぐそばにあるのだから、近隣に住む人たちの不安は想像にかたくない。倒壊とまでいかなくとも、目の前に延長400mにわたって立ちはだかる煉瓦壁の煉瓦が落ちてきたりすれば、惨事となることは目に見えている。

だから、これを壊して更地にし、土地をマンションとか駐車場とかショッピングセンターとかに活用したほうが世の中のためになるのではないか、と考えたとしても不思議ではない。3棟を所有する広島県は、耐震改修にはお金がかかりすぎるとして、2棟を解体し、1棟はなんとか外観だけ保存しようという案を2019年に公表した。残りの1棟を所有する国は、県の検討を見守るといっている。

解体しないでほしいのだが

これに対して、以前から活動してきた「旧被服支廠の保全を願う懇談会」をはじめとして、市民や被爆者団体などから反対の声があがった。
反対の理由はいろいろある。

まず、原子爆弾の爆心地から約2.7kmにあったこの建物は、頑丈なつくりがその爆風にも持ちこたえて、鉄扉が歪みながらも、なんとか倒壊を免れた。それで、原爆投下の翌日に臨時の救護所となり、そこで多くの人が亡くなった。峠三吉の詩「倉庫の記録」にはその様子が生々しく記されている。懇談会を立ち上げた中西巌さんも、その惨状を目撃した一人である。みなさんご高齢になられたが、この建物に重い記憶をもつ方々は多い。つまり、被服支廠は被爆の生き証人なのである。

それから、建築史的にみてもこの建物は貴重なものだという。コンクリート造として日本に残るうちの最古級のものであると同時に、煉瓦造からRC造に移行する過渡期の建物として学術的な価値も高いらしい。たしかに、3階に上って見上げると屋根の小屋組みというか昇り梁というか、斜めになったコンクリートの梁に屋根のスラブが斜めに乗っている形は、素人目にも、あまり見たことがない。

さらに、この建物の威容が象徴するのは、軍都廣島の姿である。広島は軍都から平和都市に生まれ変わったことにこそ意義がある。だから広島は過去を覆い隠すという欺瞞を排除しなくてはならないから、軍都の象徴をスクラップしてしまわないほうがよい。

つまりこの建物は広島にとって重要な意味をもっており、無用の長物と見なしてはいけない、そう思うのは意味という隠れた用に眼をつぶっていたからだ、というわけである。
こういうことを主張し続けることは大切なことだ。
でも、それだけでは「解体もしかたがない」という現実論に、なかなか対抗できない。

とてもお金がかかる

隠された用というのは、それだけではそれを維持する力をもつことができないからだ。
なぜといえば、建物を維持するのにはそれなりにお金がかかるのだが、その象徴性とか歴史の記憶とかがそのお金を生み出してくれるわけではないのである。公共的に意味があるのだから、税金で負担すればよいという考えもある。しかし、その公共性と負担との間のバランス感覚は人によって違うので、それだけでは分が悪い。
それでは、どのくらいお金がかかるのだろうか。

固定資産税などは今回無視できるとしても、まず当初の補修にかかる費用を別途運用したとして得られるべき利益(つまり借入金利息にあたる)がバカにならない。それから年々生じる減価償却費(これは、減価しないように改修するための費用ともいえる)、それにそこで何かの活動をするための光熱費とか、保安経費とか、諸々の事務費とか、さまざまな固定経費が発生し、これだけ大きな建物となると、その額は膨大なものとなる。

分譲マンションを持っている人が、持っているだけで毎月支払わねばならない住宅ローンの利息と修繕積立金と管理費の金額それに駐車場の賃料などを考えてみればよくわかる。広島市内の専用床面積100㎡のマンションの年間のかかりがなにやかにやで諸税を除いて200万円程度とすれば、単純に20,000㎡を維持するには年間4億円を要するということになる。これはまことに乱暴な計算ではあるが、たとえば縮景園と広島県立美術館の管理費が年間で4億円、広島市の現代美術館の指定管理料が年間3.2億円、同じく交通科学館が2.1億円(指定管理料は、入館料などの収入を差し引いたものだから、実際にかかる費用はもっと多い)などというのを聞くと、被服支廠の規模では何に使ったにしても4億円で収まるとは考えられない。ひょっとすると毎年10億円近くにもなって、後の世代に莫大な付け回しをしてしまうことにもなりかねない。

誤解を恐れずに言うと、初期投資(3棟を改修すると83億円かかるというのが県の試算である)の額はそれほど問題ではない。実際に、これが民間の不動産開発事業であれば、100億円かけたとしてもおかしくはないだろう(市場があればの話しであるが)。問題なのは、残したあとにかかってくる費用なのである。それは、これから50年100年と長期にわたって確実に毎年負担しなくてはならない。だから、改修費用に国の負担をお願いするとか、民間の寄付を求めるとかいうのは、この初期投資分だけの話しであって、それだけではまったく安心できないのである。
そのあたりのことを考慮すると、そんなに簡単に「残します」と言ってよいものかどうか、責任ある県当局が悩むのもよくわかる。

どうやって稼ぐか

あそこにあれだけのモノがある。それはお金では買えない歴史の積み重ねという物語をもっていて、壊してしまうにはもったいない、というのは、おそらく誰もが同感できることである。しかし、それを実現するためには「こんな使いかたをしたい」「こう使えば意義がある」と、途中を飛ばした出来上がり予想のみを描いていても意味がない。そんなつもりがなくても「こんなよい使い道があるのに、税金を使ってそうしないのは行政が悪い」とも聞こえてしまう。しかし、行政としては、そう単純に理想につきあえないというのも、前述のとおりなのである。では、その途中は現実的にはどんなことが考えられるのだろう?

たとえば、一棟5千㎡の床面積の半分を高級シティホテルに、半分をゲストハウスにしてみよう。シティホテルは、客室30㎡が20室、残りがバンケットと共用部分になるとする。一室の宿泊料が2万円/室、稼働率60%とすると、宿泊売り上げが年間で約9千万円、バンケット売り上げが全体の半分強を占めるとすれば、合計で約2億円の売り上げとなる。いっぽう、ゲストハウスについては、1ベッド当たり室面積7㎡、専用率70%とすると収容数250ベッド、一泊2500円、稼働率80%とすると売り上げは年間約1億8千万円となる。この合計3億8千万円の売り上げの中から、どのくらいの賃料を支払うことが可能か、たとえば3割の1.1億円を支払っても一定の利益が見込める、という事業者がいればこの計算は成立し、この棟の所有者は年間にそれだけの賃料収入を見込めるわけである。しかも維持管理費の多くの部分は所有者にかかってこないようにできる。

もうひとつ、たとえば一棟をそのまま自走式の立体駐車場として運用してみよう。一台当たりの床面積を30㎡/台強とすると、全体でおよそ150台。一台当たりの月の売り上げを1万円/台・月とすれば、稼働率80%で年間1400万円となる。このままでは、とても割があいそうにないが、設備投資がわずかであるのでこれが丸々維持費にあてられることと、隣接してきちんとした駐車場があることによって他の棟の付加価値を高める効果がある、かもしれない。解体費用をかけて更地にし、たかだか50台程度の平面駐車場にするよりはよい、かもしれない。

ついでに、近隣にスーパーがないことから、一棟の一階部分に少し大きめのスーパーマーケットを導入して、周辺住民や滞在者の生活利便を助けてみよう。統計的には地方圏でのスーパーの販売床面積当たり売り上げは約100万円/㎡・年ということらしいので、このスーパーはおよそ20億円/年の売り上げをもつことになる。その業態から利幅は大きくなく、それほど余裕はないだろうが、売り上げの中から5%ほどの賃料を払ってもらえれば、1億円になる(1億円だと1.4万円/月・坪という計算だから、ちょっと高すぎるか)。これは、1階だけの計算であるから、2階にフードコートを、3階に会議室をなどと複合的に利用すれば、もう少しリーゾナブルになるかもしれない。

ヨーロッパの古城のように、住宅に利用するというのはどうだろうか。単純に考えると、月に5万円払ってくれる賃貸住宅が160~170戸あれば1億円/年の収入となる。被服支廠は各階の階高が高いので、ロフトなどを活用して立体的にデザインすれば、一棟にこの程度の戸数をはめこむことは可能ではないかと夢想する。高知の沢田マンション(別稿)のように、できるだけ"けったいな"集合住宅を目指せば、レジデントアーティストの巣窟とできるかもしれない。

ホテルにしろ、住宅にしろ、小部屋をたくさん設けることで耐震壁がふえるので、ひょっとすると建物の補強にも少しはメリットがあるかもしれない。

というような複合的な利用によって収入を得ること、それによってこの建物の維持と活用を永続させることは、十分に可能なのではないか。ひょっとすると、生まれる余裕によって博物館などの公益施設の運営経費を補填できるかもしれない。

被服支廠にこれまでかかわった大勢の人たち、それを建てた人、そこで働いた人、命を落とした人たち。わたしたちがこの建物にどう向き合うのかは、彼ら彼女らに注視されているだろう。これを記念碑として冷凍保存するのも一法かもしれないが、新しい都市活動を持ち込んで交流の場とし、平和都市にふさわしい日常を展開する、その持続性に知恵を絞って新しい用を生み出すというほうが、より喜んでもらえるのではないか。

机上の空論

実はこれらは、そうです、机上の空論に過ぎません。

でも、それをあげつらって空中戦を交えていても、全然楽しくない。必要なことは、これらを空論ではなく具体的な事業計画として冷徹に組み立てていくことだ。
本当にそのような床利用に市場性があるのかどうか、事業主体が持ち出しなしで永続的に安心して経営していけるのかどうか、そうするためにはどんな企画が求められるのか、といったことを楽観バイアスなしで検討することである。

この検討のために協力してくれる専門家はたくさんいるだろう。それは、その人たちの新たなビジネスチャンスにもなっていくだろう。広島でそういう場を設営することができれば、ほかの都市政策課題に対しても、有効な提案をできるようになるだろう。
都市政策というのは、行政だけが責任を負うものではない。当事者能力のあるカウンターパートとしての民間がうまく機能すれば、もっと前向きで風通しのよいものになるはずだ(これは、昔懐かしいミュンヘン・フォーラムなどを念頭に置いているのだが、そのことについてはまた別の機会に)。

被服支廠を残すのに、税金をあてにし、議会を動かすことに腐心するのではなく、われわれ自身の力でやってやろうじゃないか、と立ち上がれば、彼ら彼女らは絶対に応援してくれる、と思う。

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